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〈半月も停学か……長いなあ。ほんとにごめんね、ホシカ〉
「どうってことねえよ。考えてたより、ちょっと短いぐらいだ」
伊捨家の自宅。
学習机のイスにだらしなく立て膝たてながら、ホシカは電話の向こうのシヅルに答えた。
「絶対に退学くらうと思ってたんだが」
〈そんなことさせないよ。親と私で、ちゃんと先生に説明した。怖かった……不良たちの親が、なにもかもホシカのせいにしようとするんだもの。〝まさか自分の子に限って〟〝相手を出せ〟〝学校が悪い〟とか、ものすごい剣幕だった。となりの部屋にいてもはっきり聞こえたよ。ここだけの話、モンスターペアレントだね、完全に〉
「じゃあ、あんたの両親はもう知ってるんだな、事情を?」
〈うん。イジメられてたこと、ずっと隠してたんだけど……勇気をだして打ち明けた。ぜんぶ。すっごく驚かれたあと、おなじくらい怒られて、さいごに泣かれたよ。だけど、いいこともあって〉
レポート用紙の片すみに奇妙な半魚人の絵を落書きしながら、ホシカはシヅルの言葉に耳をかたむけた。
〈父さんと母さんが、私と話す時間を作るようになった。うちの親は共働きで、長いことみんなすれ違いだったんだけど……家族でいっしょにいる時間も、ちょっぴり増えた気がする。強い気持ちをもって行動するって、大事なことなんだね。あいつらと戦うホシカから、私はその勇気をもらった〉
「やっぱ役に立つな、金属バットは。その後、苛野藍薇と連中は?」
〈もちろん停学。その親たちも逆に学校から強く注意されたらしくて、もうなにも言ってこない。不良たちも〝地獄みたいな課題の山〟とかいうのを終わらせないかぎり、とうぶん停学処分は解けないんだって。ところでホシカ、いまなにしてるの?〉
「そうだ、そうなんだよ……なんもやってねえんだよ、まだ」
〈え?〉
死人みたいな顔をして、ホシカは学習机に視線をおとした。
そこにはレポート用紙の山が、計五百枚以上。これらすべての枚数すべての段に、生徒手帳の校則を一言一句もらさず手書きで、紙がなくなるまで書き写せというのが、学校からホシカに与えられた停学中の課題だ。
警察でさえ手を焼く不良グループを、今回、たったひとりで鮮やかに討伐してみせたホシカが、教師間でいわゆる〝ダークヒーロー〟的な立場として評価されていることは、とうぜん外向きには隠されている。だからこその退学なし。だが学校側も公務であるからには、ケンカにかかわったホシカだけに甘い裁定を下すわけにはいかない。
深遠なる五百枚のループ。始末書。苦行。まさに地獄。いままでペンを護身用武器としか考えていなかったホシカにとって、これはきつい。
手の中で受話器をみしみし言わせながら、ホシカはささやいた。
「お、おしゃべりしてる場合じゃねえんだ……終わらせなきゃ……くそくそくそ」
〈ちょ、ホシカ、大丈夫!? 困ってるんだったら私も手伝……〉
「筆跡でバレる」
一方的に通話を切ると、ホシカはだらんとイスにもたれかかった。口をあけて天井をみつめながら、廃人と化してうめく。
「タ○コ吸いてえ……サ○のみてえ」
父の方針によって、停学期間中、ホシカはあらゆる娯楽を奪われる羽目になった。外出はおろか、家族以外の人間に接触することも禁止。なけなしのお小遣いも一時没収されており、新たに買い直すこともできない。
例の日の帰宅後、父は即、ホシカの部屋に対して大々的なガサ入れを実施。クローゼットその他の収納場所は無論のこと、時計、テレビ、エアコン等々を分解してへそくりの有無を確認する徹底ぶりだ。かろうじて下着に潜ませてあった紙幣も、ホシカが風呂から出たらいつの間にかなくなっている。
まるで刑務所の身体検査。ホシカの財産は、こうして一銭残らず消えた。
「と、思わせといて♪ ちょろいね♪」
棚の上、もちろんすっからかんの缶型貯金箱を、ホシカはつかんだ。
そのままあるコツをもって貯金箱の底をひねり、上に引き上げると、おお。なんと貯金箱の下から、新たな貯金箱が現れたではないか。その隙間からはらりと一枚、紙幣が舞い落ちる。
ほんのわずかにサイズの違う貯金箱をあらかじめ用意しておき、底を切り抜いたりして細工。貯金箱と貯金箱のすきまに、紙幣一枚がぎりぎり入るだけのスペースを作っておいたのだ。まさか、もっとも金の集まりやすい場所にさらに金が隠されているとは、病的に疑り深い父も見抜けなかったらしい。
「字なんて書いてられっか! 気分転換だ、気分転換!」
猫のような忍び足で二階自室から一階に降りると、ホシカは息を止めた。階段の手すりの壁から、そっと顔をのぞかせる。
いた。母だ。
くそまじめで小心者の父などただ鬱陶しいだけの存在だが、この母に関しては違う。まず娘のホシカからしても、なにを考えているかわからない。つぎに〝もっとも怒らせてはいけない〟という得体のしれぬ危機感が、ホシカの本能に訴えかける。だから、物心ついたときからの暴力魔であるホシカも、母にだけは従順なのだ。
おだやかな午後の日差しの下、母は庭で洗濯物を干している。脱出口である玄関から居間を抜け、庭の母までの距離はおよそ十メートル。気づかれるはずはない。そしてカゴに残った洗濯物の量。つまりこれを干し終えるまでのおよそ二十分の間に、コンビニに行って帰ってくればいいわけだ。
(余裕だね。いってきます!)
