天使が野良猫に襲われているっ!

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 ――ぎょっとした。  初めは何事かと思った。  気晴らしでうろつく散歩中、ケシャー、だなんて猫が威嚇する鳴き声が聞こえたから、なんだなんだと好奇心だけで来てみれば。  初めは鳥だと思ったんだよ。野良猫より一回りだけ小さくて、でも綺麗な二枚の白い羽根が見えたから。  白く綺麗な羽根だから、どこかのお家で飼われている高級な鳥なのかなって思って、だったら余計助けてあげた方がいいなって近づいたら、すぐに違うって理解した。  人のようだった。どっちかっていうと、幼い女の子が持っているようなお人形さんみたいな。  だってサイズがありえない。フィギュアみたいに小さいのに、でも動いていて、じっと目を凝らすとその小人があわあわと両手を振って野良猫を遠ざけようとしているから、本当に信じられなくて。  何度かその場で目をゴシゴシと擦って見間違いを疑った。  でも事実でした。  私はその日、天使を拾った。  ◆ ◆ ◆  駅から徒歩で十五分。親の仕送りはあったけど、安いアパートに住んでいる。地方の大学に通う傍ら、他にやることもあるのにソシャゲの課金とかしちゃうようなダメダメ学生なんですけども。  ふんわりとしたタオルの上で、ちょこんと座る彼女を見る。  大きさは十五センチもない。クリーム色の髪をしていて、白い肌。スタイルがいい。頭の上にはちゃんと光の輪っかがあって、背中には大きな羽根が二つもあって、かわいい服装をした少女がそこにいる。 「君は、何者なんですか?」  どこか緊張したみたいにそこに座っている天使は、物珍しそうに私の部屋を見渡していて、時折羽根がばさっと振るえるから私はちょっとだけドキッとしていた。  野良猫に襲われてる時は勢いで拾ってきてしまったが、私も何故か正座で座り、おっかなびっくりと慎重に尋ねる。  こくん、と小首が傾げられた。 「え、かわいい……」  じゃなくて。  もしかして言葉が通じていないとか? それとも喋れないとか。  うー、小人の対応なんてわからない。というか実在してる驚きに正常な思考ができない!  なんだこれ! 天使!? だよね!? いや天使って手のひらサイズなんですか!?  それにかわいいがすぎる。美少女フィギュアが動いているようなもんじゃん、精巧すぎるじゃん、だって本物だもん……。  お顔をもう少し見てみたいけれど、覗くのも少し恐れ多くてあまり直視できない自分もいる。  あとコミュニケーションの取れない相手ってこわい、本来ペットとかの動物もそうなんだろうけど、相手が人と同じ形な分、なんかうまく言えないけど、ちょっとだけまだこわい。  バサッとまた、右側の羽根を少しだけ広げて閉じた。  この行動はなんだろう? 急に大きく動くからびっくりする。 「どうしたの……?」  恐る恐ると顔を近づけて様子を見る。天使が私の顔を見ると、ぶんぶん!っと大きく顔を振って『気にしないで』みたいにしてくれたけど、またバサって急に開いた。  顔をしっかり覗いていたからか、彼女がちょっとだけ痛そうな顔をしているのに気づいた。 「も、もしかして怪我してる? ちょっと見せてもらってもいい?」  ドキドキする。気にしないでというならこれ以上触れない方がいいのかもしれないけど、これも人と同じ姿だからか、余計なお世話になっても聞いてしまう。  私がおずおずと両手を伸ばすと、天使が不安そうにしたのに気づいた。 「ごめんね、ちょ……っとだけ触るよ?」  優しく触れて、そう語りかけながら羽根を広げる。と、白く美しく見えていた羽根の内側、神経の繋がる関節の部分近くに、小さな引っ掻き傷があった。  たぶん野良猫がやったんだろう。  わあああ、どうしよう!  血は出てない。少し痛そうだけど、軽い引っ掻き傷には見える。でも天使ちゃんが時折見せるように、気になるほどには痛いんだろう。  私が少しわたわたしちゃっていると、天使がその小さな手をぽんと私の指先に置いた。  目を配ると、まるで大丈夫って言わんばかりにサムズアップで心配させないようにしてくれる彼女がいて、私はついにへたり込む。  ええー……申し訳ない。天使ちゃんに余計な気を使わせるって。  ちょっとだけ情けなくて、ごめんねって溢すと、天使ちゃんはすくって立ち上がってサムズアップしながら、バサって大きく羽根を広げてくるりんと回った。  その可愛らしい動きにちょっとふふって笑いながら、でも無理させちゃって申し訳なくなっちゃって。 