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元ぽちゃ王子と世話焼き侍女 本編
「もう嫌だ!!!!」
ガシャーン!!!
大きい金属音を響かせた室内。
壁際に控えた数名の侍女たちは思わず身を凍らせる。
ただ1人を除いて。
「如何なさいましたか、アルベル王子」
先程の騒音にも微動だにせず、澄ました姿勢で王子をはっきり見据えるのは侍女のユリーナ。
この国の第一王子であるアルベルに長く仕えてある侍女の1人である。
アルベルを幼少期から支え続け、多く仕える侍女の中でもしかと覚えられ頼られているため、侍女長や他の同僚からの信頼も厚い。
そんな彼女の問いかけにキッと、目を細めて睨みつけるアルベルの瞳の端には滴が浮かんでいた。
「まただ!!!またアゼストの方が良いと言われた!!!!」
今度はビリリッと音を立てて手元の紙を引きちぎるアルベル。
これは少し厄介かもしれない…。そう判断したユリーナは他の侍女に外で待機するよう言いつける。
他の侍女は頷き、そそくさと外へ出る。
この手際の良さもまた慣れたもので、度々癇癪を起こすアルベルの流れ弾被害に合わないようにユリーナ一人で対処する。というやり方が1番良く、迅速であることがこの数年で証明されてきたからだ。
侍女たちを外へ出した後、ふぅ、とアルベルには悟られないくらい小さく息を吐いて、破った紙を強く握って震えるアルベルへと歩み寄る。
すぐ側に寄り、その力のこもったまだユリーナよりも小さな手に触れる。
「アルベル坊っちゃん」
「うぅ……ユリーナ…っ」
ガバッとユリーナの腹部に顔を埋めて抱きつくアルベルの背中をそっと撫でるユリーナ。
アルベルを『坊っちゃん』と呼べるのはこの宮内では片手で足りる程の人数で、アルベルの幼い頃から仕えてきた証明でもある。
しかし第一王子としての教育が始まってからはそう呼ぶことは禁じられている。
それを分かった上で、ユリーナは時折アルベルが癇癪を起こした時には坊っちゃんと呼びある意味の安心を与えるのだ。
「今日はどうなさったんですか?」
「……マクベール御令嬢に書いた手紙の返事にアゼストのことが書いてあったんだ…」
アゼスト、とはこの国の第二王子だ。つまりアルベルの弟である。
「まあ…それはそれは…」
「みんなアゼストの方が良いというんだ…ぼ、僕が…醜いから…っ」
すん、と鼻をすすりながら溢れる涙を堪えようとするアルベル。
御令嬢方がこぞって求める第二王子アゼスト。その第一の要因は間違いなく容姿なのだろう。
第一王子であるアルベルは初の子供ということもあって現国王、王妃にこれでもかと言うほど甘やかされた。その結果、ふくよかに成長して今もそのもっちりボディはご健在である。
おまけに野菜嫌い、運動嫌いが重なって肌が荒れてしまっている。
対して第二王子のアゼストは甘やかされなかったわけではないが、本人なりにどこか「兄のようにはなるまい」と思ったのだろう、自己管理を怠らずに育ち今や国内一の美男子。
現国王、王妃もまた美形であるというのも理由としては挙げられるが間違いなく本人の努力の賜物でもある。
つまり、まず第一印象である容姿から第二王子を支持する者が多く、御令嬢もまたそれに同じな訳で、まだ幼いアルベルはこうして落ち込んでしまうという訳だ。
たしかに、容姿でいえば劣ってしまうのかもしれないがユリーナにとってはそんなもの判断材料の一つでしかない。
野菜、運動嫌いのアルベルだが勉強に関してはかなり意欲的でこのまま育ってくれれば次期国王は間違いなく、現国王も任せるつもりだということは側から見ても分かる。
アゼストもその点に関しては異存なしといった様子で、互いに学び合っている。
しかし…とユリーナは思案した。
もしこのまま御令嬢に振られ続け、今後どうなるかは分からない。
たしかに現国王はこのまま第一王子様をと考えているかもしれないが、周りはそうとはかぎらない。
国の顔だからという理由でアゼストを押し上げるような輩もいることだろう、と。
アルベルの背をさすりながら考えに考えた結果、導き出される1つの答え。
(決して簡単ではないわ…でも背に腹は変えられない…それに)
そっと自分に抱きつくアルベルを見るユリーナ。その瞳は慈愛で満ちている。
(坊っちゃんはとても優しくて聡明な方よ。容姿一つで文句を言うのは許せないわ…!)
