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六方は眉を寄せて目を細め、あからさまに嫌そうな顔をしました。
「そのとおり。油揚げだから、そう思ったんだけど」
「六方さんらしくない、短絡的な思考ですね。女将さんに失礼じゃないですか」
年の頃は30前後、たしかに顎のとがった細面ですが、狐には見えません。
僕の意見に、タヌキが乗っかって来ました。
「失礼ですよ、旦那。こんな美人女将に向かって」
「この方は正直言って人と見分けつかないけど、板さんは狐だろう」
タヌキがめずらしく、六方に食ってかかります。
「見たんですか、旦那。その眼で、狐を見たと言うんですか」
「なにも見えないからこそ、狐だ、と言ってるんだ。そもそも公園に店を構えているところが、すでに狐か狸の仕業じゃないか」
「六方さん、タヌキ先生に失礼ですよ。女将さんには、もっと失礼だけど」
女将は目を細くして、おかしそうに僕たち三人のやりとりを見ています。
油揚げを日本酒で喉に流し込むと、六方は口を開きました。
「失礼なんかしていない。見せられる証拠はないけど、間違いのないことだ」
ぐい飲みを「たん」とカウンターに置きます。
「六方さん!」
「旦那! そりゃあ言い過ぎだ」
立ち上がりかけた僕とタヌキを、女将は笑顔で制しました。
「大きなお声を出さないでくださいな」
アルトと呼んでいいほどに低い声は、ざわついた心を鎮静化させます。
「全然、失礼じゃありませんよ。こちらの方のおっしゃるとおりですから」
タヌキと二人で、思わず顔を見合わせました。
「本当に狐なんですか? どっからどうみても美人女将なのに」
「こんな美形の女狸は見たことないと思っていたのに」
僕とタヌキは、再び顔を見合わせました。
二人はそれぞれ違う女将の姿を見ていたのです。
僕らは今まで、なにを見聞きして、なにを口にしていたのでしょう。
地面に急に穴が開いて、底なしの闇へ落下するような気がしました。
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