おくりもの

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 その日は特別だった。  女神アルテアがこの世に舞い降りた日。  アルテアは慈母と愛の神で、その昔世界を悪しき魔物から救った伝説がある。  信仰深いカルテアの街ではアルテア降臨の日を祝いの日に定めており、夜も更けてきたというのに、大勢の人が大きな通りを行きかっていた。  一夜限りの出店が立ち、祭りのような賑わいを見せる。  空からはちらほらと淡く白い粉がしんしんと降り始める。  その光景は例年の恒例となっており、カルテアの民はアルテアの加護だと信じて疑わない。  空に向かって祈りを捧げるもの。雪に喜び飛び跳ねる子供たち。  誰を見ても笑顔を絶やさぬ。  その通りから離れた暗い小路から、男がその浮かれる民衆を眺める。  艶の無い灰色の髪。こけた頬に、くぼんだ眼。顎に無精ひげが見られる。  肌を粗末な薄汚れた服が覆い、足に黒いブーツを履いていた。  ただ、その服装から似合わぬ輝きを放つ銀色の十字架のアクセサリーを首から吊るして持っていた。  名はキース・リック。  この街で盗みに手を染めた悪党である。  キースは以前ここより遥か南方に位置するアデアという街に父と母、そして弟と一緒に住んでいた。  しかし、戦乱の火が彼の住む街に襲い掛かる。  全てを燃やし尽くす戦の火が、彼の住む家を灰にし、父と母を奪った。  逃げるように此処へ逃げ延びた彼ではあったが、浮浪の彼を雇う奇特な主はおらず飢えと寒さを凌ぐにはこうする他に手は無かった。  通りに居るものは彼の存在に誰も気づかない。  彼は通りに行くことなく、ただ傍観していた。  だが、その眼に宿るのは妬みなどではなく、どこか失望を感じさせるものであった。  やがて、一組の親子連れが彼の眼に映る。  父と母が、まだ年端もいかぬ男の子に対し、丁重に包装された大きな箱を子供に与えていた。  この日は品行方正な子供に、女神から贈り物が贈られるという風習がある。  それを見ると男は、チッ、と舌打ちをする。 (女神が行儀の良い子に、祝福をくれるというなら、俺にもくれよ)  心の中で毒づきながら、唾を地面に吐く。  くるりと踵を返して小路の奥へと消えていく。  通りとは違い、小路に明るさはない。  ゴミや動物の排泄物の臭いが立ち込め、浮浪者が座り込んで生きてるのか死んでるのかすら分からない。  キースは小路を突き進み、やがて表の道へとつながる。  そこは先ほどの通りのような賑わいは無く、レンガ造りの家が街路の両側に軒を連ねていた。  皆、今日に限っては祭りに夢中で家から出払っていることが比較的多い。  つまり、彼にとってここが一番の稼ぎ時なのである。  キースの眼が鋭く光る。  一軒、一軒を物色して回る。  だが、彼の眼に敵うような手頃な家が見つからない。  見つかっても、明らかに金品がなさそうな家だった。  この日は絶好の機会なので、彼は諦める事はしなかった。  そんな折、彼の眼に一軒の家が見える。  軒に連なる家々から、つまみ出されるように離れた場所に一軒。  侵入者防止のための石の塀が家の周囲に建ててあり、二階建ての赤レンガ造り。部屋の明かりはついていなかった。  ようやく、ご馳走にありつけると感じたキースは周囲を気にしながら  その家へと足早に向かう。  周囲に立ててある石の塀は、キースにとって何ら障害にならず、よっ、という掛け声と共に彼はその塀を簡単によじ登り、越えた。  越えた後は、その塀がキースの姿を周囲からの視線を守る目隠しとなる。  素早く表に回り、キースは袖から何かを取り出す。  それは先端が鋭く尖った細長い針であった。  玄関の扉の把手に手をかけ、鍵穴に針を差し込む。手慣れた様子でそれを細かく動かしていく。 (こんなめでたい日なんだ。俺にも少しその恵みを分けてもらっても構わないだろ)  鍵穴からカチ、と小さな音が鳴る。  キースは驚いた。意外なほどあっさり開いた事に。  これだけ早くカギを開錠出来た事は今まで無かった。 (これも女神さまのご意向って奴かね)  キースは把手を回し、ドアを開けると物音ひとつ立てず中へと侵入する。  中は外から見た通り、灯りがついておらず暗闇だけが部屋を支配していた。  少しずつ眼が闇に慣れてくる。そして、部屋の中を確認できるほどになると。 「なんだこりゃ!」  小声ではあるが、そう叫ばずにはいられなかった。  中には何も無かったのだ。  盗る物が無い、という次元の話ではない。物が何一つなかったのだ。  一階の各部屋を見て回るが、何も見当たらない。  これには流石のキースも顔をしかめた。  仕方ないので、二階も確認する事に。  やや急な勾配の階段を上り、直ぐに廊下が見える。  廊下に面した扉が一つ。あそこに何もなければ、キースは働き損である。  キースは完全に警戒を解いており、自身の足音すら消す気配がない。  