ぐっと怒りを堪えると、そっと震える肩に手を添える。
何だろう?と顔を上げたアルベルの瞳は真っ赤に充血して頰も赤く染まっていた。
その表情に一度、これから言うべきことを躊躇するユリーナ。
下手をすればかなり深い傷になってしまうかともしれない。今からする提案を嫌がる可能性も大いにある。というかその可能性しかない。
それでも、それでも…!
ユリーナは決意を胸に口を開く。
「アルベル坊っちゃん、ダイエット致しましょう」
「………?」
ーー…あの日から数年後。
「アルベル様!」
「ん?あぁ、ユリーナ!」
遠乗りから戻ったアルベルを迎えるユリーナの手にはふわふわの上質なタオル。
馬から降り、それを受け取ると額に伝う汗を拭うアルベルはすっかり痩せて肌の荒れも落ち着き、顔の輪郭がくっきりと出るようになっていた。
余計な脂肪が落ち、筋肉もついた体は引き締まって少し潰れ気味だった瞳は今やハッキリした二重。アゼストと並ぶと二人の美しさから慄く者もいる。
そんなアルベルを見て、少し安心したように笑うユリーナ。
あの日、意外にもアルベルは二つ返事でやると言ったのだ。
正直言い出したユリーナの方が驚き、一度止めようかと思ってしまったが、アルベルの瞳にはもう誰にも文句は言わせない。言わせてたまるか。という熱が籠もり、ユリーナもまた決意を固めた。
(絶対にアルベル坊っちゃんを幸せにしてみせる!!!!)
その時から二人、運動不足解消のために今まで嫌がった乗馬や剣術への積極的な参加、食生活改善と嫌いな野菜を食べるための努力を惜しまず、アルベルが逃げ出しそうになったときはユリーナが必死で宥めた。
二人三脚で頑張ってきたと言っても過言ではない。段々と姿が変わっているアルベルに周囲はもちろん国王、王妃もアゼストも驚いた。
アゼストに至っては「本当に兄弟だったんだ」と口をこぼしていた。
アルベルの頑張りを誰よりも知るユリーナは自分のことのように喜び、アルベルもまた自信がついたのかこの数年は体型維持を自らの意思で継続するようになった。
「ユリーナ」
「!あ、はい!!」
しまった、うっかり思い出に浸ってしまった。と焦るユリーナにアルベルのはくすっと優しく笑う。
「屋敷に戻ろう」
「はい、アルベル様」
「もう坊っちゃんとは呼んでくれないのか?」
「さあ、どうでしょう?」
こんな軽口を叩けるのは二人の時だけ。
それは暗黙の了解でもあり、アルベルも承知していたし何なら嬉しく思っていた。
もちろんそんな様子はユリーナには伝わっていない(伝わらないようにしていた)のだが。
「もう明日ですね」
「ああ、早かったような気もする」
明日はアルベル18歳の誕生日だ。
この国の成人年齢は18歳で、王族であるアルベルは明日以降王位継承のための教育から実際の政に着手していく実務に移っていく。
今日は成人前最後の休日。そして今後今日程休める日は早々無いと思われる。
今日の休日もまた、明日行われる大々的な誕生日会の前準備日である。
「明日の準備に取り掛かろうとしていたのに、遠乗りに行くだなんて」
「今日を逃したらしばらくは行けないだろう?アゼストも連れて行ってきた。」
「あら、そうだったんですか?てっきりお一人かと…」
「たまたま会ったようなものだからな」
そう話すアルベルはどこか吹っ切れたかのように爽やかに微笑むだけだった。
そんはアルベルの横顔を見て、ユリーナは少し胸が締め付けられる気がした。
丹精込めて育てたアルベルは明日の席で御令嬢方と踊り、話し、更には伴侶を見つける準備にも取り掛かるのだ。
我が子が手を離れていく感覚とはこういうものかと、ここ最近は納得していたが今日は何だか胸がざわつきを覚えた。
しかし明日はお祝いの日。気持ちを切り替えねば、ユリーナ自身も明日は大忙しに違いないと気を引き締めアルベルト2人わずかな距離の帰路を楽しんだ。
翌日。
早朝から大勢の従者がバタバタと場内を駆け回って誕生日会場の準備に追われていた。
ユリーナのその内の一人だ。
「ユリーナ!こっちもお願い!」
「はい!ただいま!」
(これは思いの外大変だわ…!)
