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 僕は大阪に単身赴任している。  しかし優子と籍を入れている訳ではないので、単身赴任とは呼ばないのかもしれない。ただ二人で過ごした年月といくつかの理由によって、僕と彼女の関係性は夫婦のようなものになっている。   「なんで結婚しないの?」  他所で知り合い、彼女との馴れ初めと現在を説くと必ず聞かされるセリフである。そう言う人はたいていその後「結婚は人生のゴール」であるとか、「老後の面倒をみてくれる子供を産むべき」などという一般論を振りかざす、底の浅い種類の人だ。また、少しでも窮屈な事があれば他人の所為にし、国や会社などの大きな存在がなんとかしてくれる、なんとかするべきだと平気で言い出す種類の人だ。  彼らの言うこの類の戯言は、妄想であると信じている。人と同じであるという事に安心感を覚え、それを幸福に感じる事は否定しない。でも僕自身の幸福は僕の基準と責任で選択するので、あなたの基準を押し付けないで頂きたい、と思うし、あなたは可愛そうだな勿体ないなとも思う、という話だ。  自分の人生に責任を持っているか、何があっても子や社会や国の所為にしないか、自己責任と割り切れるのか。他人を斜な視線で見下す事ができるか。そういった感性、価値観を彼女も持ち合わせており、このような話題では話が合う。  彼女の幸せは、結婚の先にないらしい。彼女自身が断言していたし、僕も彼女と接していてそうなんだろうなと思う。  そう思う理由の一つが、彼女が振り払える強さとでしか人と繋がらないという事。誰も話しかけなければ、おそらく誰とも繋がらないだろう。職場の人との出来事ややりとりなど教えてくれる事もあるが、それだけで、休日に誰々とどこどこへ行ったという気配はない。リアクションが薄ければアクションも少ない、なんとも掴みどころのない人なのだ。僕の友人を交えて遊ぶ事があるが、愛想笑いばかりで見ていられない。  もう一つ、彼女には人を信用するという発想がないので、結婚するという選択肢がそもそも無いらしい。女性がそう宣言する事は自分の責任で生きるという意思表示であり、世間一般への宣戦布告である。だが一人で生きる力は乏しく、経済的に僕に頼る部分が大きい。そういう気丈さと現実とのギャップに愛おしさを感じて、僕は彼女をなんとかしてやりたいし、それをできるのは今一番近くにいる僕しかいないと思っている。そんな僕も、世間一般の基準に当てはめれば彼女に信頼されていない訳だが、それで良いのだ。僕の事は後で書く。  また彼女は料理や掃除をしない。そういう家庭で育ったから、と言っているが、僕がそうであるようにこれに関しては必要性を感じていないのであろう。その部分にも意思の強さというか、思想を感じる。女は料理をするもの、女は掃除をするもの、といった常識になびかず、面倒臭い、必要ないという感情が勝つのである。  まあこういった人は一般的な家庭に収まる事は無理だろうな。人一倍強い感性で他人とのギャップを感じ、かつ自意識は高く、生き苦しさを感じただろう。でも今は僕がいる。  僕はというと彼女に比べるとまだまだで、自分を保ち続けてはいたいのだが、いつか来るであろう他人からのバッシングを恐れている。思考が先行して、行動が追い付いていない。  歪んだ結婚観について、彼女の場合は他人に寄せる信頼感の問題が大きいが、僕の場合は、書類を書くのが面倒臭い、保険やらなんやらの手続きをするのが面倒臭い、親戚付き合いが面倒臭い、という理由が結婚しない原因に占める割合が大きい。ここに関しては思想は無い。そのくせ他人に何か言われるのが嫌いなので、たちが悪い。更に理論武装している事を言葉で現す事ができないので、人に何か説かれた時は、はいはいそうですね、あなたの仰る通りですとその場をしのぎ、後になってむかむかするのである。  そんな事だから彼女が野良猫に餌付けしている事についても、賛成はしているが賛同はしていない。    無垢な小動物というのは、どうしてこうも愛らしいのか。  酒を飲みすぎて帰った明け方に足にまとわりつき、その末玄関口で、その猫を膝に抱えたまま寝るという一幕もあった。猫側からすれば、暖をとりたい、何か美味いものをくれるかもといった思惑があったのであろうが、邪心があったとしても愛おしく感じるのである。猫と人との関係とは、そういうものだ。  僕と彼女の関係もそうなのではなかろうか、と思う事がある。彼女は暖をとりたいだけ、僕は何かを腕の中に抱いていたいだけ。しかしはっきりした答えはまだ無い。
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