堂々と、その家主の如く廊下を進んで、把手に手をかけ部屋の中に入る。 「誰?」  部屋から聞こえる幼い男の声。  完全に虚を突かれたキース。まさか、部屋に誰かいるとは思っても居なかった。  キースは咄嗟に太腿に忍ばせていたナイフを手に構える。  部屋の窓から差し込む月明かりが、その部屋の主である男の子を照らす。  その主と対峙すると、その男の子は十になるかどうかの幼さ。  夜着の格好をしてベッドで横になって上半身だけを起こしていた。  何か変な動きを見せれば直ぐに口封じを考えるキース。だが、目の前の子供に違和感を覚える。  こちらを見つめるのではなく、部屋全体に首を左右に振らしている。  見れば、その瞳が開いていない。 「お前……目が見えてないのか?」  思わず口に出してしまったキースは、直ぐに口を手で押さえるが。 「うん。僕目が見えないんだ」  男の子はキースの声をしっかりと聞こえていたらしく、返事をする。  その声からキースに対して何ら怯えている様子が無かった。  だが、そのことはキースにとって好都合であった。  目が見えていないのなら、自分の事は誰にもバレない。 「そうか。なら、俺がここに居た事は誰にも喋るなよ? 分かるな?」  最後の言葉は何処か念押ししたように強い口調だった。  子供はキースの言葉を聞くと。 「分かった。でも、オジサンに一つだけお願いしてもいい?」  ああん? と不快感を表す声がキースから漏れる。  子供の頼みもそうだが、何より彼はオジサンと言われた事に不快感を示していた。 「オジサン、外のお話聞かせてよ。僕、何も知らないんだ」 「何で言わなきゃならねぇんだ。それに俺はオジサン、ではなくお兄さんだ」 「分かった。お兄さん、聞かせてほしいな」  全く気乗りしないキース。一応会話をしながら周囲に目を凝らすが、ここにも金目のものはない。  それどころか、この男の子一人とベッド残して何もない。  まるで生活感の無いその家に、キースは一抹の不安がよぎった。 「おい。父親と母親はどうした?」 「父さんとお母さんは、今日の朝から出かけたよ。それで、一杯の買い物して帰ってくるから今日の12の鐘が鳴るまで帰ってこないって」  男の子は嬉しそうに語る。だが、キースはむしろ憐憫な表情を浮かべた。 (クソな父親と母親か)  胸から湧き上がる負の感情。だが、キースとてこの子に何かしてやれるわけではない。  自分自身、生きていくのでやっとなのだから。  僅かな同情心がキースの中で芽生え始める。 「おい、何が聞きたいんだ?」 「あれ? オジサン良いの!」 「オジサンではなく、お兄さんだ。覚えとけ」  キースは部屋の床に腰を下ろし、子供に語り始める。  吟遊詩人のようにその口は軽く、誇張な偽りを絡めながら子供に聞かせる。  キースの嘘八百な物語に、子供は全く疑うことなく耳を傾ける。  キース自身、いつの間にか子供と語り合うのが楽しくなっていた。  やがてキースの語りは終わりを告げる。  子供は満足そうにキースに対して拍手を送る。 「すごい、すごい! 面白かったよ!」  言われて悪い気はしなかった。  キース自身、これほど穏やかな気持ちになったのは何時以来だろうか?  そう、それを遡ると、不意にキースの表情は暗くなる。 「ねぇ、今度はオジサンの話聞かせてよ」 「俺の話?」 「うん。オジサンって何処から来たの?」  先程の話の熱が冷めないのか、嬉しそうにそうねだってくる。  しかし、キースの返事はない。 「やめとけ。俺の話なんて聞いても面白くもねぇよ」 「面白いとかじゃなくて、知りたいんだオジサンの事」  何も汚れを知らぬその声。  何故かその声を聴くと、無性に言いたくなるキース。  それは幼い男の子にある面影を重ねていた。  やがて、キースは語り始めた。 「坊主、今日が何の日か知ってるか?」 「うん。女神アルテア様が舞い降りた日だよね」 「そうだ。坊主は、女神アルテア様を信じるか?」  男の子は今まで一番大きな声で、うん、という。  それに対してキースの眼は憐れむ感情を見せていた。 「坊主。女神さまを信じるのは良い。だが、信用してはいけない」 「どういうこと?」 「女神さまは、何もしてくれない。そう『俺たち』のような奴にはな」   子供はうーん、と唸る。頑張って意味を理解しようとするが、分からないのだろう。  キースはそれを全て言うつもりはない。ただ、少し感じて欲しかった。 「昔、こう見えて俺はアルテア様の信者で、神官だった」 「ええ! すごいオジサン! 神官だったの!」  子供は手を口に当て大仰に驚く。  それもそのはず。アルテアの神官というのは、ごくわずかに選ばれた人間にしかなれない希少な職業。  上手くいけば、一国の司祭として迎い入れられ、莫大な富と名誉を得ることができる。 「ああ。毎日アルテア様に祈りを捧げ、この身は全てアルテア様に捧げていた。そうすることで全て救われると信じて疑わなかったからだ! だが……それは違うんだ」  キースの熱を帯びた声が一気に冷める。  