10人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ
吐息が耳朶をくすぐりました。
かつて経験したことのない甘美なくすぐったさが、僕の緊張を解きほぐします。
女将が口をすぼめたのでしょうか。
吐息が細くなり、風が耳の穴の入り口で渦を巻きます。
低い「ごおお」という音が鼓膜をゆすり始めると、突然、熱を感じました。
「あっ、熱い。あっつい」
「動かないで、じっとしていた方がいい。我慢して」
六方の声がしたときには、すでに耳の穴から体内に熱が広がりつつありました。
まるでロウソクの炎を吹き込まれているかのような、女将の高熱の吐息が左耳の穴から入ってきます。
炎は僕の頭と顔の左半分を焼くと、喉を下って体の左半分へと燃え広がりました。
左手そして左足のつま先へと高熱が伝わっていきます。
頭を挟み込んでいる女将の手が、氷のように冷たく感じられた程でした。
燃える吐息が、休むことなく僕の耳に吹きかけられています。
左半身の隅々まで炎で満たされると、今度は右半身が熱くなり始めました。
炎はへその辺りを通って胴体の右半分、そして手足の先へと広がって行きます。
体の表面からは窺い知ることが出来ませんが、今や僕の体は骨と肉ではなく、青白い炎で構成されているのでした。
「高縄君、どんな感じだい」
六方が肩に手を置きながら、たずねてきました。
今の僕には彼の手もまた、氷のごとく冷たく感じられます。
「最初は慌てたけど、だいじょうぶです。いや、体の中は大変なことになっちゃてて、全然だいじょうぶじゃないかも知れませんけど」
このときの僕は何故か、体内の高熱にも慣れ始めていたのでした。
「お口は閉じていてください」
小声で注意されて、僕はあわてて口を閉じました。
今や炎は顔の右半分へと達しています。
女将はそれでもまだ、僕の耳の穴に炎の息を吹き込み続けていました。
一体いつまで続けるのだろう。
僕がそんなことを考え始めた矢先の事でした。
みぞおちの辺りでぐるっと、何かが蠢いた気配がしました。
最初のコメントを投稿しよう!