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「ねぇお兄さん、僕を三万で買ってよ」
女のような線の細い体に、長めの黒髪を首の後ろで雑に束ねた男は、公園のベンチで一服していた男へ猫のように擦り寄った。
タバコを吸っていた方の男は、その耳障りな声に顔を顰める。大方、それが意味することが分かったからだろう。人肌恋しい季節になると、こういう輩も多くなる。
「嫌だ」
男は紫煙と共に、拒絶の言葉を口から吐いた。
「僕、こう見えても上手いよ?」
ニンマリと笑いながら、青年はそう言った。
「そういう問題じゃ無い」
男娼なんて、買う方が珍しい。だが、掴み所ないその青年の容姿は類を見ないほどの美しさで、きっとそっちの気が無い者にも、諭吉三枚など簡単に出させてしまう力があった。
だが、言い寄られた男は微塵もブレることなく、その青年を追い払おうとした。
だが諦めの悪い青年は
「僕の売る春を買ってよ」
と強請った。そんな男娼に
「どれだけ春を売っても、愛は返ってこない」
そう苦々しげに答えた男は、これで話は終わりだとでも言うようにタバコを揉み消し、公園から立ち去ろうとした。
「待って!なら、あんたが僕を愛して」
縋るように男の袖を引いた男娼は、無意識な色気を伴っていた。しかし当の男はその色気に一ミリも興味をそそられぬかのように眉を顰める。
「僕の源氏名はオオカミ。昔の恋人が別れ際に付けたんだ。イソップ物語のオオカミ少年みたいに、嘘まみれで、どうせずっと独りぼっちのまんまだって」
男の袖を離すまいと強く握ったまま、下を向く男娼は言った。そこには数分前の余裕綽々とした姿はどこにも無かった。
「それでも、こんな嘘まみれな僕を愛して欲しい」
これも嘘かもしれ無いけど。そう悲しそう付け足した男娼は静かに笑った。そして全て話終わった後、脱力したように男の袖から手を離す。
「信用とは己の行動で出来ている」
そこまで黙って男娼の話に耳を傾けていた男は、ベンチに座り直しながら一言だけ低い声で呟いた。
それから、手からぶら下げていたコンビニのレジ袋から肉まんを二つ取り出し、その一つを男娼に突きつける。
「くれるの?」
恐る恐る肉まんを受け取った男娼は、男に手を引かれ、その隣に座らされた。
「本当のことなど、自分が分かっていればそれでいい。が、愛されたいと願うなら、言葉じゃなくて行動で示せ」
男はそう言って、まだ温かい肉まんを食べようとした。
その時、不意に横からその肉まんに齧りつかれた。
大胆な一口を頬張った男娼は、ニンマリと笑いながら
「なら、オオカミの僕に喰われる前に、あんたが僕を、骨の髄まで喰らい尽くしてくだしゃんせ」
と歌うように言った。
「了解」
そう頷いた男は、今度は男娼が手に持つ肉まんを一口奪った。
惚れた腫れたで始まる恋もいいが、こんな関係から始まるのも悪くは無い。二人はお互いに一歩も譲らない矜持を抱えながら、喰らい合うのだろう。
さて、季節に春が来るのと、二人に春が来るのとでは、どちらが早いだろうか?
まだ凍える冬は始まったばかりだ。だけど、ただ一つ。寒くは無くなった。
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