第一話「骨格」

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 メネスは、エイベルとは幼なじみの腐れ縁だった。  このとおりメネスは昔から女に見間違えられる顔形と華奢さだったため、エイベルにはよくいじめっ子から救ってもらった思い出がある。周囲と群れないエイベルの正義感をメネスは気に入っていたし、エイベルもメネスの一見ひ弱だが、ときおり垣間見せる熱い激情の一面を買っていた。  どこにでもあるでこぼこな友人関係だが、生存能力の違いはしだいに物理的なものとなって弱いほうに思い知らせる。  学生時代の終わりととともに、ふたりはそれぞれの道へ進んだ。生まれながらの腕っ節と思い切った判断力を生かし、エイベルはセレファイス軍へ正規兵として入隊。思考と反射神経ふたつの剣の腕はすぐに頭角を現し、いまやエイベルは軍きっての若手のリーダーへと成長しつつある。  しかしメネスはといえば、いまひとつぱっとしない。華のあるエイベルの経歴とは裏腹に、街角の整骨院〝サーヘイ堂〟でいまだ下働きの身。ひどいときには時間ごとで彼女が取っ替わると言われるエイベルとは違い、モテないとはっきり断言できる。  頭も力も人生の幸福度も、エイベルにはまったく歯がたたない。この差はなんだろう。  いまでもエイベルは、メネスをひやかしによく現れる。  まさしく光と闇にふたりを分かつのは、メネスのとある秘密にあった。 「なんだそれ? ちょっと見せてみろよ」 「あ、ちょ、やめ……」  ついさっきどこかから〝召喚〟された黒い物体を、エイベルはいやがるメネスの手から無理矢理とりあげた。すぐに取り返そうとするメネスだが、上背のあるエイベルがなお手を伸ばすせいで届かない。  召喚の儀式は手間と時間がかかるうえ、それなりに体力も消耗する。こんなちっぽけな物体を召喚するだけでも、メネスにとっての疲労は全力疾走後のそれに等しい。  げんなりした顔でローブのフードをおろすメネスの前で、エイベルは手の中の物体を光にかざした。首をかしげて、興味深げにつぶやく。 「缶詰か?」  そう。それはちょうど、魚の缶詰とよく似た円盤状の金属物だった。  缶切りを使うまでもなく、缶詰の一部にはすでに亀裂が生じている。亀裂というにはあまりに整った開口部からは、鉛色のこれも別の金属片が顔をのぞかせているではないか。  エイベルがすこしいじると、鉛色の金属片はかんたんに缶詰から外れた。  顔をしかめたのはメネスだ。 「壊したね?」 「ちがうぜ。この缶詰がもろいだけだ」  指先の小さなほうの金属片に、エイベルは目を凝らした。  金属片は先のとがった円錐形をしており、弓矢の矢尻にすこし似ている。いっぽう缶詰のほうはといえば、中にバネでも仕込まれているらしく、すでに新たな鉛色の金属片が押し出されて開口部の配置についていた。  小さなほうの金属片を奥歯で噛むこと数回、眉をひそめたのはエイベルだ。 「食い物じゃねえな?」 「直したほうがいいよ。女性も物も、まずは味見してみるその性格。いつか必ず腹を壊す」  その用途不明の缶詰等が〝腕部内蔵式機関銃(インアームマシンガン)円筒弾倉(ドラムマガジン)〟〝九ミリ銃弾〟とかいう呪われた物体だとわかるのは、ずっと先のことだ。  缶詰と金属片をまとめてメネスに投げよこし、エイベルは腕組みした。 「召喚、ねえ……」 「あざけり、笑い、忠告のたぐいならもう聞き飽きたよ。帰ってくれ」 「いや、な。その缶詰がこことは別の世界から来たものだってのは、おまえの言うとおり本当だ。信じる。なにもない場所になにかを呼ぶってのも大したことだし、おまえの他にそんな特技ができるやつを見たことはねえ。だが、なあ?」  足もとの大きな木箱を、エイベルは乱暴に蹴った。  中から響いたのは、大量の金属物が崩れる耳ざわりな音だ。木箱にはさまざまな召喚物……さっき召喚した缶詰状のものにはじまり、奇妙な羽が四枚ついた紅白模様の筆状の物体、なめると電撃の走る金属板等、正体不明の道具が山積みに詰まっている。  日課ともいえるこの召喚の力に、メネスが五歳ぐらいのときに気づいてはや十数年。