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【 第二話: 忠治の生い立ち 】
彼が生まれたのは、1910年(明治43年)2月のことで、当時、石材商をしていた父『久野金之助』の次男として生を受けている。
出身は、愛知県知多郡知多町、今の知多半島にある『知多市』というところである。
当時の知多は、のんびりとのどかな地方の町で、緑の山々や海に面していて、自然が豊かで寺院が多いことから、四国の田舎とよく似ていると言われた。
この知多半島の『知多四国霊場(知多四国八十八ヶ所)』は、日本三大新四国霊場と言われるほど有名なところである。
そんな町で、忠治は生まれ育ったのである。
1929年(昭和4年)に当時の東海中学校を卒業すると、進学せず、すぐに父の家業を手伝うようになった。
そして、父の跡を継ぎ、土建業の『久野組』の社長に就任することになる。
彼の豪傑ぶりは、この当時から地元では有名だったという。
それから、政界に出ようとしたのは、太平洋戦争後の1947年(昭和22年)の衆議院総選挙のことであるが、初めの選挙では落選をしてしまった。
前にも述べた通り、田中角栄とこの点も同じだ。
しかし、一度決めたことに対して、とことん突き進むのは、角栄と共通した性格だったように思う。
そして、1949年(昭和24年)の第24回衆議院総選挙で見事、地元愛知知多から当選を果たすのである。
その当時の当選者の顔ぶれを見ても、すごいメンバーである。
『麻生太郎』元総理大臣の父『麻生太賀吉』、『小渕恵三』元総理大臣の父『小渕光平』などが顔を揃える。
翌年、1950年(昭和25年)に、民主自由党に入党し、あの内閣総理大臣を務めた『吉田茂』や『佐藤栄作』に師事するのである。
忠治は、最初の選挙こそ落選したが、その後14回もの当選を果たし、この後、長く政界に居座ることになる。
そして、あの男と運命の出会いを果たすことになるのである。
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