「傷が癒えるまで良かったらここにいてね。野良猫もしばらくしたら居なくなると思うから」  天使ちゃんは大きく頷く。  彼女は再びちょこんと座った。  かわいいなあ。すごく、かわいい。  ずっと見れちゃうけど、でも彼女の視点で考えると巨人にずっと見つめられるって怖いだろうなって思うから、あんまり見れなくてもどかしい。  とりあえずあんまり緊張させないように、自由にさせてあげよう。  スマホでもいじろうかな。いや、課題進めないと……面倒くさいなあ。  鞄から荷物を取り出そうと立ち上がった矢先、天使ちゃんが一箇所をじーーっと見てるのに気づいた。  見惚れるみたいにちょこんと座りながらも、目をキラキラとさせてよだれがたれかけているみたいな食いつきに、思わず失笑しながら目線を追う。  あれ、好きなのかな。 「林檎食べる?」  実家の仕送りの中にあった林檎だ。天使ちゃんはコクコクと何度も頷いてひもじそうにしてるもんで、私もちょっと嬉しくなりながら包丁とまな板を用意する。 「危ないから離れててね」  きゃー、なんて調子で楽しそうに包丁から距離を取る天使ちゃんを横目に。  うーん、どれくらいにカットしよう? 普通に切っちゃ大きすぎて食べれないよね。  小さく角切りにしてあげれば食べれるかな?  半分は冷蔵しとこ。もう半分を四等分したあといつもの形に切り分ける。 「まだおっきいんじゃない?」  自分の上半身くらいある林檎を持ち上げようとして苦戦してる天使ちゃんからそれを受け取って、そうだなあ。五ミリサイズに切っちゃおう。  なれない作業だ。でも天使ちゃんに食べてもらいたいから頑張る。 「はい、どうぞ」  四等分したうちの三つは私が頂こう。自分の両手で持てるくらいの小さなサイズになった林檎に、両手を広げて目を輝かせる天使ちゃんはぺたんと座って食べだした。  そうだよね、たぶん天使ちゃんからみたら天国なのかもしれない。山盛りだもん、林檎の五ミリカット。  両手で抱えて、それでも大口でもっくもっく食べ始める天使ちゃんが可愛くて気持ち悪い笑い方しちゃう。  いかんいかん。 「美味しい?」  こくんっ!って大きく頷いてくれて、私も満足。  しゃくり。美味しい林檎だね。  じゃあ課題進めますかぁ……。  天使ちゃんが夢中で林檎を食べてる傍ら、レポート用紙を広げて課題作業を進める。  ふー……集中できるかな。隣の非日常が気になりすぎて仕方ない。  がんばる。  ……しばらくして気付くと、林檎の山はなくなっていて、天使ちゃんはまだ飛べないからか、テーブルの上をうろちょろとしていた。  色々気になるものばかりみたい。  私が用紙と筆箱を広げていると、筆箱を勝手に漁ったりする。赤ペン消えたと思ったら持ち出してたんだもん、困っちゃうけど、ちょっとかわいい。  何をするつもりだったんだろうか。  テーブルの上にスマホをおいていたら彼女はその上に乗って、なんでかわからないけどインカメラにしていたりするし。  足元に映る自分の姿に、ちょっと変顔したりポーズを決めて、カメラの裏側の自分を興味深そうに遊んでる。  音が目立たないんだろうけど、ずっと連写状態だった。  かわいい。  見るもの全てが新しいのかな。 「……天使ちゃんは、お名前はあるの?」  ふりふりと首を振った。伝わってないのか、本当に名前がないのかな。  何かいい名前をつけてあげたいなって思うけど、あんまり思いつかないなぁ。  ネーミングセンスの無さがうらめしいと時々思う。ちょっと考えておこう。 「どこから来たの?」  その質問には、ぴこん!って反応するみたいに立ち上がり、窓辺から見える空を指差してて……。 「何しに来たの?」  今度はほっぺたを人差し指でつきながら、体全体を使って『うーん?』っていうみたいに、はてなマークを浮かべているようだった。ついつい笑ってしまうと、今度は怒ったみたいに両手をぶんぶんする天使ちゃんが可愛すぎて、つらい。 「じゃあ、帰らないとね」  こんなかわいい天使ちゃんだ。もし親御さんとかいたら心配してるに違いないだろうし。そう思って私がそういうと、でも天使ちゃんは優しく頭を振った。 「え……?」  天使ちゃんは、ジェスチャーする。人差し指で足元を何度も指して、そのあとぴょんぴょん跳ねて精一杯楽しさを表すみたいに。 「ここが、楽しいの?」  ザッツライト!って言われてるんじゃないかと思うほど大きなサムズアップと頷きを頂いた。  