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Last.しじま
製作者として名乗り出た学人は、結局──────
何のお咎めも無かった。
【 Last.しじま 】
事態を重く見た『科学総会』は、一応、除名処分まで検討していたようだけど。
学人自身の功績や学人の立場、いわゆる上層部で『ドール』計画発案者の子供であることで、無期限の謹慎処分に落ち着いた。
謹慎中は勝手に依頼を受けることは勿論、科学技術に関しては全般、どんな形式でも自らが直に手を出すことが出来なくなった。せいぜい、『科学総会』経由での相談へ、アドバイザーに徹するくらいか。
もっとも。政治家などと同様に絶対『不老延命措置』を受ける義務、あるいは権利を与えられ、永らく科学に粉骨砕身で邁進せよと生かされる科学者に無期限の謹慎は果たして処分になるのかと問われれば、わからない。
この現代、一般人でも二十代の姿で八十九十を越えているなんて、腐る程いる。学人だってヨシキさんだって、年齢で言えばとっくに半世紀は生きているんじゃないだろうか。
ただ、ずっと世俗から隔離され、研究や開発だけの単調な日々の重ね重ねが、精神の成熟をより遅くしていることは否めないだろう。これはもしかすると、現代を長く生きる皆が抱える問題なのかもしれないけど。
北極圏の、研究設備が在る住居も取り上げられ、僕たちは学人が国籍を持つ国へ引っ越すことになった。
あの、爆破された『ドール』の研究施設が在る国に。
「気軽に、ヨシキさんとこへは行けなくなりましたね」
北極圏に在る『科学総会』と同じく、事実上は宗教にも特定の国にも属さない『地球総合霊園』は北極から延びる軌道エレベータを上り、天辺のポートから船に乗って行かなくちゃならない。
なので、前は好きに行き来出来たあそこにも、一つ行程を挟まなきゃ行けなくなった訳だ。
「別に良いよ。よっぴぃだって、いちいち来てほしくないでしょう。暇じゃないんだろうし」
『地球総合霊園』は、人が埋葬される先の、選択肢の一つでしかない。と言っても人は死ぬ。たとえ若いままで寿命を延ばし、子供が無いからとクローンに記憶を移して、存在を存続させても。粗方荷物の整理が終わった学人は、僕の淹れた珈琲で一休みしていた。
僕たちの新しい家からは、以前『ドール』の研究施設が在った場所が見える。昔は五感情報妨害技術を使ってまで隠されていた場所は、『ドール』の暴走で吹っ飛んだせいで明るみになり、今は機関そのものが引っ越したらしく跡形も無い。
だけど学人は、ここに居を構えた。
「『ドール』の中には、」
「はい」
「暴走せず、研究者たちを守ろうとしたんじゃないかって痕跡を残した個体も、何体か在ったらしいよ。……もう『マスター登録』がされてたのかな」
『ドール』は元来、自発的に人間へ危害を加えることは無いと言う。
けれどそれを覆せるのが、『マスター登録』だった。
『ドール』は『マスター登録』されると登録された人間を第一に考えるようになる。ゆえに主人に害が及ぶとなれば、人を殺せるのだ。
と、言っても刷り込まれた強い倫理観と論理的思考は、容易く人殺しさせたりしない。起動前に世間で常識、とされる知識も植え込まれていて、犯罪への加担は逆にマスターを止めるだろう。
……でも。
「ガーディはどうなったのかな。なぁ、甲斐?」
例外は在るし、やりようも在る。でなきゃ代理戦争に投入される計画なんて、考案されないだろう。
人間を直接狙わないなら、その攻撃で人が死ぬとしても可能だ。今回の件みたいに。
「……。続報は在りませんし、どうでしょうね」
「光熱水のほう、生活のライフラインを司る『マザー』の電脳は狙われてないしねぇ。さすが、“人間至上主義”だけは在る」
「“自然至上主義主者”とは違うんですか」
「違うよ。だったら真っ先に『マザー』を狙うでしょ。『ドール』と同じ規格の有機電脳を使っているんだから」
現代の生活を支えるライフラインは、ハッキングなどのテロ行為を防ぐため普通のインターネットなどで使われる電波と異なり、人の脳波に質を限り無く近付けた電波を使って運用されている。統括機械は主要が一つとサブが幾つかで通称『マザー』。ガーディが『ドール』を狂わせられるなら、こっちのライフラインも同じこと。
「しっかし“ライフライン”と付くものを牛耳るのに、『マザー』と『ドール』、同じものを使うのはどうなんだろうねぇ。ああ、けど、」
学人が言葉を切った。
「今回のことで、影響を受けなかった『ドール』の解析が進めば、もっと強固な有機電脳が『マザー』に採用される、か……。
────まさか、……」
揶揄する調子で、カップを回して話していた学人の口と手が止まった。目を見開く学人を眺めて、僕も同じことに思い至っていた。
まさか。
今回のことは、ライフラインに従事している電脳のセキュリティを試すためのテストに利用されたんじゃ────だから学人の開発も見逃された?