今までも誕生日会のような祝いの席は幾度かあったが、流石に第一王子の成人を祝う席となると規模が違う。
あれこれ頭の中で整理しながら順序よく進めるにはどこから手をつけるか考え、行動に移していく。
そんな中、ユリーナの元に侍女長からの声が掛かって手を止める。
「ユリーナ、アルベル様がお呼びよ」
「え?」
アルベル様が?と首を傾げるも、この忙しい中空けるなら早々に、と侍女長に促されて急ぎ足で会場を出る。
アルベルのいる控室はそう遠くはなく、駆け足数分でたどり着く。
本来ならあまり城内を走るのは良くないのだけど…と思いながらも少し呼吸を整えてから目の前の扉をノックした。
「アルベル様。ユリーナが参りました」
「あぁ。入ってくれ」
「はい。失礼致します」
中に入ると机に積まれた書類にサインをしているアルベルが待っていた。
まさかの仕事風景にユリーナは思わず目を丸くして口を開く。
「アルベル様、今日はお仕事をお休みになさるのでは…??」
「うーん、そのつもりだったんだけどな」
苦しそうに笑うアルベル。
手元にあった1枚にさらさらっと何かしたためるとペンを置いてユリーナの元へ向かうアルベルの装いはいつも以上に華やかであった。
ユリーナはその華やかさに胸の高鳴りを覚え、しかし次の瞬間にはその音を宥めた。
「どうだ?格好いいか?」
「ふふ、アルベル様はいつでも素敵ですよ」
これはお世辞でも何でもない、ユリーナ心の底からの言葉だった。
ユリーナの言葉にアルベルも優しく微笑む。
「1番にユリーナに見せたかった」
「まあ。光栄にございます、王子」
「王子はやめろと言ってるだろ…!」
昔から、どうしてもユリーナに王子と呼ばれるのは嫌だと何度も言っていたアルベル。ユリーナも何度かそうはいかないのだと説得したものの聞き入れてもらえず、結局「アルベル様」に落ち着いたのだ。
「本当は呼び捨てでも」
「なりません、アルベル様。」
アルベルの口からつい、と溢れた言葉をユリーナははっきりと断る。
どうにも昔からお世話をしすぎたのか、ユリーナに必要以上に懐いてしまったアルベル。
しかしこれだけは、立場の問題だけはしっかりさせないといけないのだと、ユリーナはずっと思ってきた。
「わかってるよ」
はっきりと跳ね除けられてしまい、すこし眉を下げるアルベルにユリーナも同じ表情を返した。
「それで、アルベル様。どういったご用件でしたでしょうか」
本当に今日の衣装を見せるだけだったかもしれないけれど、念のため。と伺うユリーナにアルベルはそうだった!と声を上げて、ユリーナの手をそっととる。
突然のアルベルの行動に思わずとられた手を引っ込めようとしたユリーナの動きを先に読んだのか、アルベルはキュッと手を握る。
「あ、アルベル様、手を」
「ユリーナ」
離して欲しいと言い終える前に名前を呼ばれ、手ばかり凝視していた目線をアルベルに向けると自然と視線が溶けるように交わる。
「今夜、僕の部屋にいつものを持ってきてくれるか?」
いつもの、というのはホットミルクのことだ。
アルベルは昔から夜にホットミルクを飲んでから眠るのが習慣になっているので、侍女であれば誰でもわかる。
とはいえ何故わざわざ声をかけるのかと、疑問に思うユリーナだったが、アルベルのお願いには弱い。それに今までも何度もお持ちしたこともある。
「はい。かしこまりました。」
「ありがとう。今日は二つ持ってきてくれ」
「?はい」
(二つ…?)
いつもより一つ多いことに疑問を覚えたユリーナだったが、ちょうど鳴り響いた時計の鐘にハッと我に帰る。
(まずい、準備が…!!!)
