おいしいごはんの食べ方

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 特に何かを話すわけでもなく、二人はメインディッシュを消化し始めた。  プロポーズを切り出すにはメインディッシュか、それともデザートの時か、一体どちらがいいのだろう。やはりメインディッシュ、いやいや仮に考えたくもないが返事が「ごめんなさい」の場合は最後のコーヒーの時に切り出した方が気まずい思いをせずに食事を終了できる――なんで言い出す前に、断られた後の雰囲気の心配をしているのだろうか。いやいやいや、その前に、だ。  レストランガイドブックは星の数ほどあるのに、何故プロポーズガイドブックなるものは存在していないのか! 今度出版社に問い合わせよう。亮太は密かに決心した。 「美味しいね」 「あ、ああ。そうだな」  贅沢は言うまい。しかし、せめて牛ではなく鶏にしてほしかった。赤ワインではなく醤油で煮てほしかった。いっそタクアンを出してくれ。さっぱりする。 「まあその、私は料理できないし」  雪美はブッフ・ブルギニョンをフォークで軽くつついた。 「当然ながら、こんな焼き肉料理なんてできないし」  煮込み料理です。赤ワインで煮込んだ牛肉です。わざわざ指摘する気も今の亮太には起きなかった。 「かといって他の家事が良くできるわけでもないし、むしろ君の方が家事全般得意だよね。お爺さんと長い間二人で暮らしてきたんだから」  殺しても死なないような爺さんだった。それが思い込みに過ぎないと知ったのは、つい二週間前。憎らしいまでの笑みをモノクロ写真で見た時だ。 本人の遺志を尊重してしまったので葬式を挙げることすらできなかった。あの年代には珍しく、位牌もいらないときた。仏壇もないので部屋は何一つ変わらなかった。 ついに一人になったのだと実感したのは朝食を取った時だ。一人分の食卓。市販の漬物を一口かじって亮太は泣きたくなった。しょっぱい。 「私じゃ得になることはあんまり……ない、かもしれない」  何やら込み上げてくるものがあるらしく、雪美の声は段々尻すぼみになる。自分で傷口を抉っているようなものだ。雪美の料理音痴は今に始まったことではない。 「でも、一緒に美味しいものを食べるくらいはできるよ」 喪が明けてないのにこんなこと言うのは不謹慎だと思うけど、と前置きしてから雪美はたたみ掛けた。 「毎日おはようって挨拶して、仕事の愚痴や悩みを言ったり聞いたりして、たまに喧嘩して仲直りして、休日には映画を観たりして――私は全然家庭的じゃないけど、それくらいならできるよ」  窺うように雪美がこちらを見る。対する亮太はというと、ぽかんと口をあけたまま硬直する他なかった。思考停止。後になって言葉が脳に浸透してくる。しっかりと染み込むまでに一晩も必要はない。五秒で十分だ。 「え……あの、雪美?」  確認するように呼べば、彼女は少し困ったように微笑んだ。察してよ、と言わんばかりに。ここまで言わせないで。  嘔吐感はどこへやら、亮太はグラス一杯の水をかっ込んだ。真正面から雪美を見据え、深呼吸を一つ。 「……よろしくお願いします。末永く」 「それ、私が言う台詞」  雪美は小さく吹き出した。 「先に『結婚しよう』でしょ?」  とりあえず、プロポーズガイドブックを出版社に問い合わせる必要は全くなくなった。
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