第四話「再生」

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 歌が聞こえた。  ちいさな鼻歌が。  曲名はわからない。でも、穏やかで優しいその調べ。  だれが歌っているのだろう。鼻歌に起こされ、シヅルは目をあけた。  最初に見えたのは、夜空に降りそそぐ無数の流れ星だ。  木々のすきまから差し込む月明かり、岩をはねる川のせせらぎ、さびしげな風の音……  深い森の中、シヅルはだれかに膝枕されていることに気づいた。 「ホシカ……」  ゆっくり身を起こしたシヅルへ、ホシカはほほえんだ。笑顔はすこし疲れている。 「よう」  聞きたいことが、シヅルには山ほどあった。だが、ホシカがどれだけ壮絶な運命を歩んだかを、シヅルはもう知ってしまっている。だからシヅルは、ひとことのみの質問にとどめた。 「終わった……の?」  ホシカはこくりとうなずいた。 「ああ。悪かったな、いろいろ巻き込んじまって。怖かったろ?」 「ちょっとだけ、ね。でも私、信じてた。ぜったいにホシカが助けてくれるって。ホシカこそ、たったひとりでずっと戦ってたんだね」  ホシカは静かに首を振った。 「ひとりじゃない。あんたがいた。もういなくなっちまった堅物のあいつも。ひとりじゃなかったからこそ、あたしはここまで来れたんだ」  よけいな照明がないおかげで、星空はいっそうよく澄んで見える。  葉ずれを鳴らす風に髪をなびかせ、ホシカは冷たい空気を嗅いだ。 「おかしなものは、ぜんぶいなくなった。もとに戻る。なにもかも」  シヅルは立ち上がった。座ったままのホシカヘ、そっと片手をさしだす。 「いっしょに帰ろう、ホシカ……」  じぶんの手が、ホシカを通り過ぎるのをシヅルは見た。 「え?」  なんだ。なんの冗談だろう。  ホシカは表情を変えない。だがその体は……ほぼ半透明になり、むこうの景色が透けている。じぶんの手を眺めながら、ホシカは告げた。 「ごめん。あたし、最後まで付き合えそうにない。こう、体がどっか別の世界に行っちゃってね」 「え? え? そんな……」 「いまのあたしは、幽霊といっしょ。だれかの見た夢の続きさ」 「うそ、いや、いやだ」  必死にホシカをつかもうとするが、シヅルの手はことごとく通り抜けてしまう。  目尻に涙をためながら、シヅルは叫んだ。 「なんでよ! なんでホシカだけが! あんまりだわ! そんなの!」  呆然と涙を流しながら、シヅルはその場にへたり込んだ。 「ホシカがいなくなったら、私……」 「ごめんな、悲しい思いさせて。でもあんた、ほんとに強くなったよ。たぶん、あんた自身でも想像できないぐらいに。それを救いに、あたしもここまで戦えた」  泣き崩れるかたわら、シヅルはほのかな温かみを感じた。  ホシカはもうだれにも触れないし、だれからも触れられない。しかし、シヅルをそっと抱きしめたホシカの幻からは、たしかな体温が感じられた。 「過去というさなぎを脱ぎ捨てて、あんたは飛び立つ。いつかその翼で、空に浮かぶあたしをつかまえてくれ」  シヅルの視線の先、小さな光は闇をさまよって消えた。  ホシカの指から、体から、光のかけらは人の形を奪って静かに散ってゆく。それだけではない。あたりの草木の陰から、川の水面から、土から。数えきれない星の輝きは、おとぎ話の蛍のように夜空へのぼり始めている。  きらめきを涙でぼやけさせながら、シヅルはうなずいた。 「わかった……私、がんばる! もうくじけない! だからホシカも! かならず帰ってきて! ずっと待ってるから! ずっと!」  光の粒と化して消えながら、ホシカは笑った。 「ああ、約束だ。またどっかで会おう」 「私、強くなる! ホシカのぶんまで! ホシカみたいに!」  森が闇につつまれる直前、最後にホシカの声は言い残した。 「マネしちゃダメだよ。あたしのぜんぶ、マネしちゃダメ」  流れ星は降りやまなかった。
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