「アルベル様、ではまた、夜にお持ちしますので…!」
「ああ。待ってるよ、ユリーナ」
「っひぇ?!」
去り際持ち上げられた手の甲にアルベルの柔らかい唇が触れた。いや、正確にはキスされたのだが。
一気に赤く染まったユリーナの顔。それに満足したように手を離し、見送るアルベル。
部屋を出てユリーナは一度自身の頬をぺちっと叩いてから熱を覚ますよう、早く歩き出した。
「〜っ、もう!!!」
ーーーー…
苦労の甲斐あってか、誕生日会を無事終えることができた従者一行はほっと息をついていた。
昔のアルベルしか知らない近隣諸国のお偉い方が立派に成長した彼を何度も目を擦っては見つめるという光景はなかなかに面白かった。
御令嬢方もアルベルの姿に目を輝かせて頬を赤く染めていた。
これはとてつもない大成功だ。長年のアルベルの苦労が報われたのだから、嬉しいことこの上ない。
そう思う、そう思おうとするユリーナの心は少し曇りかかっていた。
(…うーん。ダメだなぁ、私)
理由はとっくにわかっている。でも口に出すわけにはいかない。
この想いは墓まで持っていくべきものだと認識しているユリーナは、今度は片付けに精を出すのであった。
数時間後、少し遅くなってしまったことを後悔しつつもホットミルク二つをトレーの上に乗せてアルベルの自室へ向かった。
ノックすると応答はなく、その代わりに扉が開いてアルベルが顔を出した。
「ユリーナ!来ないのかと思ったよ」
「申し訳ございません。片付けに時間を要してしまいました」
「あ…それもそうか、すまない、ありがとう。さ、入って」
本来なら扉をアルベル自ら開けるものではないと叱るところだけれど、今だけはお言葉に甘えさせていただこうとユリーナは室内へ足を踏み入れた。
机にホットミルクを置き、一つ渡そうとするとアルベルはベッドに座っていた。
普段なら椅子に座るのだが、どうやら今日は違うらしいとすぐに判断してアルベルの元へ向かう。
一つ渡すと、もう一つは「君の。座って?」とアルベルの隣をポンポンと叩かれて催促されてしまいユリーナは戸惑った。
普通は座ってはいけない。それはもちろん、もはや一般常識のレベルでわかっている。でも…。
ユリーナの困惑を悟り、「ユリーナ、座ってくれるね?」とさらに重ねられたアルベルの言葉に、これはもはや主人の命令だからと割り切って腰を落とす。
「あ、あのアルベル様」
「はいこれシロップ。疲れには甘いのが良いよ」
「あ、はい…ありがとうございます…じゃなくて!」
トロリとユリーナのカップにシロップを垂らすアルベルに流されそうになって止まる。
当のアルベルはどうかしたの?と言いたげにホットミルクを飲んでいた。
(アルベル様の独特のペースに持っていかれてしまったわね…)
ダイエットに成功し、精神的にも落ち着きと余裕を取り戻したからか、アルベルは自身のペースを上手く使う。
ゆったりしていると思えば事によっては重くなったり、早くなったりと使い分けが上手くその場を纏める力に長けていた。
今もまた、そんなアルベルのペースに持っていかれてしまったのだ。
こればかりは仕方がない、とホットミルクを一口飲む。
「ユリーナ」
「はい?」
ふい、と隣を見るとこちらを見つめるアルベルと目があった。
その瞳はどこか熱が込められている気がして、自分の心の奥を覗かれているような気さえしたユリーナは目を逸らす。
「な、なんでしょうか…?ホットミルクはお届けしましたし、そろそろ…」
「ユリーナ。」
「っ!」
再び、それでいて先程よりはっきりと呼ばれた名前に心臓が跳ねる。
(だ、ダメだわ、アルベル様が見れない…!)
どくどくと早足になる鼓動をどう隠すべきかと考えているとアルベルの手がユリーナの頬を滑った。
「僕を見て、ユリーナ」
「っ…は、い」
意を決して再びアルベルの方に顔を向けた、その瞬間、暗い影が覆って口に柔らかい感触が触れた。
(……え?)
何をされているのか、理解するまでについ、時間がかかってしまったのが仇となった。
「んっ、むぅ!!!?」
最初、様子を見るかのようにそっと触れた熱が、今度はハッキリと、ユリーナの唇を柔らかく食んだ。
驚き、反射的に体を引こうとしていつの間にか背に回ったアルベルの腕に阻止される。
「む、んんっ!!んんぅ!!!!」
アルベルの片腕でギュッと抱きしめるかのように体を引き寄せられ、もう片方の手で頭は固定されてしまっている。
手で拒もうにも片手にはホットミルクの入ったマグカップを手にしているため片手でしか押し返すことができない。
ひ弱な侍女如きが数年鍛えに鍛えた青年を片手で押し返すなど到底不可能だった。
(なんで、何でこんな…!!!)