いまもメネスは、下働きの合間をぬっては自宅の地下室で召喚の儀式を続けている。  棒状の金属物の先端にあいた穴を覗きこみながら、エイベルはつぶやいた。 「召喚されてたまりにたまったガラクタ、たしか家の裏口にも何箱ぶんか積んであったよな? なんとかなんねえの?」 「なんとかしようと一念発起して、ウェイトリイの鋳造所に持ち込んだことがある。大変なことになったのは、ご存知のとおりだ。ぼくから金属を引き取ってくれる店は、このセレファイスにはもうない」 「はは! あれだな! おまえのガラクタをばらそうと金槌で叩いたら、わけのわかんねえ雷みたいなもんでウェイトリイのおやじが失神したってやつ! あと、溶かそうと思って窯に入れたら、爆発が起こって窓がぜんぶ吹っ飛んだり!」 「そろそろ怒るよ?」 「いっそ、どっかへ捨てちまえば?」 「川や野原にかい? ぼくにみずから進んで、セレファイスの自然を汚せと? 名案にも思えるが、はるかなカダス山のナイアルラソテフの天誅は、とうぜん君が肩代わりして受けてくれるんだよね?」 「こんな家の収納場所と呪力の無駄遣いはやめて、まじめに地水火風の練習にはげんだらどうだ? たしか地呪の点数は飛び抜けてたよな、おまえ?」 「ああ、これのことか」  ふとメネスは、エイベルの筋骨隆々の肩に手をおいた。  叫んだときにはもう遅い。肩を始点に青白い電光を放って、エイベルは感電した。大気と体内に流れる呪力をあやつり、メネスがてのひらから電撃を発生させたのだ。  しばしば呪力は、空間に描かれた楽譜のようなものにも例えられる。楽譜はもちろん無色透明で空白。そこに呪士がおのおの秘める固有の音符を書き加えることによって、はじめて奇跡は成立し、無から有は生まれる。  幼いころの適性検査で、メネスの電撃は地の呪力に分類された。一応、前例の少ない珍しい技能だ。ただし残念なことに、奇妙な召喚の力とよく似て、この呪力も日常生活においてあまり使い道はない。  落ちこぼれもここまでくると、一種の哀愁を誘う。残る水火風の三属性の呪力を、セレファイスの住民は日常的に調理、航海、農作業、医療、清掃、建築、そして戦闘等にいかんなく応用しているというのに。  メネスのひ弱な手を打ち払って、エイベルは怒鳴った。 「痛ってえ! なにしやがる!」 「よくなったでしょ? 血行?」 「あいかわらず陰険なヤローだ。だからいつまでたっても彼女ができねえんだよ。なんか色々もったいねえ。そんなふうに稲妻を操れるのは、ここじゃおまえぐらいだぜ。全力をだせば、地底のガグだって気絶するんじゃねえか?」  赤くなった手をさすりながら、メネスは自嘲げに笑った。 「ガグ? あの恐ろしい巨人を? 触れるまえに、頭ごと上半身をかじり切られるのが目に見えてるね。この下らない呪力が、魚とりやマッサージ以外のなんの役に立つと? だからぼくは、セレファイス軍の呪士募集でも門前払いをくらうんだ。ぼくだってもう一人前なんだぞ。ところでエイベル、さっき彼女がどうとか言ったね? たったいまきみの味わった地呪の出力は、まだおよそ二割ってとこなんだが?」 「わかったわかった、さわるな、頼むから。ま~た根暗をこじらせやがって。取り柄を生かしたきゃ、まずは足腰を鍛え直すことから始めたらどうだ? 手伝うぜ?」  しゃがみ込んだまま、メネスは床の魔法陣に指先でのの字を書くばかりだ。あきれて肩をすくめるエイベルを見もせず、メネスはぼそぼそと独りごちた。 「そもそもやる気と体力がない。この地呪だって、召喚に必要な要素だから自然と身についたようなものだし。そう、召喚。召喚こそが、ぼくのゆいいつの生きがいなんだ」 「そうは言うが、このままじゃ家がガラクタで溢れかえるだけじゃねえか」 「もうすこし」 「あぁ?」 「予感がするんだ。もうすこし。あともうすこしで、なにかもっと素晴らしいものを召喚できるような気がするんだ」 「食い物とか、へへ、美人のねーちゃんとか?」 「どうせどっちも、一口味見して川に捨てるんでしょ」 「歯が折れるほど硬くなけりゃ、な。さっきの件だが、日々の鍛錬ならいくらでも付き合うぜ。戻ってきてから、だが」 「戻る?」  