その顔が一層歪み、胸に持っていた十字架を強く握りしめた。  男の子はそれを見ることはできないが、キースの言葉から何か気配を感じていた。  何らかの出来事を。 「俺には、幼い弟がいた。もし、生きていればお前ぐらいの歳にはなっていた」 「生きていれば?」  キースの顔が悲痛に歪む。  悔しさから、歯がギシリと鳴る。 「死んだよ。俺と弟はこの街に戦火から逃れるためにやってきた。弟は五歳になったばかり。到底働ける事は出来なかった。そして、俺も神官としてアルテア様に祈りを捧げながら今の暮らしがなんとかなるように祈った。願った。だが、アルテア様は何もしてくださらなかった。衰弱していく弟に俺は何もしてやれなかった」  キースは思い出す。  この寒空の中、路地で飢えと寒さを何とか凌ごうと頑張ってきた自身と弟。  だが、現実は無情だった。  屋根の無い路地で、しんしんと降り積もる雪に耐えながら体を寄せ合い、寒さと飢えを凌ぐ。  キースは弟の為に悪行に手を染めようとも考えた。  だが、その時はまだ女神に仕える神官の誇りが彼を止めた。  やがて弟の呼吸が弱まり、うわ言で自分の名前を呼び続ける。  弟の為に必死に他の家を駆けまわり、頭を下げて食料や寒さを凌ぐものを頼んだ。  だが、くれるのは心無い罵声だった。  罵声だけならまだいい。悪い時には水を掛けられそうになった事もあった。  結局、やせ細り、死の淵に居る弟に対してキースは祈りを捧げる事しかできなかった。それは救いの祈りではなく、死を弔う祈りにしかキースには思えなかった。 「弟は憎んでるだろう。こんな不甲斐ない兄のせいで、自分が死んだんだから」  キースの独白が終わると、その眼にうっすらと涙が浮かんでいた。  こんな小さな子供に、何かを理解して欲しいという気持ちは無い。  ただ、キースは誰かに聞いて欲しかった。 「大丈夫だよ、オジサン。アルテア様はきっと見てるよ」 「何?」 「きっとその弟さんも、オジサンの弟でよかったと思うよ。死んだのはオジサンのせいじゃないし、オジサンは弟さんの事をとても大事にしてくれたことをきっと覚えてるよ」  子供は胸の位置で十字を切る。それは女神アルテアに祈りを捧げる仕草であった。  そして手を組み感謝をするように頭を垂れた。  その行為に、キースは腹が立った。 「何故女神に感謝をする。何も感謝するような事は無かった筈」 「あったよ。こうしてオジサンと会えた事」 「俺と……会えた事が?」 「うん。これはきっとアルテア様からの贈り物なんだ」  キースは子供の言葉に、今日の事を思い出す。  言われてみれば、この家を選んだのも、そして施錠が簡単に開いたのも、もしかすれば女神アルテアが、不憫な子供に対して自分を差し向けたのかもしれない。  そんな事が頭によぎったが、直ぐにバカげた話だ、と一蹴する。  考えていると、外から鐘の音が鳴る。 「どうやら、終わりだな」  キースがボソリと呟く。 「うん。もうすぐお父さんとお母さんが迎えに来るから、オジサンは出た方が良いよ」 「そうするか……坊主。元気でな。それから、暇な時は来てやるよ」 「本当! ありがとう」  子供の頭をくしゃくしゃと撫でまわし、最後の別れをするキース。  そして、部屋の把手に手をかける。 「じゃあな。元気でいろよ坊主」 「うん。キースお兄さんも元気でね!」  手を振る子供に、少し名残り惜しい気もしながらキースは部屋から出た。  廊下に出ると、一目散に家から出ていく。  外は未だに空から雪が漂う。思えば、こんな夜だった、とキースは上空を眺める。 「ったく、俺もどうかしてるぜ……」  盗む折角の機会を子供と会話をして終わる。  何の収穫も得られなかったキースではあったが、その心はどこか晴れやかだった。  自分の根城である暗い路地に足を運んでいる際、もう一度子供のいた家の方を向いた。  しっかりと記憶しておこう、と振り向いた先。 「――え?」  口を大きく開けてキースは足を止めた。  先程まであった立派な家は、廃墟と化していた。  石の塀など無く、家は原型をとどめず、長年の風化によって跡形もなく崩れていた。  慌てて、近くまで駆け寄るキース。  場所はあっている。では、先程まで見たものは何だったのか?  必死に記憶をよみがえらせるキース。 「そういえば……」  引っかかった事があった。  些細ではあるが、それは確かにあの時子供は言った。  "――――うん。キースお兄さんも元気でね!"  そう、男の子は言った。キースの名前を知らないというのに。 「ああ……ああ!」  頭を抱える。  どこかで見た事ある顔。それを思い出す。  全てを悟ったキースはその場で崩れ落ち、延々と泣き叫び出した。  大の男が恥も外聞もなく、大きな声で。  そして、胸で十字を切り、震える手で祈りを捧げた。  彼は感謝した。その贈り物に。
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