口づけをされていることへの驚きと焦り、それとは別に胸に宿る熱にユリーナは困惑した。
それを知ってか知らずか、アルベルは何度も唇を食む。
硬く閉ざしたユリーナの唇に、時折舌を這わせて『開けて』とねだるようにまた唇を重ねては食む。
ユリーナは口を閉じることが唯一できる抵抗だと考えいたり口を固く閉ざしていた。
「ユリーナ…」
「っん、アルベぅ、ひぁ…?!!」
一瞬口が離れ、静止しようとしたのも束の間、つつつ、と背中の中心から尾てい骨の上辺りをアルベルの指が滑ってそのくすぐったらような感覚に思わず声をあげてしまう。
それを狙ったかのように再びくっついた唇は舌を侵入させて、ユリーナの口内を貪った。
初めての刺激にユリーナは困惑を増すと共に、打ち震えた。
背中を往復する動きにお腹の底がキュゥと締め付けられる。
(だめ、だめだめだめっ…!!!こんな、変な気持ちになる…!!)
「んん、あるべる…さま…っ!!」
「っはぁ…ユリーナ、ごめん、ごめんね」
ふと目を合わせるとアルベルは泣きそうな瞳でユリーナを見ていた。
(どうしてそんな苦しそうに…)
お誕生日会で何かあったのだろうかと、自分の今の窮地を一瞬忘れてしまう。
「ユリーナ、僕は王位を継がない」
「っな…、な、にを仰って…?!」
「ごめんユリーナ、僕は君が欲しいんだ、君といたい」
離れた熱と、それに反してポタポタと凛々しい瞳の端から溢れる滴にユリーナは驚きを隠せず、思わず涙を拭うことを優先した。
アルベル様が…坊っちゃんが泣いている。
その事実だけを捉えてしまった。
「アルベル様、私はアルベル様が王位を継がれた後も侍女をやめません。またお会いすることはできます。」
「違うよユリーナ、僕は君の全部が欲しいんだ…」
涙を拭う手をそっと取り、頬を寄せるアルベル。彼の幼き日を思い出させるような仕草にユリーナは胸が痛んだ。
「私のすべては貴方のものです。主人であるあなたの…」
「ユリーナ、好きだ」
(…………え…?)
ユリーナを捉えて話さない瞳は涙に濡れてキラキラと輝いている。
「アルベル様…何を仰って……」
「ずっと、ずっと好きだった。昔から、ユリーナだけが好きなんだ。ユリーナ以外を愛せない。」
突然の告白にまた稼働が早くなる。
(落ち着け、落ち着くのよユリーナ。これは気の迷いだわ)
そう、ひよこが生まれてすぐ見たものを親と思ってしまうような、ああいう、、、。
「アルベル様、それはきっと、勘違いです。私と共にいた時間が長過ぎたのです。」
「違う、そんなんじゃない」
「いいえ。そうです。一国の王子である貴方は私のような侍女に気を持つことはありません。」
ユリーナ、と悲しそうに呟くアルベル。
(ああ、お願いだからそんな悲しい顔をしないで…。可愛い坊っちゃん。私の愛する人)
自覚はあった。
近過ぎて気付かなかったわけでもない、気づいていてなお隠していた心が、すこし揺れてしまう。
直向きに頑張る姿に心を揺すられ、会う度嬉しそうに笑うその笑顔はその日一日を素晴らしい日にしてくれた。
この気持ちに気付かないはずがない。でも、身分違いも甚だしい。それがわかるからこそ、今日この日を迎えた後は、侍女を辞めるか他所に推薦状を出してもらうつもりだった。
「アルベル様、今あったことは他言致しません。ですからお気を確かに…」
自分の気持ちも想いも押し殺し、ただアルベルの未来を願って言葉を紡ごうとした時だった。
「ユリーナ、すまない」
「え…?っきゃあ!!!?」
ドッと体を押されて後ろのベッドに倒れ込む。
手にしていたカップはいつの間にかアルベルの手にあり、サイドテーブルへと置かれる。
嫌な予感がして急いで起き上がろうとしたものの、すぐさまアルベルが覆いかぶさり身動きが取れなくなった。
「あっ、アルベル様!!退いてください!」
「ダメだ。ユリーナ、ごめんね、もう今日しかないんだ。今日しか、君に触れられないのだろう?」
アルベルの問いかけには、と息が詰まった。
何故、なぜそれを知っているのかと。今日しか、と言うのは明日以降私がここを出て行こうとしているのを知っているということだ。
思わずアルベルを見つめるユリーナに、アルベルはすこし困ったように眉を下げた。
「僕の"影"は優秀なんだ。主人が望んでいる事を分かっているから、何でも知らせてくれる」
"影"とは王族専属の暗躍部隊。
いついかなる時も主人の近くに姿を見せる事なく控えている。そして主人の命令には従順に従い、危険は排除する。
「君が侍女長に近いうちにここを辞める旨を伝えていると聞いたんだ」
「なっ…!?」
「きっと僕の誕生日が終わったら、いなくなるつもりだってすぐ分かって、今日しかないって」
まさか、アルベルには知られないようにと思い密かに侍女長に話をしていたのを影に拾われていたとは思いもよらなかった。
驚く間にもアルベルは続ける。
「僕の気持ちは本物だよユリーナ。何年もかけて好きになったんだ、気の迷いなんてものじゃない。」
「アルベル様…」
「だからね、ユリーナ。僕は君を繋ぎ止めるためなら何だってする。」
「何を…」
すこし寂しげな瞳の奥にわずかに宿る決意の熱。
それを感じた時、ユリーナは自身の異変に気付いた。
(…???なに、何か、変…体が、へん)
その異変に気を向けた時、つい、とアルベルの指が首筋を撫でた。
その瞬間稲妻のように鋭く、しかし甘やかな感覚がユリーナの体を駆け巡った。
「んやぁんっ、!!」
「可愛い、ユリーナ。ちゃんと飲んでくれたんだね」
(何、何なの、今のって…?!)