メネスは目を細めた。 「次期兵長候補のエイベル殿が、また夜の町へ出陣したあとの話?」 「それは祝勝会にとっとく……じつはクラネス王の勅令で、魔王の討伐隊に加わった」 「え? エイベルが?」  エイベルの顔に冗談がないことを確認すると、メネスの顔にも暗雲がさした。 「魔王……例の一件だね?」  悪夢のような襲撃事件のあらましは、メネスもエイベルから聞かされていた。  セレファイスからも望めるアラン山のふもと、廃墟と化した城に、奇妙な存在が住み着いたのはいつごろのことだったろう。  どこから現れ、どこでその禍々しい呪力を得たのかはわからない。ただわかるのは、そいつがとてつもなく邪悪な意思を秘めていることだけだ。  ある雲の多い弦月の夜、かたく閉ざされたセレファイスの門前に、そいつはいつの間にか立っていた。たったひとり、夢か幻のごとく。  顔や性別はおろか、どのような生物であるかすらも不明だ。そいつは長い外套(マント)にすっぽり身を包み、あまつさえ不気味な仮面で顔を隠していたのだから。  そいつの性別が男であるらしいことは、やがてわかった。高い城門の見張り台に立つベイツ衛兵に、よく通る声でそいつが語りかけたのだ。内容はこうだった。 「王と話したい」  見張り台の部下たちに弓矢の準備だけはさせながら、ベイツ衛兵は即座に断った。あまりにも時間を考えない希望だし、たとえ前もって謁見の申請があったとしても、このような不審者を都の中に招き入れた例はない。  すると、つぎに仮面の男が放った要求は驚くべきものだった。 「人を貸してほしい。この都でもっとも呪力に長けたもの、上位百名を」  偉大な王の庇護下にある呪士たちを、貸す?  どこの馬の骨ともわからない不審者に?  百名だと?  かすかに笑みさえ浮かべながら、ベイツ衛兵は仮面の男に「失せろ」とだけ告げた。  だが仮面の男はその場から動かず、静かに外套を風に揺らすばかりだ。  部下に射たせた一本の矢は、ただの脅しにしか過ぎなかった。当てるつもりもない。  とうぜん、矢は仮面の男に当たらなかった。  当たらないというよりは、こう表現したほうがよかろう。  矢は、仮面の男の数歩手前で。  そう、止まっていたのだ。空中で。あたかも、見えない蜘蛛の巣に絡まったかのごとく。  ベイツ衛兵は、見たと証言する。  なにもない空中、矢を食い止める黒い砂のようなものを。  その黒い砂が、仮面の男の周囲で、生き物みたいに薄く渦巻いているのを。  仮面の男が上げた手を下ろした瞬間、その手首に不可思議な銀の腕輪が輝き、背後の闇から大量の魔物が飛び出すのを。  城門を攻撃した魔物の数は、最終的に五百匹を超えた。巨体でずる賢い蛙人(マーチャント)、矮小だが獰猛なズーグ族、吐き気をもよおす長身痩躯の食屍鬼(グール)、その他……  どの魔物も一般に認知こそされているが、ここまで突発的に、しかも大規模に人間社会を襲った例は聞き覚えがない。魔物どもは頑丈な門扉を斧や棍棒で傷つけ、壁上めがけて石塊や槍を投げつける。魔物の群れの動きには、どう考えても何者かの意思による統率と一定の法則性があった。これもいまだかつて前例のないことだ。  あげくのはてに魔物どもは、お互いたくみに踏み台となり、壁面を駆け上ってくる連携さえみせる。最低限の剣と槍で、おまけに最小限の人数で必死に襲撃を防ぎながら、衛兵たちは同じことを考えた。  いったいなにが起こったのか? 増援はまだか? 死にたくない。  原因はなんだ? 家族サービスを怠ったせいで、ついに神の怒りがくだったのか?  見つけた。魔物どもの中心に、いつもと違うものがある。  仮面の男だ。  多くの負傷者を出したものの、さいわいにも魔物の群れは壁際で食い止められた。朝日が昇り始めるころには、城門前から撤退。  そう。あるときを境に、なぜか魔物は残らず消え失せたのだ。諸悪の根源と思われる仮面の男といっしょに。記録上初となるその襲撃はまるで、なにかの様子見だったとさえ受け取れる。そのためか今回、一般の民への被害は確認されていない。  醜悪きわまりない群れの足取りは、もれなくある方角へと向かった。  