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いつの間に店内に入って来ていたのでしょう。
「脅かしっこなしですよ。だって店先であんなに……」
指でいきなり背中を突かれて、僕は思わず声を止めました。
どうやら六方は、「それ以上喋るな」と、合図しているようです。
「……でも疑り深いのは、ふだんからのことじゃないですか」
「たとえば?」
「たとえば……食品の消費期限、常に偽装を疑ってますよね」
六方の口癖は、「口に入るものが、こんなに日持ちするはずがない」です。
ぐうの音も出なかったのでしょう、彼はなにも言い返さずに席につきました。
タヌキとの間に、椅子がひとつ空いています。
面倒くさがり屋の彼は、人とタヌキとの間を取り持つ位置に座りません。
仕方なく僕は、二人の間に腰を下ろしました。
僕はあまり外でお酒を飲みませんし、チェーンの居酒屋くらいしか行ったことがありません。
でも八尾萬は素晴らしいお店だと、すぐに分かりました。
突き出しからして違います。
「ひろうすです」
「ははあ、がんもどきですなあ。関西風の味付けってことですか」
僕は最初の一杯を飲みながら、タヌキに「飛竜頭」について教えてもらいました。
六方はひろうすを何度もひっくり返して、検分しながら食べています。
なにやら考え事を始めたようなので、僕とタヌキでつまみを考えました。
お造りとサラダを頼んで、ついでに女将のおすすめも注文します。
ビールから日本酒に切り替わったところで出て来たのは、僕が初めて見る、分厚い油揚げでした。
「はい、次はこれ。栃尾の油揚げです」
味噌と刻み葱を挟んで、こんがり焼いてあります。
「これ、厚揚げとは違うんですか」
「新潟県の栃尾って土地の油揚げですね。都内のスーパーでも売っているところはありますよ」
タヌキが意外とグルメなことに驚いていると、六方が声を上げました。
「なるほど、狐だな」
「まさか油揚げだからですか! 六方さん」
彼は時おり、ひどく突拍子もないことを言い出すのです。
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