音を殺して、ホシカは靴をはいた。きしみひとつ漏らさず玄関の扉をあける。
「ホシカ」
「~~~ッ!」
母の声は静かだったが、ホシカをすくみ上がらせるには十分だった。振り向いた先の庭では、母はあいかわらず丁寧に洗濯物を干している。石像のように固まって冷や汗を浮かべるホシカへ、母は背中越しにつぶやいた。
「ホシカ、ママもね、パパに怒られるのは嫌なのよ。謹慎中のホシカをあっさり遊びに行かせたとなれば、ママは大目玉。今度こそパパ、ホシカの靴やよそ行き用の服も残らず没収しちゃうでしょうね。わかるでしょ? これいじょうママを悲しませないで」
「せ、せせ背中に目でもついてんのか……お願いだ。ほんの十五分、いや十分でいい。あたしにシャバの空気を吸わせて」
「だめだってば。それに吸うのは、ほんとに空気だけ? ホシカがタバ○くさかったり酔っ払ったりしてたら、ママもう大変」
色々とホシカの考えは読まれている。においの出る嗜好品は完全にアウトだ。
ホシカは苦し紛れにとりつくろった。
「いや、さ。それがよ、レポート用紙を何枚かダメにしちまってね。このままじゃ課題のやりくりに支障がでる。買ってこなきゃ。おやじにはバレない。ぜったいにおふくろも困らせない。頼むよ……」
物干し竿のシーツのしわを広げながら、母は溜息をついた。
「お金の出どころがちょっと気になるけど、なるほど。レポート用紙とは、うまくこの家にないものを選んだわ。なら、いまからホシカの部屋に行って、課題に必要なレポート用紙の枚数と、実際にある残り枚数を細かく照らし合わせるというのも一つの手ね」
「!」
まずい。終わった。なにか細工する以前に、自室にはレポート用紙の綴りが、まだまっさらな状態で何冊も積み上がっている。やはり母の方が上手だったということだ。
玄関でしょぼくれるホシカに、母は続けた。
「冗談よ、そんなことしないわ。このとおりママは、洗濯物でいそがしいから。ところでホシカ、部屋に閉じ込められっぱなしのせいで、ずいぶん参っちゃってるみたいね?」
「?」
「五分ね。五分間だけ、外出に目をつむりましょう」
「え!? いいのか!?」
「もちろん条件つきです。まず、勉強に必要なものは、あらかじめ多く買い揃えておくこと。あとそーね、柔軟剤がなくなりそうだから買ってきてちょうだい。いつものやつを、ふたつお願い」
なぜホシカの所持金は、母に筒抜けになっているのだろう。母の注文をそのまま受ければ、どう考えてもホシカに余計な嗜好品を買う隙はない。いや、ジュース一本買うだけの余裕を残しているあたり、母の計算高さと隠れた残酷性を感じる。
釈然としない顔で、ホシカはうなずいた。
「わあったよ……いってくる」
「五分よ、五分。約束ね。レシートも忘れずに。柔軟剤のお支払いはちゃんとさせてもらうから。それによって外出の理由は〝ママから頼まれたおつかい〟になる」
我が家の扉が閉じる寸前、ホシカの背に「スタート」と母の声が聞こえた。
「……くそッ」
晴れた空の下、ホシカはおもいきり伸びをした。
いい天気だ。空の片すみには飽きもせず、ニュースで話題の彗星〝ハーバート〟がまたたいている。
学校はそろそろ下校の時間か? ふつうの学生ならこれから、カフェでだらだらしたりゲーセンで遊んだり、好きに時間を潰すのだろう。なのに自分には、あと四分も自由は残されていない。もう二度と問題など起こすものか……そうホシカが心に誓ったあたり、両親の厳しい指導方針は正解だったといえる。
「うおおっと……」
歩き始めてすぐ、ホシカはうなった。
視界がぐにゃりとゆがみ、たちまち真っ暗になったではないか。しばらくまともに歩いていなかったせいで、立ちくらみを起こしたのだ。なさけない。
頭を振って目をあけたホシカのうしろで、車のドアはすばやく閉められた。
「え?」
一瞬、ホシカは自分になにが起こったのかわからなかった。
うしろに車がいたのではない。じぶんが車の中にいたのだ。
ホシカのうしろにあったのは自宅だけのはず。こんな狭いワゴン車などに、むりやり引きずり込まれた記憶もない。第一、へたな暴漢など即座に返り討ちにしている。
夢? 手品? 瞬間移動?
とにかく、ホシカは拉致された。
目張りがされて真っ暗な車内には、人影が五、六名。それがどこの誰なのか確認するより先に、ホシカの口は猿ぐつわで封じられ、手足は頑丈な麻縄で拘束されている。悲鳴をあげる暇も、暴れて抵抗する暇もない。並外れた手際のよさだ。
「~~~~~~ッッッ!?!?!?」
ぶあつい黒頭巾をかぶせられる寸前、ホシカは見た。
サングラスをかけた若い女が、となりの席でひらひら手を振って笑うのを。
「はじめまして♪ 魔法少女の〝卵〟ちゃん♪」
ホシカと母の約束の時間まで、残り三分を切っていた。
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