【 最終話: 忠治の右腕 】

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【 最終話: 忠治の右腕 】

 私の曾お祖父ちゃんは、名前は明かせないが、そんな忠治の『』と呼ばれていた男だ。  『右腕』とは、政治家の隠語で2つの意味がある。  一つは、文字通りの『右腕』。地元の支持地盤を固める要役(かなめやく)であるという側面。  もう一つは、忠治の国会議員としての活動を支えるための、資金援助役という側面である。  曾お祖父ちゃんとお祖父ちゃんは、途方もなく莫大な資産を当時保有していた。  祖母方の親戚から聞いた話だが、選挙の度に、山が1つずつ消えていったそうだ。  そのことにずっと反対をしていたと、伝え聞いている。  忠治の息子、『久野 統一郎(くの とういちろう)』も後に国会議員となるのだが、その統一郎とお祖父ちゃんも同級生で非常に仲が良く、その後二代に渡って『右腕』として、何十年も資金援助をし続けるのである。  いつしか、その美しい山々は、巨大な団地群へと変貌して行ったのだ。  お祖父ちゃんの名前も明かせないが、お祖父ちゃんもまた日本一となる企業を後に作っている。  そんな中で、忠治と統一郎は、国会議員として政界に影響を与え続けていたのである。  父がこんなエピソードを語ってくれた。  父がまだ小さい頃に、忠治には、よく可愛がられたそうだ。  お祖父ちゃんの家が、忠治の選挙事務所の控え室のような形を取っていたこともあり、選挙で当選した時には、まだ小さな父を膝に乗せ、一緒に万歳をしたり、選挙翌日、朝目覚めると、32畳もある部屋に何人もの黒い服(スーツ)を着た知らないおじさんたちが寝ていたそうだ。  父は、まだ小さいながらも、その光景だけはよく憶えていると教えてくれた。  父は、その光景を見て、自分の母にこう言ったそうだ。 「ねぇ、お母さん、知らないおじさんたちがいっぱい寝てるよ」と……。  忠治は、そんな地元の力を貰いながら、田中角栄内閣で手腕を振るった。  そして、その後、約38年もの長き間、政界で活躍することになるのである。  ――もしも、今、このコロナ禍の混乱の中で、『くの忠』が生きていたら、どのように日本を導いてくれたのだろう。  私は、そのことを最近、考えてしまうのである。  少なくとも、彼が国会議員という仕事を選んだ理由の一つには、当時の今と同じような混沌とした時代をもっとより良いものとし、日本が住みやすい国になることを願いつつ、有り余る情熱でそれを実行し、自分の信念で突き進んで行きたかったからではないかと思う。  私は彼がとても羨ましい。  何故なら、自分の進む道を信じ突っ走り、そして新しい己の道を切り開いていったその姿が、とても情熱的で力強く、キラキラと輝いて見えるからだ。  そして、令和の今、私は思う……。  あの豪腕、豪傑な、政治家が今ここにいたら、もっと何か『いい案』を出してくれていたのかもしれないと……。 END ※注意:この物語は、ノンフィクションですが、史実に基づいている部分と、伝え聞いている部分が含まれます。
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