天使ちゃんとコミュニケーションが成立するとめちゃくちゃ嬉しくなっちゃうな。  ぴょんぴょん飛び跳ねて、楽しい楽しい言うみたいに、本当に楽しそうに飛び跳ねる天使ちゃんに、でも。 「そうかなあ……」  私は手に持っていたペンをごとりとおいて、呻くように寝転んだ。  小さなため息が出る。 「楽じゃないよー? 現実ってやつは」  時々自分がイヤになっちゃう。  今もちょっと、純真無垢にも楽しんでくれてる天使ちゃんを相手に、現実の厳しさを説くような大人になっちゃうのがイヤで。  天使ちゃんはぴょんっとテーブルを飛び降りて、寝転ぶ私の隣にきた。  髪の毛が顔に掛かってたみたいで、顔の隣まできてくれた天使ちゃんはおずおずと手を伸ばしてその一本を退けてくれた。 「ふふ、ありがと」  優しいね、天使ちゃんは。  はーあぁってため息をする。天使ちゃんはどこか伺う表情だ。  気にしなくていいのに。全部私が抱えてる問題っていうか、悩みっていうか、自分探しっていうか……。  むしゃくしゃする。 「私も羽根が生えてたらなあ」  天使ちゃんを見ていると、ふと、そんな言葉を漏らしてしまった。  今日は集中できる気がしない。久々に昼寝でもしようかな……窓は開けておいてあるから、天使ちゃんももしかしたら、この間にどっか行っちゃうかもだけど、それならそれで仕方ない。勝手に連れてきたんだもん、逃げたいと思うなら逃してあげなきゃ。 「ふぅ……」  深く息を吐き出す。目を閉じていると、すぐに眠気はやってきた。  よっぽど疲れていたみたいだ。  ――綺麗なソプラノが聞こえた気がした。  ピアノのような、落ち着いていて沁み渡る音。声とは思えぬ、楽器のような、心を癒してくれる音。  それはきっと天使ちゃん、だったんだろうか。  聴こえた時には、確認するよりも早く、その美しいような歌声に、私は意識を落としていた。  ◆ ◆ ◆  ――夢の中は自由だ。たぶん私が、今の私が、唯一自由に生きていられる、正しく夢の空間だ。  現実が辛い。問題しかない。  解決できない。やる気が出ない。  誰かが努力をしろと言う。  努力は過程だ。決して結果じゃない。だからその言葉に私はひどく吐き気を覚える。  頑張ることが嫌いだった。  いやちがう、私が興味のないものに対して強制させる周りが嫌いだった。  誰だって、好きなものがあれば打ち込めるのだ。勝手に努力は始めるのだ。そのことに対してなら、貪欲に学ぶことだってできるのだ。  大学に入ったのも、したいことがあったわけじゃない。将来的にそうした方がいいよっていう意見のままに、選んだ結果。だからやる気が続かない。  死んだように働くのなんてまっぴらごめんだ。私は私のために生きていたい。好きな人ができたら、その人のためにも生きていきたい。  でも私は家事なんてできないし。  高校までは許されていた。全部おかーさんがしてくれた。母は偉大だ、なぜ貴女はそこまで強いんだ。  私も子を持てばそうなれるのだろうか。  聞くのなんて、恥ずかしいからやりたくないけど。  勉強しなきゃ。大人にならなきゃ。現実を見なきゃ。心が尖る。  今日の夢は、自由じゃない。ちょっとつらい。  きっと根が張り詰めていたんだ。  だから少し、目を覚ますのがこわいと思う。天使ちゃんといる時間は、楽しかったから。  私はゆっくり、目を覚ます。西日にこの部屋は赤く染まる。  上体を起こした。そこには、書きかけのレポートと。まな板と。包丁と。  ……誰もいない、タオルが一つ。  テーブルの上にはそれしかなくて、でもちょっと強い風が、開いた窓から吹いたんだ。  窓辺に立ち、大きく翼を広げた天使ちゃんがそこにいた。  逆光に、頭の上の光の輪っかが、彼女の小ささなんて感じさせないほど大きく存在を際立たせていた。 「ああ」  きっと怪我も治ったのだろう。そのシルエットはとても大きく、空を駆けていけるものだ。 「もう旅立つんだね」  しかし彼女はふりふりと首を振った。ぱっと空に飛び上がり、私の目の前まで来てくれると、私のそのちょっと震えた人差し指を両手で摘まんでぐいと引っ張ってくれるのだ。  ――その行為に私は察する。 「……無理だよ」  君じゃ私を連れ出せない。  口を突いて出たその一言に、私は唇を噛み締めた。 「またね」  天使は落ち込んだような顔をすると、ぱっと離した両手に、……その窓辺から、去っていく。  深いため息がここに残った。
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