本当に『科学総会』は何も知らなかったんだろうか。たかがテロリスト如きの所業を見過ごしたのか。
僕は学人を見る。学人も、僕の視線に目線を上げた。
「まぁ……、今となっては知る由も無いけどね」
学人が苦笑する。僕は首を傾げた。学人程の人間なら、果てに追放されようと、伝手は在りそうなものだけど。
「監視の目が在るんじゃないかなぁ、きっとね」
カップを持つ手とは反対の手に在る携帯端末を、学人は掲げた。学人のゆるい笑いに、ああ、と僕も得心が行った。
あれだけの騒ぎを起こしたのだ。完全放免とは、行かないんだろう。
「僕は、僕の出来ることをするだけだよ」
今、学人はアドバイザーの領域内の権限だけで、ある開発に着手していた。
“暴走した『ドール』を停止させるコード”
暴走させられるなら、止めることも可能だろうと、ガーディの製作記録や音声データを各国の『ドール』研究施設に向けて共有ソースとして公開している。
今回の件で有機電脳の堅牢性が覆された訳で、各研究施設は蟻の巣を突付いたような大騒ぎだ。
内々で処分された学人の事情は秘匿とされてしまっているので、名目は実験したことが在る科学者からの提供となっているけれど、みんな真偽はともかく藁にも縋りたいのだろう。
学人のところへは引っ切り無しに、いろんな国から質疑が飛んで来る。引っ越し直前まで携帯端末で応対していたくらい間が無い。
今だって。
「はい────“ああ、”」
お気付きだろうか。途中から言語が変わっているのだ。
もう犬の僕はどこの国の言語なのか判別出来ない。似ているけど差異が在ったり、全然違ったり。聞いただけで二十は越えている気がする。
何でわかるんだ。喋られるんだ。学人に訊いたら「え、英語をベースにヨーロッパ圏を覚えて行けば何とかなるよ。主要は基本英語だし。あ、あとロシア語ね」……わかんない、わかんないよ、学人。
忙しそうな飼い主の珈琲を、僕はちらりと盗み見た。うん、これは完璧冷めたな。
僕は精力的に自身が片したキッチンで、珈琲を淹れる準備をする。
開いた段ボールを置いたソファの背に腰掛けて、何処かの国語で話す学人。僕は、ふっ、と息で笑う。
絶対、学人のことはゆるされないだろう。
どこまでも償いにはならない。こんなこと、学人もわかっている。
わかっているから、ここに越して来たんだ。自己満足と罵られようと。
学人は罪と向き合いながら、贖うと決めた。
僕も、そばにいたいと思う。
時に転んだら差し伸べられる手を、起こしてあげられる手を、慰められる手を、得られたのだから。
この四肢をフルに使って、学人と言う子供染みた飼い主の隣で、彼のために尽くそうと思う。
まずは、手始めに。
「……」
僕は無言で学人に新しい珈琲を淹れたカップを差し出した。
学人も端末の向こうと議論を交わしつつ、冷めた残りを律義に飲み干して、空のカップを僕に渡すと新たなあたたかい珈琲を受け取った。
珈琲も淹れたし、忙しい主に代わって、片付けでもしようか。
僕は学人の傍らに在る段ボールを手に取った。
【 了 】
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