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melancholy dog.
この世界は、とかく“人間至上主義”だと、よく二人の知り合いが言っていた。
一人は、僕を人間に造り変えた人。そのせいで、彼は科学者でありながら科学者や科学技術を管理する団体『科学総会』から科学者としては除名されて、追放された。
一人は。
「甲斐ー、珈琲」
「……はい、学人」
僕の、飼い主。
【 melancholy dog. 】
「あぁっ、もう! 報告書、超面倒臭い!」
僕の淹れた珈琲を片手に喚き散らす学人へ、苦笑を浮かべた。目敏くそれを見咎めて「何、」僕を睨み上げる学人に、しまった、と思った。
「くそ、お前も僕を莫迦にしているな?」
「まさか。滅相も無い」
学人が、まるで酔っ払いの絡み酒みたいに僕へ因縁を付ける。僕は両手を挙げて無実を訴えた。
「嘘臭い顔しやがって、“犬のくせに”……くっそぉ、屈め」
机に向かって座る学人が、傍らに立つ僕へ床を指して命令する。僕は「屈め」繰り返され、目線を逸らしつつ言われた通り、しゃがんだ。
「あーっ! もぉぉぉおおっ」
途端に学人が抱き着いて来た。僕は何もせず、抱き返すこともせず、されるがままだ。おとなしくしていると、学人の手が僕の頭を撫でた。
「あー、癒しぃ。お前を引き取って一番良かったの、コレだよなぁ。……あー、良い手触りっ」
抱き締めた僕の頭をぐしゃぐしゃに撫ぜる。御蔭で長い髪が乱れるが、僕は抵抗しない。学人の手が、天辺の耳を撫でても。
唯一、僕の『犬』だった名残を尻尾と残す、耳。耳は、尻尾に次ぐ学人のお気に入りだった。
僕は『犬』だった。ある日勝手な人間の都合で棄てられ、死に掛けていた。
あの時分は仔猫だった『凪緒』といっしょに。雨で寒くて、僕より脆弱だった凪緒はどんどん衰弱して行って。犬としては老いていた僕も、体力の限界だった。
そこへ通り掛ったのは、原田ヨシキと言う人で。
科学者だった。
ちょっと偏屈で、自分は人間が嫌いで、人非人だと思い込んでいる奇特な人だった。だから、僕らを拾うのも、僕らを助けるのも何かと理由を付けていた。
死に掛けだから実験に丁度良いとか。普通の処置だと死んでしまう僕たちを助けるために、当時研究していた技術を使って人間にしたことも。
「別に人間にしたくてしたんじゃないけどな……偶然そう言う研究だったんだよ」
今の人間は人口の比率がおかしくなってしまっていて、改善するために科学至上主義になっていて、科学者が事実上実権を握って科学が世界を支配していると言って過言じゃなくて。
人間は保護されて、戦争も人間に似た“人間でないもの”が、代理戦争しているそうだ。
「ま、お前らは副産物だ。悪いな」
言ったヨシキさんは、仏頂面だった。
こうして僕と凪緒はヨシキさんの成功例、実験の成果物になった訳だけど。何とヨシキさんは『科学総会』から追放された。“さすがに動物を人間に変えるのは動物愛護の観点から如何か”と、『擬人化技術』と名付けられた技術は禁術指定され、封印された。
けれど、ヨシキさんと学人の話では、別の意図からなのだと言う。
“余りにも、動物を人間に近付けさせ過ぎた”
人間に身体構造を近付け過ぎたせいで、今や独身者には強制的に死ぬことはおろか、老いることすらもゆるさず人口均等の回復に努めている世界には“打撃を与え兼ねない”。
つまり所有者が擬人化動物へペット以上の感情を持って、子も残せないのに肩入れし過ぎて、人口減少へ拍車を掛けてしまうだろうと。
「『ドール』は生殖機能が無いだけでなく、生殖器そのものが無いから、良いんだろうけどな」
生来から生き物である以上、擬人化動物には在るに決まっているから。
“世界に仇成す技術を作った”と科学者を辞めさせられたヨシキさんは今、地球外に在る死者のための人工惑星『地球総合霊園』の管理者をしていた。時折僕たちも遊びに行くけど、「散々、この俺様を干すなんて余程莫迦だと思ったけどな。生者に地球を明け渡すための人工星は、静かで良いぞー。人間がいないからな!」と笑って結構エンジョイしていた。
仔猫から少女になった凪緒は、メイド姿でヨシキさんに仕事を仕込まれている。ヨシキさん曰く「俺様が楽に扱き使うため」だそうだけど。僕は知っている。
ヨシキさんは自分が死んだときのために、凪緒が困らないようにしているのだと言うことを。
本当に、複雑な人なんだから。
まぁ、それは……。
「……。よし、がんばろう」
気が済んだらしい学人が僕の肩を押した。体を離すと気合を入れ、僕程では無いけど長めの髪を纏め直す。僕は特に何も言わず、じっと一連の流れを眺めていた。すると、学人が横目で僕を捉え。
「あ、もう良いよ。早く戻って仕事しなよ」
学人はこっちを向かず、手でしっしっと僕を追い払う。僕は一つ嘆息して、場を辞した。
“甲斐。アイツには、お前が必要だと思う”
ここに連れて来られたとき、ヨシキさんが『地球総合霊園』へ行く前。
学人の家の前で告げたこと。
“凪緒じゃ駄目なんだ。多分、犬のお前が良いと思う。……ま、アイツは、学人は、大人振ったお子様で、お前は犬だったとは言え大人だからな”
頼んだぞ、と小さく零したヨシキさんは、インターフォンを押した。
忘れもしない初対面。
“あっれー! めずらしいじゃん、『よっぴぃ』!”
出て来た学人は、笑顔で僕とヨシキさんを出迎えた。明るく、ヨシキさんのことを“よっぴぃ”なんて独特の渾名で呼んでいた。けど。
“……”
その目は冷ややかで。
ああ、この人はヨシキさんとは真逆だ、と悟った。
ヨシキさんは、とことん対人を避けて子供みたいに傍若無人なくせに、利己的になれず他者を棄て切れない人だった。
明るく人当たり良く、垣根無く他人と仲良く出来る学人は、本質では人を厭い見下し拒絶していた。
確かに、凪緒では駄目だろう。
この人は、そばにいるだけでも、重過ぎる。
僕はごく微小な物音に気が付いて耳を動かす。次いで洗濯物を畳んでいると背中に重みが掛かって、前屈みになった。さっきまで書斎にいた学人が寄り掛かって来たのだ。
「終わったー! 終わったよぉおおお!」
『科学総会』への研究経過の報告書が終わったらしい。背中にぐりぐりと顔を押し付けて来る学人を放置して、僕は作業を再開した。が。
びくっと体を震わせる。振り返れば、僕の背中からずり落ちて寝っ転がっている学人が、僕の尻尾を予告無く揉んでいる。
「……」
触るのは良いけど、一言言ってほしい。抗議したところで「え、何で犬のきみを、僕が気遣わなきゃいけないの?」とか言い出すだろうとわかっているので、しないけど。僕はまた一つ、溜め息を吐いた。
人間相手に学人は丁寧だ。関わりたくないからこそ善人を演じる。
僕には、素を出していた。
僕は犬だから。飼い犬だから。
「ねぇー、甲斐」
「何ですか」
「今日、ビーフシチュー食べたぁい」
「……。はいはい」
“アイツは、学人は、大人振ったお子様で”
「……違いない」
僕は深呼吸をして犬のときとは違う位置の肺の動きを感じながら、キッチンへ入った。
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