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のうねん
雨上がりの森に広がる湿った枯葉の匂い。物心ついた頃から、その匂いが好きだった。僕が住む集落の周囲には木立が密生している。そのせいでこの匂いは何処にも逃げることなく閉じ込められている。
木々の隙間から見える夕日を見つめていると、苔むした大木の陰から姉が姿を現した。
「お姉ちゃん、大事な話って何?」
目の前に立つ姉にそう問い掛けると、「あんた、明日で十歳よね?」と質問で返される。
「そうだけど、それがどうしたの?」
「今からお姉ちゃんが話すこと、誰にも言わないって約束できる?」
眉間に三本の溝を作りながらそう言った姉は、周囲を伺いながら僕の耳元に口を近づけた。
「のんねんって……知ってる?」
「のうねん?」
聞き覚えの無い言葉に首を傾げると、姉は僕の手を取り、人差し指で掌に文字を書き始めた。
「くすぐったいよ」
僕がそう言って身を捩らせても姉は無表情で文字を書き続けている。
「脳みその脳に……念仏の念。これで脳念って読むの。自分の血で念という文字を百八文字残せば、健常者に意識を遺して生き続ける事が出来る」
「何それ。怖い話?」
姉の話す内容が理解できない僕は、掌を見つめながら訊ねる。
「二年前に亡くなった榎本のおじさん覚えてる? そのおじさんの脳念……今、私の中にあるの」
姉がそう呟いた時、僕たちが暮らす村から悲鳴が聞こえて来る。気のせいだと思いたいが、その悲鳴は母の声にしか聞こえなかった。
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