先程の刺激に打ち震えてアルベルを見ると優しく微笑まれる。
「ユリーナ、さっき入れたシロップにはね、体の感度を上げる効果があるんだ」
「な、何で、そんなもの…」
「言ったろう?繋ぎ止めるために何でもするって」
まさか。と一瞬頭を過ぎる。
「気持ちいい事しよう、ユリーナ」
「なっ…!!!!それ、は」
そのまさかだった。
繋ぎ止めるために、己の主人は既成事実を作るかでいるのだ。
そう即座に悟ったユリーナはもがいた。
「ダメ!ダメです、絶対ダメ!!アルベル様お願いします、どうか、どうか…!!!」
そんな事をしてしまえば1番危ないのはアルベルだ。
侍女と既成事実だなんて、王族として、国の王になる人としてあってはならない。
(絶対に、ダメ。今までのアルベル様の努力が無駄になってしまう!!!)
「アルベル様…!!」
「王位はアゼストが継ぐ。それでアゼストも納得しているし、父上と母上にも話はつけている。」
あ、アゼスト様に両陛下にまで…?!!
体から血の気が引く。それでも薬のせいか、熱が籠もってくる感覚が残される。
どうしよう、本当に、取り返しのつかないことを…!!!
そう思った時だった。
「僕の全ては君だユリーナ。この気持ちを抱えたまま国を背負うことはできない。でもこの気持ちを、想いを捨てて生きれば死ぬ時きっと後悔する!!!」
「っ…!」
瞳の端からポロポロと涙を落とすアルベル。
その滴はユリーナの頬を伝っていく。
「ユリーナがいなければ今日を迎えられなかった。迎えられてたとしても、きっと昔の、卑屈な醜い僕のままでだ。」
「アルベル様…」
「王にならなくとも、国のためにできることは山程ある。僕は、僕はずっと、これからも、ユリーナと二人で生きていきたい…っ!!!」
頬を伝う温かな滴と、揺れている瞳に、ユリーナの心が震えた。
この方は、全てわかっていると。
王位を手放すことの重さも、身分違いの想いも、それを捨てきれず薬を使ってでも手に入れようとすることの愚かさも、責任も何もかも分かって、それでも今こうして示している。
ユリーナが好きだということを。
「アルベル様…っ」
「ユリーナ、ごめん、ごめんなさい…」
子供の頃と同じように泣きじゃくるアルベルに手を伸ばし、その体をそっと抱きしめる。
「ずっと、ずっと……お慕い申しておりました…っ」
「っ、ゆ、り…」
「私の方がごめんなさい、あなたの心を踏みにじるような…っ、ごめんなさい坊っちゃん、好きです、好き…っん」
震える唇から注いだ言葉は、アルベルの唇に溶けて消えていった。
唇から伝う感触と熱と想いに体が打ち震えて、体温もますます上がるのを感じ、それが嬉しさと愛しさに昇華していく。
「ユリーナ、ユリ、好き…」
「ん、アルベルさま…んんぅ…」
「はあっ、好きだよユリーナ、ユリーナ、僕の、僕のお嫁さんになって…」
「ふ、ぁ…ん、はい……アルベル様…」
とろけるような口づけと愛の告白にユリーナは応えるのだった。
ー終ー
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