雪化粧をしたアラン山のふもと、あの古さびれた大きな廃城へ。  あの大勢の魔物が潜むとすれば、近くではこの廃城ぐらいしか場所はない。廃城より遠くへ魔物が移動した形跡なしと、セレファイスから調査に向かった斥候の呪士も書き置きを残している。  書き置き?  不自然にとだえた報告書を野原へ残して、その呪士は消えた。影も形もなく。ひとりだけではない。交易商の護衛目的で同伴したり、学究のため外出した者等、セレファイスから旅立った呪士はさいきん立て続けに消息を絶っているのだ。今現在、城壁の外へ出た呪士の帰還率はほぼゼロに近い。薬草採りに向かった医師はなにごともなく戻ってくるのに対し、なぜ呪士だけ……  いま考えれば身の毛のよだつ話だが、事件が起こる前には、メネス自身もひんぱんにあの廃城へ出入りしていた。目的はもちろん、召喚の力を試すためだ。ああいう見捨てられて古い呪力に満ち、人気のない廃墟ほど召喚に適した場所はない。広大な廃城のありとあらゆる地点に魔法陣を描き、呪文をとなえた。結果はすべて失敗。なんと鉄くずひとつ現れないではないか。市場で鶏等の血を仕入れて本格的に儀式を行ったつもりだが、ここまでひどい成績もそうそうない。  いまやそこには、恐るべき仮面の男が潜んでいる。  仮面の男は虎視眈々と、セレファイス攻略の機会をうかがっているはずだ。  種族、思考、生息地ともに遠くかけ離れた魔物どもを、仮面の男はいったいどのように集めて操ったのか? 雑多な魔物の首という首に、そろって奇怪な〝黒い首輪〟が巻きついていたというベイツ衛兵の目撃談は本当なのか?  仮面の男の正体は? いったいその目的は?  未知の戦慄に震えるセレファイスの民は、口々にうわさした。  朽ち果てた廃墟の城に、突如として現れた邪悪な王。  あまたの魔物をあやつり、その頂点に君臨するもの。  魔王……  ところで、生け捕りにされた魔物には人語を解する種もいた。  どんな想像を絶する拷問があったかは不明だが、魔物はだれに聞くでもなく主人の名をこう呼んだという。  魔王……  民だけではなく、セレファイス軍の中枢までもが仮面の男をそう呼称するようになったのは、むしろ自然なことだったのかもしれない。  そんな強大な存在の討伐に、親友がおもむく。  なかばかける言葉を失い、メネスはエイベルにこう問うしかなかった。 「と、討伐隊の構成は?」 「腕のたつ騎士が百五十名、地水火風よりすぐりの呪士が百五十名」 「ものすごい戦力だね。ぜったいに勝てる……出発は? 出発はいつなの?」  地下室の壁にもたれかかったまま、エイベルは左腰の剣の柄をいじった。 「このあとすぐだ」 「そんな急な……」 「だから事前の挨拶に、と思ってな。いちおう軍の極秘事項だから、ぜったいだれにも漏らすなよ? まあ都の他の連中に広まるころには、俺たちは旅立ったあとだろうが」 「なにかぼくにできることは? 体力の問題で、墓穴掘りはナシね。きみ、でかいから」 「ばかやろう、縁起でもねえ。いや……」  光の射す出口へきびすを返すと、エイベルは不敵に笑った。 「俺が帰るまでに、ひとつだけ掘っといてもらおう。魔王の首なし死体の墓穴を、な。おかしな脅威をなんども跳ね返してきたセレファイスの力、思い知らせてやるぜ」  かっこいい、うらやましい、そしてくやしい……メネスの本音はそんなところだった。  すでに若手の有望株で名の知られたエイベルだが、これを機にさらに軍の昇進街道を突き進むのだろう。今回の討伐もいままでどおり涼しい顔で成し遂げ、きっと魔王の首を獲って帰ってくるに違いない。友を待つ賞賛、名誉、未来。  それにくらべて、自分ときたらなんだ。こんな大変なときにも関わらず、ひたすら家に引きこもって自己満足の召喚にふけるのみ。この差はいったいなんだろう。  背中越しに片手をあげると、エイベルは告げた。 「んじゃな! 戻ってきたら、酒場でいっしょに胃と脳の鍛錬だ!」 「やなこった。気をつけてね……」  ひかえめに手を振って、メネスは友の背中を見送った。
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