始まっていた

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吐息が耳朶をくすぐりました。 かつて経験したことのない甘美なくすぐったさが、僕の緊張を解きほぐします。 女将が口をすぼめたのでしょうか。 吐息が細くなり、風が耳の穴の入り口で渦を巻きます。 低い「ごおお」という音が鼓膜をゆすり始めると、突然、熱を感じました。 「あっ、熱い。あっつい」 「動かないで、じっとしていた方がいい。我慢して」 六方の声がしたときには、すでに耳の穴から体内に熱が広がりつつありました。 まるでロウソクの炎を吹き込まれているかのような、女将の高熱の吐息が左耳の穴から入ってきます。 炎は僕の頭と顔の左半分を焼くと、喉を下って体の左半分へと燃え広がりました。 左手そして左足のつま先へと高熱が伝わっていきます。 頭を挟み込んでいる女将の手が、氷のように冷たく感じられた程でした。 燃える吐息が、休むことなく僕の耳に吹きかけられています。 左半身の隅々まで炎で満たされると、今度は右半身が熱くなり始めました。 炎はへその辺りを通って胴体の右半分、そして手足の先へと広がって行きます。 体の表面からは窺い知ることが出来ませんが、今や僕の体は骨と肉ではなく、青白い炎で構成されているのでした。 「高縄君、どんな感じだい」 六方が肩に手を置きながら、たずねてきました。 今の僕には彼の手もまた、氷のごとく冷たく感じられます。 「最初は慌てたけど、だいじょうぶです。いや、体の中は大変なことになっちゃてて、全然だいじょうぶじゃないかも知れませんけど」 このときの僕は何故か、体内の高熱にも慣れ始めていたのでした。 「お口は閉じていてください」 小声で注意されて、僕はあわてて口を閉じました。 今や炎は顔の右半分へと達しています。 女将はそれでもまだ、僕の耳の穴に炎の息を吹き込み続けていました。 一体いつまで続けるのだろう。 僕がそんなことを考え始めた矢先の事でした。 みぞおちの辺りでぐるっと、何かが(うごめ)いた気配がしました。
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