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2020年12月
「冬の花火大会ってさ、なんとなく特別感あると思わないか?」
ダウンジャケットを着た父の言葉に、俺はマフラーに隠した口で「確かに夏のイメージだな」と小さく返す。
「だろ。花火大会って夏ばっかだもんな。冬の打上花火なんか奇跡みたいなもんだよ」
俺の前に背中を向けたまま立っている親父は「でもさ」と言った。
「でもさ、冬に花火を上げちゃいけない理由なんて実はあんまり無いんだ。文化とか、空気が乾燥してるからとか、寒いから客が見るの辛いとかさ。そんなもんだよ。別にできないわけじゃない」
笛を吹くような音が聞こえて、微かな白線が空へと昇り、消える。
「だから奇跡なんてさ、要は自分が動くか動かないかってことなんだよな」
夜空に色とりどりの煌めく光の帯が幾本も垂れ下がる。少し遅れて、どん、と空気を打つ音がぶつかってきた。
「おまえ、アメリカに行くのか?」
唐突なその言葉に、俺は少し動揺して顔を伏せた。
「……知ってたのか」
「ああ。推薦状見つけてな」
親父が見つけたのはアメリカの名門大学への推薦状だ。
俺の発表した遺伝子工学のレポートが高く評価され「君は最高の設備と技術の整った研究室へ進むべきだ」と教授に渡された。
……行ってみたい、とは思う。
遺伝子は未だ解明されていない部分の多い分野だ。生物の生命の情報であり、身体を組み立てる設計図でもある。
その遺伝子を操作する技術である遺伝子工学の研究が進めば、人間の寿命を延ばすことも、新たな生命を生み出すことすらできるかもしれない。
それこそ、奇跡を起こすことも。
ただ、迷っていたのは。
男手ひとつで自分をここまで育ててくれた父親をひとり置いていくことだ。
「行けよ」
親父の声に、地面に向いていた視線を持ち上げた。
ダウンジャケットで膨らんだ背中が変わらずそこにある。
「アメリカにでもどこでも行ってみたいなら行ってこい」
「……いいのか?」
「まさか寂しがるとでも思ってんのかよ」
ふっ、と鼻から息の抜ける音が聞こえた。
「おまえはバカだな。父親が息子を必死こいて育てる理由を考えたことあるか?」
再び、白光は口笛を吹きながら空へと昇る。
親父はそれを見上げて言った。
「冬の空に、でっけえ花火を咲かせてほしいからだろうが」
空気を震わす轟音と炎光を放って。
背中越しの真っ黒な寒空に、大輪の花火が開く。
「……親父」
夜に浮かび上がる父の輪郭を見て。
マフラー越しの真っ白な吐息に、俺は言葉を乗せた。
「行ってくる」
あんたの背中よりデカいのを打ち上げてくるよ。
それは言わずに飲み込んで、代わりに俺は花火を見上げた。
「……綺麗だな」
顔の見えない父親の言葉通りに。
冬の澄んだ空に上がる花火は、奇跡みたいに綺麗だった。
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