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③
猫に子どもができたようだ。僕から見れば肥満の腹と大差ないのだが、優子曰く子どもができているらしい。捕獲した後病院へ連れて行かれ、僕は置いてけぼりにされた。
猫は獣医の診察の後正式に懐妊であるとの診断を受けたが、彼女は猫に避妊手術を施すべきだったと嘆いていた。
しかしそれをしなかったのには理由がある。この猫は、後天性免疫不全症候群、いわゆる猫エイズに感染しており、そういう猫は手術に耐えられない場合が多いのだそうだ。
猫の身を案じての判断だったが、いくら嘆いても後の祭り。近いうちに、足元もおぼつかない我が子達を引き連れて訪れ、僕らに紹介してくれるのであろう。その事自体は大変喜ばしいのだが、野良猫の存在に肯定的な人ばかりではない。
断っておくが、僕はこの猫も他所の猫も好きだ。だが僕ら(猫も含めて)が奇異の目で見られてはいまいかと、戦々恐々している。
部屋の中で飼ってやれたら良いのだが、それは禁止されているのだ。そこを律儀に守るのはどうかと思う事もあったが、僕の会社の名義で借りている部屋であるし、彼女なりに超えてはならない一線を設けているのだと思う。
しっかり姿を見たわけでも口を聞いたわけでもないが、隣の部屋の住人はどう思うであろうか。十中八九、僕らと同じように喜んではくれないと思う。僕らの部屋は2階にあり、階段を登ってすぐ右手が隣の部屋、その先が僕らの部屋、という並びだ。2階に2部屋ある。その廊下は共有の場であるのだが、彼女はそれを知ってか知らずか、猫の寝床を作ってやったり、日除けのすだれを掛けてやったりという具合だ。それだけでなくその周辺は不衛生で、猫のトイレからこぼれた砂はこぼれたままで、餌をやる皿は洗う様子が無く食べ残したキャットフードがそのまま干からびている。更には無数の黒い毛が濡れて乾き床にこびり付き、それが隣の部屋のドアの手前まで及んでいる。
この事について言及した事もあったが、その時の事はぼんやりとしか覚えていない。恐らく猫は環境が変わる事にストレスを感じるとか、そういった的外れな返答があったんだと思う。しかしそんな彼女でも、周囲の人がどういう目で見るのか分からないわけでは無かろうし、分かっている事を指摘されるのは腹の立つ事なので、それ以降話題にしていない。
奇異の目で見られる事と、僕自身に何かしら降りかかる事は百歩譲って良しとしても、彼女や猫に危害を加える人が居るのではという不安は付き纏う。これを克服しない限りは、僕の心に平安は訪れない。
僕が大阪に転勤が決まった時、当然彼女も来てくれるものだと思っていた。しかし彼女は大粒の涙を、文字通り大粒の涙を流して、
「少しでも関わった猫を置いて行けない」
と言い、この街に残る事を僕に告げた。猫を飼う事ができるアパートを借りれば良い、と提案したが、外で育った猫がある日突然部屋に幽閉される事のストレスと、室内での生活に馴染めなかった時に、例えば極端な話昼夜問わず暴れ回るとか、そうなった際のリスクを説かれ、僕は納得した。此処で生活する事が、猫にとって最善なのだ。彼女に猫を置いて行くという選択肢は無く、僕にも無く、僅か数分の会話で単身赴任する事が決まった。
以前住んでいたアパートにも猫がいた。その猫は僕らに「ハイイロ」と呼ばれ、その名の通り灰色で、それ以外の特徴は覚えていない。多分雄だったのだと思う。
人に対して中途半端な警戒心を持っており、僕と彼女が夜帰った時は甘い声で鳴きながら足元をうろうろするのだが、触られる事は嫌がった。今思い出したが、ある晩帰るとハイイロが見知らぬ猫と威嚇し合っており、と言ってもハイイロはいつもの甘い声で相手に語りかけており、これはただ事ではないと見知らぬ猫を追い払った事があった。その晩寝てからまた、猫が威嚇し合う声が聞こえた。その時は止めに行かなかったのだが、翌朝外に出てみるとハイイロを威嚇していた猫の毛が散乱しており、ハイイロはいつもの甘い声で僕に語りかけてきたのであった。そういう、飄々としているのか威風堂々としているのか達観しているのか、非常に興味深い振る舞いをする猫だった。人であれ猫であれ、こういう者には魅力を感じるし、憧れの感情を抱く。
そんなハイイロと、毛の長い「けなが」、けながの子の「けながジュニア」、あと何匹かいたと思うが、彼らはある日ぱたりと姿を消した。増えすぎた彼らは、保健所に一網打尽されたのであろう。そこでただ生きていただけなのに。
それ以降彼女の口から漏れるのは、もっと写真撮っておけばよかったね、うちで飼ってやれればよかったね、という後悔ばかりだった。ハイイロは遠くへ行ったんだ、と言う彼女も分かっているはずなので、僕は保健所云々という憶測は口にしなかった。
そういう猫の多くは、転居する際に捨てられた猫と、その猫の子たちだ。捨てた人に深い事情、言い訳があるのかもしれないが、今日現在の僕にはそうする事が理解できない。口減らしのために捨てられたのだろうか。本当に? そんなに切迫した状況なら、初めから関わらなければ良い。飲んだら乗るな、乗るなら飲むな、という交通標語と同じだ。
これが成人した人間同士なら話は変わってくる。捨てられた側は始めは戸惑うが、その後紆余曲折は経るとしても、いずれは人間としての生活を送るだろう。だが猫はどうだろうか。ある日突然戸外に放たれ、食べ物を獲る術を教えられていないので何も食べる事ができず、何処で眠ればよいのかもわからず、うろうろしているところを車を轢かれて死ぬのだ。そういう末路が想像できない者に飼われていたその猫が、運が悪かったのだとまとめるのは容易い。でも僕はその人を憎む。愛らしい猫の末路を想像できない、出来損ないの人を憎む。お前が死ね、と言いたい。
そのアパートから現在の場所に転居したが、そこにも猫がいた。毛色は黒が主体だが所々茶色やクリーム色が見受けられる、いわゆるサビ猫だ。雌(なのだそうだ)なので警戒心は強く、しばらくはお互い遠くから見つめ合う関係だったが、その距離が駐車場の車の下になり、階段のすぐそばになり、いつしか彼女の両脚をポールに見立てて八の字に回り出すと、彼女のタガが外れた。
もう猫とは関わるまい、あの時の思いはこりごりだと思っていたが、それは叶わなかった。僕はハイイロの件で猫と距離を置く考えを持っていたが、彼女はそうではなく、距離を縮め守る方を自ら選んだ。
ただ「情が移るから」と名前をつけるのは止めたようで、愛称も俗称も無い「猫」という呼称で今日まで通している。
彼女は猫の懐妊についてひとまずは歓迎している様子で、出先で子猫が使う小皿を購入していた。そういう嬉々とした様子は、僕らの周囲を抜きにして考えれば微笑ましい事だ。
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