【別れ行くあなたへ】

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鍋を空にしてしまったことに申し訳なさを感じている僕に、後から来た男が言った。 「キミが平本君ね、話しは聞いてる」 そう言って僕の対面に座ると、春田と田中が後から来た男──佐藤さんに寄る。 佐藤さんの合図で、春田が語り始めた。 うつ病との闘いの辛さ、その支えになってくれた宗教のありがたさを。 春田の話に佐藤さんが続く。 「春田はね、この宗教の素晴らしさを親友のキミに伝えたかったんだ」 そこから、『勧誘』という無数の矢が佐藤さんから放たれる。 僕は、宗教勧誘に関するあらゆる知識を盾に、それを避ける。 矢継ぎ早に攻めてくる佐藤さんがわずかに黙った黙った次の瞬間、槍のように重たい言葉が僕の思考を貫いた。 「苦しむ春田に、親友のキミは何もしなかった」 言葉に詰まった僕に、佐藤さんが刀を抜いてとどめを刺す。 「セミナーくらい来てみたら? 親友として」 『親友として』 戦意を切り捨てられ、呆然なった僕に話が勧められる。 セミナー参加の申込書とペンを出され、三人の視線が僕を縛り付ける。 視線に結ばれマリオネット化した僕は、操られるようにペンを握る。 その瞬間、不意に鳴った携帯の音にビクっとするほど驚いた。 着信メロディは、僕の好きなチューリップ『サボテンの花』 緊張の糸が張り巡らされた部屋に、機械的な四和音の着信音は滑稽で、縛り付けていた糸が弛む。 『我に返る』とは、まさしくこのことなのだろう。 僕は、藁をもつかむ思いでペンから携帯へ持ち替えた。
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