34人が本棚に入れています
本棚に追加
/28ページ
歌が聞こえた。
ちいさな鼻歌が。
曲名はわからない。でも、穏やかで優しいその調べ。
だれが歌っているのだろう。鼻歌に起こされ、シヅルは目をあけた。
最初に見えたのは、夜空に降りそそぐ無数の流れ星だ。
木々のすきまから差し込む月明かり、岩をはねる川のせせらぎ、さびしげな風の音……
深い森の中、シヅルはだれかに膝枕されていることに気づいた。
「ホシカ……」
ゆっくり身を起こしたシヅルへ、ホシカはほほえんだ。笑顔はすこし疲れている。
「よう」
聞きたいことが、シヅルには山ほどあった。だが、ホシカがどれだけ壮絶な運命を歩んだかを、シヅルはもう知ってしまっている。だからシヅルは、ひとことのみの質問にとどめた。
「終わった……の?」
ホシカはこくりとうなずいた。
「ああ。悪かったな、いろいろ巻き込んじまって。怖かったろ?」
「ちょっとだけ、ね。でも私、信じてた。ぜったいにホシカが助けてくれるって。ホシカこそ、たったひとりでずっと戦ってたんだね」
ホシカは静かに首を振った。
「ひとりじゃない。あんたがいた。もういなくなっちまった堅物のあいつも。ひとりじゃなかったからこそ、あたしはここまで来れたんだ」
よけいな照明がないおかげで、星空はいっそうよく澄んで見える。
葉ずれを鳴らす風に髪をなびかせ、ホシカは冷たい空気を嗅いだ。
「おかしなものは、ぜんぶいなくなった。もとに戻る。なにもかも」
シヅルは立ち上がった。座ったままのホシカヘ、そっと片手をさしだす。
「いっしょに帰ろう、ホシカ……」
じぶんの手が、ホシカを通り過ぎるのをシヅルは見た。
「え?」
なんだ。なんの冗談だろう。
ホシカは表情を変えない。だがその体は……ほぼ半透明になり、むこうの景色が透けている。じぶんの手を眺めながら、ホシカは告げた。
「ごめん。あたし、最後まで付き合えそうにない。こう、体がどっか別の世界に行っちゃってね」
「え? え? そんな……」
「いまのあたしは、幽霊といっしょ。だれかの見た夢の続きさ」
「うそ、いや、いやだ」
必死にホシカをつかもうとするが、シヅルの手はことごとく通り抜けてしまう。
目尻に涙をためながら、シヅルは叫んだ。
「なんでよ! なんでホシカだけが! あんまりだわ! そんなの!」
呆然と涙を流しながら、シヅルはその場にへたり込んだ。
「ホシカがいなくなったら、私……」
「ごめんな、悲しい思いさせて。でもあんた、ほんとに強くなったよ。たぶん、あんた自身でも想像できないぐらいに。それを救いに、あたしもここまで戦えた」
泣き崩れるかたわら、シヅルはほのかな温かみを感じた。
ホシカはもうだれにも触れないし、だれからも触れられない。しかし、シヅルをそっと抱きしめたホシカの幻からは、たしかな体温が感じられた。
「過去というさなぎを脱ぎ捨てて、あんたは飛び立つ。いつかその翼で、空に浮かぶあたしをつかまえてくれ」
シヅルの視線の先、小さな光は闇をさまよって消えた。
ホシカの指から、体から、光のかけらは人の形を奪って静かに散ってゆく。それだけではない。あたりの草木の陰から、川の水面から、土から。数えきれない星の輝きは、おとぎ話の蛍のように夜空へのぼり始めている。
きらめきを涙でぼやけさせながら、シヅルはうなずいた。
「わかった……私、がんばる! もうくじけない! だからホシカも! かならず帰ってきて! ずっと待ってるから! ずっと!」
光の粒と化して消えながら、ホシカは笑った。
「ああ、約束だ。またどっかで会おう」
「私、強くなる! ホシカのぶんまで! ホシカみたいに!」
森が闇につつまれる直前、最後にホシカの声は言い残した。
「マネしちゃダメだよ。あたしのぜんぶ、マネしちゃダメ」
流れ星は降りやまなかった。
最初のコメントを投稿しよう!