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俺、塩沢柚葉(ゆずは)はこの24年間、外見で己の欠点をすべて補って生きてきた。 格好つけた言い方をしたが、要は、外見で女性に強くアピールし、女性に自身を引き上げてもらう生き方をしてきたのである。 自分が人より優れた外見であることは生まれる前から分かり切っていた。元・国民的アイドルの母さんと、抱かれたい男ランキングで長年首位の座を守り続けた、国民的俳優の父さんとの間に生まれた子供なのだから。ちなみに今、抱かれたい男ランキングで首位なのは、アイドルになった俺の兄である。 妖艶さを醸し出す切れ長の一重まぶたに、形の良い大きな瞳。鼻筋の通った小さな鼻。ピンク色に色づいた酷薄の唇。顔立ちはほとんど母親の特徴を受け継いだが、渋みがありよく通る声と、180㎝の高身長は父親譲りだ。 幼少の頃からスカウトは嫌になるほど受けたが、両親と兄が芸能界の愚痴を吐くのを聞き続けて育ったため、その道はやめようと早い段階で決心した。それよりは一般人として、常人離れした外見の良さを最大限に活用して生きて行こうと決めた自分の判断は正しかったと思う。 外見のおかげで、たいていのことは許されて生きてきた。多少の我儘も自分を慕う女性たちがこぞって叶えてくれた。学生時代は勉強せずに女遊びばかりして進級が危ぶまれるたびに、頭の良いクラスの女子たちが自分に一所懸命勉強を教えてくれた。大学の単位が足りなかった時も、女性教官は自分のキス一つで単位をくれ、しかも女性の学長に気にいられたおかげで授業にろくに出ていなかったにもかかわらず、なぜか首席として表彰されたほどだ。 三流大学の出身であるにも拘わらず、世間でも名の知れた企業への採用をもぎ取れたのも、おそらく自分の外見でその場にいた女性面接官全員の心を射抜くのに成功したからだろう。実際、彼女たちは入社後も柚葉と関係を持ちたがった。 おかしい。こんなの狂ってると周囲の男達は言った。しかし柚葉は己の外見で、不可能を可能にしてきたのだ。 自分を褒めたたえ、欲しいものをすべて与え、癒してくれる女性たちを、柚葉は愛した。博愛主義的に、どんな年齢でも、どんな容姿でも関係なく、自身を引き上げてくれるような女性に対して誠心誠意愛をささげた。同時にどれほどたくさんの女性たちと関係を持っても、誰一人としてそれを責めたり咎めたりする女性はいないことに、柚葉は心から感謝していた。 ただこれは、数年前に「彼のたった1人の恋人になりたい」と願う女たちが血みどろの乱闘を繰り広げた末、柚葉はみんなのもの、という暗黙の了解を打ち立てたからである。もちろんそんな乱闘が起きていたことを柚葉はまったく知らないし、これから先も知ることはないだろう…。 しかしそんなふうに女に甘えた生き方をしていれば、当然、同性には嫌われる。その証拠に、柚葉には数え切れないほどの女友達がいるが、男友達は1人もいなかった。なんとか作ろうとこれまで彼なりに努力はしてきたが、男子たちの方も、自分が好きな女の子や彼女を全員柚葉に取られてしまうとあっては、うかつに彼に近づくわけがなかった。そんなわけで柚葉は長年、男同士の友情物語を漫画や本、映画で目にするたびに感動と羨望の涙を流してきたのだった。 しかしながら、社会人になって2年目、ようやく彼に友達、もとい、かわいい後輩ができたのである。女ではない、夢にまで見た男同士の友情に、柚葉は歓喜していた。 それは、今年新入社員として柚葉の職場に入社してきた、澤村賢太郎のことである。 入社したての頃、彼は柚葉と同じくらい高身長なのに、背中を丸め、いつも自身なさげにしていた。がりがりに痩せていて、風が吹けば倒れてしまいそうなほど弱弱しい。八の字の眉毛にたれ目の、典型的な困り顔は、23歳にして捨て犬のような風情を醸し出していた。大企業のため社員が多いこともあり、あまり関わる機会はなく、捨て犬みたいなやつだな、という印象だけが残った。そんな彼と話すようになったのは、ほんの偶然だった。 定時で退社した後、忘れ物をしたことに気づき会社に戻った日のこと。時計の針はもう11時を回っていた。誰もいないだろうと思ってオフィスに入ると、そこには相変わらずの困り顔でパソコンを操作する男がいた。足音に気づいたのか、彼はパソコンから顔を上げ、一瞬目を丸く見開いたが、弱々しく柚葉に笑いかけた。 「あ、塩沢先輩…お疲れ様です。」 その顔は青白く、目の下には大きなクマができており、生気が感じられないほどだった。いったいどんな仕事をしているのかと、手元を覗き込む。 「おつかれ…おい、その仕事…緊急じゃないやつじゃん。なんで?」 「え、いやあの…部長さんに月曜までに絶対やっとけって言われて」 「これ全然緊急じゃないし、なんなら来年に持ち越してもいい仕事だ…ああ。あいつら、また新入社員狙って嫌がらせしてんのか。」 そう言って舌打ちすると、澤村は驚いた顔をした。 「え、またって…?」 「俺も散々嫌がらせされてきたんだよ」 そう言って、柚葉は自分が受けてきた嫌がらせについて話し始めた。 入社してすぐ、この程度の学歴でなぜこの会社に入れたのかと男の役員達に呼びつけられ、一方的に叱責され、面倒な仕事を全て押し付けられたこと。取引先に行っても出てくるのは男ばかりで(以前女性社員が出てきたとき、ここぞとばかりに大量の契約を取り付けてからというもの、警戒した企業によって取次はすべて男性社員になってしまった)、どんなに最高の笑顔で自社の製品をアピールしても、意地悪な質問を投げつけられ、押し黙ってしまう状況が続いたこと。自分が女性社員にモテることに対して嫉妬の炎を燃やした同期の社員たちに、大事なプレゼンのデータを消去されるなど、不条理な仕打ちに苦しむことも多かった。しかし、最近はやっと仕事のやり方がわかってきて、多少の嫌がらせには動じなくなった。 「…まあ長くなったけどさ、俺もマジで大変だったんだ。だから頑張って一緒に乗り越えようぜ、新人!」 そう言って、拳を振り上げて見せると、澤村は一瞬きょとんとした顔をしたが、にっこりと笑って、「はい!」と元気よく言って、2人は拳を合わせた。 憔悴していたその顔は、今や飼い主を見つけた犬のように、きらきらと輝いていた。そしてそんな表情を同性に向けられることが初めてだった柚葉は、胸が沸き立つような喜びを覚えた。澤村はなおも、きらきらとした目で自分を見つめている。よく見たら、俺には敵わないが、なかなか端正な顔をしている。その長いまつげをじっと見つめながら、柚葉は呟いた。 「なんかお前、ほんとに犬みたい」 「い、犬ですか?」 「そ。ワン公って呼んでいいか?」 「…せめてケンにしてください。僕、賢太郎っていうんです」 「ふーん。んじゃ、太郎だな。犬っぽいし。さて太郎、その仕事付き合ってやるから、終わったらどっか飯食いに行こうぜ。明日は休みだしさ」 そんなふうにして、2人の関係は始まった。
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