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1.美香と康介
少し疲れた表情の女が食材の入ったエコバッグを片手にマンションの廊下を歩いている。
(康介、いつになったら仕事決まるんだろう。いきなり会社を辞めてきてからそろそろ半年。もう失業保険も終わってる。まだ若いからすぐ決まりそうなのに)
美香はため息をつくと鍵を回して扉を開けた。中から漂うタバコの臭いに顔を顰める。
(またタバコ吸って……。部屋ではあんまり吸わないでほしいのに)
彼が美香のマンションに転がり込んできたのは半年前。仕事を辞めた時だ。それ以来就職活動中と言いつつ美香の部屋で日がな一日過ごしている。
「遅かったな。腹減ったんだけど、今日の飯何?」
康介はスウェットの上下でこたつに入りテレビを見ていた。美香が帰ってきたとわかると振り向いて口を尖らせる。彼は美香よりも六歳年下の二十六歳。だが年よりもずいぶん若く見えた。苦労してないからだろうか、と美香は思う。
「うん、今日は豚の生姜焼きにしようと思って。豚肉安かったから」
康介は舌打ちして視線をテレビに戻す。
「ちぇっ、何か貧乏臭いなぁ。たまにはさぁ、ステーキとかやってよ。あ、焼肉でもいいぜ」
食費を一円も払わない上に文句ばかり。でも口答えしようものならすぐに手が飛んでくる。
「ごめんごめん、今日のところはこれで勘弁ね」
美香と康介は付き合い始めて一年ばかり。最初は年下の甘え上手な優しい彼氏だった。ところが同棲するようになり彼はすっかり変わってしまった。今では恋人というよりすっかりお母さんだ。それでも美香は康介から離れられないでいる。
(私ももう三十二歳。初めてできた彼氏だもの、大切にしなきゃ。ちょっと私が我慢すればいいだけ)
引っ込み思案な美香はなかなか男性と親密になることができず、今まで彼氏などできたことがなかった。初めてできた彼氏が康介のような男だったのは不運というよりほかない。
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