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「……こないで」
彩羽の口から拒絶の言葉が零れた。そう呟くや否や、声とは反対方向へと歩き出す。
「こないで、お願い」
蓮が浮かぶ水をかき分け、逃げるように進む。
あそこにいる母の許へ行かねばならない。自分が殺してしまった母が、そこに居るのだ。
ごめんねと謝らなくちゃ。
もう一度愛してほしいと伝えにいかなくちゃ。
そうするのが、本来の子供だろう?
普通の子供の在り方だ。
母親がいて、それなりに甘えて、無償の愛を貰う。それが、普通のはずだ。
――待ってください!
「……どっか行ってよ」
響く少女の声に彩羽は突っぱねる。それでも声は追いかけてきた。
――嫌です! どこにも行きません!
霧の向こうから少女の真っ直ぐな声が反響する。
「……こないで。本当に」
何かが溶けていくような気配がする。この場を覆う霧が晴れていってしまう。そうすれば見たくない物を――認めたくないものを見なければいけない。
水面をかき分ける音が、彩羽のすぐ背後で響いた。
「おいついた!」
ぐい、と彩羽の手が引かれる。彩羽は反射的に振り返り、そこに居た少女を見た。
傷だらけの少女――水瀬刹奈がそこに居る。顔や手にいくつもの切り傷を作っていて、それは今しがたできたばかりのようで、赤い雫が手先から滴っている。腹に巻かれた黒いパーカーは濡れているのかかなり滲んでいた。
「わ、小さいいろっち先輩だ。可愛い――じゃなくて! 何で逃げたりしたんですか!」
「……」
「あ、えっと、怖がらせるつもりじゃなくて! ん-、難しいな……。水瀬は、先輩を迎えに来ました!」
刹奈はそう言って彩羽の手を握りなおす。
「帰りましょう、先輩。こんなところに居たら寂しいままですよ」
「どうして? だって、ここにはお母さんがいるよ。寂しくなんてない」
「……お母さん?」
視線を向ければ、刹奈もそちらの方を見る。しかしながら刹奈の目には何も映っていないのか、目を瞬かせるだけだった。
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