ありがとう

この人は　私に　有難うと言ったの？

頭の中が真っ白で「どういたしまして」が出てこなかった

そうだ　「ありがとう」と言われたら「どういたしまして」って言うんだ

思い出したのに　分かったのに

お礼を言われてびっくりして　全然何も言えずにお婆さんの顔を見ていた

「本当にありがとう」

ゆっくり一文字一文字区切るように

お婆さんはもう一度そう言ってくれた

柔らかい心地よい声が　初めて言われる言葉を紡ぐ

私は目を丸くしていた

学校でも通学路でも外出先でもよく耳にする言葉が

自分が言われるとこんなにも素敵な言葉だったなんて

こんなにも優しい響きの言葉だったなんて

こんなにも美しく煌めく言葉だったなんて

「ありがとうございます」

「どういたしまして」が出てこなくて　私はそう言った

なんだか喉から「どういたしまして」が出てこなかったのは

体が私に「ありがとう」を言えって　言っているのかもな　なんて考えた

「ありがとうございます」を言った後の唇はムズムズした

お婆さんはちょっと驚いた顔をしたけど

にっこり笑って歩いて行った

その後ろ姿を見ながら

私は「ありがとう」という言葉を思い出していた

何度も何度も　何回も何回も　心の中で思い返して抱きしめた

きっと何年先も何十年先も　私は思い出すんだろう　忘れないだろう

「ありがとう」という、この一言を。

平和で優しい言葉だったな　……まるでお婆さんみたいに

私はようやく気が付いた

私は人にお礼を言われた！

ビックリしたけど嬉しくてたまらなくて

ニコニコしながら家に帰った