第一話「発生」

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 ああ、これがあれか。  死にゆく者が最期に見るという〝走馬灯〟……  ゆりかごの赤ん坊である自分を見下ろすのは、まだホシカの凶暴性を見抜いていない若き日の父と母。くれなずむ夕陽を背景に、倒れた自分を見下ろすのは、まだホシカがてんで弱かったころのケンカ相手。  まばゆい照明とともにホシカを見下ろすのは、全身防護服に身を固めた人影。 「失敗だな、これは」 「いや、切り捨てるのはまだ早いと思います。見てください、一瞬ではありますが〝呪力〟のこの上げ幅を。生体反応も安定しています」 「たしかに素質はあったかもしれん。だが、中身がからっぽだ。これだけの実験の数々にろくな反応を示さない。カテゴリーFD25やFX44の例を考えてもみたまえ。正常に〝星々のもの(ヨーマント)〟が憑依したなら、とうの昔に、なにかしら〝魔法少女〟の片鱗を見せているはずだ」 「〝星々のもの(ヨーマント)〟は彼女を〝通り抜けて〟しまったと? しかしそれなら膨大な呪力の拒絶反応により、彼女はとっくに食屍鬼(グール)に変質しています。成功か失敗、白か黒、魔法少女か食屍鬼……憑依の儀式には、この二通りの結果しかないはずですが?」 「これから〝なる〟のだよ、彼女は。屍の肉をあさって食らい、骨髄をしゃぶる醜い化け物に……そのリスクを避けるためにも、彼女を標本として保存するのは、もっとも早急に求められる仕事のひとつだぞ、ラフトンティス」 「……わかりました」 「カテゴリーFY71〝翼ある貴婦人(ヴァイアクヘイ)〟伊捨星歌……計画失敗。解剖の準備を」  それはまさしく、一瞬のできごとだった。 「ふ・ざ・け・ん・なッッ!!」  ひと声叫んで、ホシカは飛び起きた。  ばきばきと手足で拘束具の弾ける響き。  手術台から跳躍したときには、ホシカは手近な棚をつかんでぶん投げている。破壊音とともに、重い棚の下、防護服の人影は動かなくなった。 「はあ、はあ……」  肩で息をしながら、ホシカはあたりを見渡した。  清潔な白い実験室。窓はなし。周囲の機器類は心拍脈拍をはじめ、ホシカのあらゆる状況をモニターしている。  別の棚の上で翼を揺らすのは、コウモリに似たてのひらサイズのマスコットだ。こんなおもちゃが、なぜここに?  闇と炎でできた〝儀式の間〟とは似ても似つかない。あるいは、それそのものが悪い夢だったのだろうか?  じぶんの体中に張り付いたチューブの類を、ホシカは力任せに外した。中には皮膚の奥深くに直接刺さっているものもあり、苦痛に顔がゆがむのも仕方ない。  家を出たときの服はなくなり、いまのホシカには白い寝間着みたいな衣服が着せられている。体を軽くチェックするが、とくにいつもと変わったところはない。  いや……  片目の奥に、にぶい痛みがある。なにかされたのだろうか?  痛む片目をおさえながら、ホシカは手術台に腰かけた。 「どこだよ、ここ……なにがどうなってる? いま何時だ?」  つぶやきながら、ホシカははっと顔をあげた。  そう、時間。  自分には制限時間があるのだ。母と約束した五分間。とっくに過ぎているのはわかっているが、なら約束を破ったことを両親に謝らなければならない。  帰る。とにかく家に帰る。  瞳に闘志を燃やしながら、ホシカは実験室の扉へ向かった。  自動扉? 扉には取っ手のたぐいはない。なにかしらの暗号を、横のパネルに打ち込まなければならないようだ。  そしてホシカは、こういった機械関係が大の苦手だった。すでにホシカの手は、かたわらのイスを持ち上げている。そのまま扉に向かって、渾身の力で振り下ろし…… 「驚きましたね」 「だれだ!?」  イスを投げ捨てるや、ホシカはうしろを見た。 「……気のせいか?」  防護服の研究員はとっくの昔に気を失っているし、室内に人が隠れられるスペースはまずない。天井にはスピーカーらしき物もついているが、いまホシカの耳に届いたのは放送の声などとは違う。もっとこう、すぐ近くで囁かれたような…… 「やはり間違っていませんでした、私の推測は」 「!」  まただ。  だんだんと声の源がわかってきた。下だ。ずっと下。床近くから、その落ち着き払った声は発せられている。だが、床といえばあるのは、例のコウモリのぬいぐるみぐらいのもの。  油断なく身構えながら、ホシカはふたたび声を荒らげた。 「どこだ! 隠れてないで出てきやがれ!」 「こちらをご覧ください」 「?」  不審げに眉をひそめながら、ホシカは床にしゃがみ込んだ。  床にちょこんと立つぬいぐるみ。その足の下には、ホシカが飛び起きるなり破壊した拘束具がある。コウモリのふわふわの体を小突きながら、ホシカは聞いた。 「おまえが喋ったのか?」 「この拘束具……ついさっきまであなたを縛っていたものです。ちょっと触ってみてください。わかるでしょう。そうたやすく千切れるものだと思いますか?」 「おお、言われてみれば、硬いな。火事場の馬鹿力ってやつか?」 「的確な例えですね。この拘束具はもともと、人間の制御を目的として作られたものではありません。一平方センチ三百キロの圧力をかけても、つまり超大型のホホジロザメの噛む力をもってしても破壊不可。おまけに構造そのものを呪力で補強してあります。そんなものを一瞬で破壊できる存在はたったひとつ……〝魔法少女〟!」 「うおッ!?」  驚愕して、ホシカはおもわず飛び退った。  コウモリのぬいぐるみが、いきなり翼を広げたのだ。  そのままぱたぱたと宙を舞うコウモリ……ぬいぐるみがしゃべって、動いた!?  目を剥いて混乱を表現しながら、ホシカはコウモリを指さした。 「し、新製品のロボットか!?」 「私はラフトンティス。この組織の職員です。組織名は特殊情報捜査執行局(Feature Intelligence Research Enforcement)……頭文字よっつを取って通称〝ファイア(Fire)〟  きっと一回聞いただけでは覚えられませんし、またそんな組織の存在は誰も信じませんが、参考までに」 「気に障る喋り方するね、おもちゃの分際で」  ラフトンティスと名乗ったそれを、ホシカはしばし睨みつけた。手で追い払う仕草をして、うながす。 「扉の前からどきな。いまからそこをぶち破る」 「その必要はありません。あと十秒もすれば、警備の者が何名か、扉を開けてここにお邪魔します」 「んだと!? てめえが呼んだのか!? まさか今のおしゃべりは時間稼ぎ……」 「申し訳ありませんが、そのとおり。私の任務はカテゴリーFY71〝翼ある貴婦人(ヴァイアクヘイ)〟の安全装置……ようするに伊捨星歌、あなたの暴走を抑えて、その身の安全を確保することにあります」 「どいつもこいつも人を機関車呼ばわりしやがって! ハネるぞコラ!?」  轟音が響き渡った。  壁際から勢いをつけるや、ホシカの飛び蹴りがコウモリごと扉を襲ったのだ。一回転してそのまま着地。片膝立ちのまま周囲を確認し、ホシカは舌打ちした。 「硬ってえ扉! なんだこりゃ!?」 「それはこちらのセリフです」 「!」  すぐ耳元から聞こえた声に、ホシカの顔はくもった。  ホシカの一撃を浴びた扉は、きれいにへこんで煙をあげている。それをホシカの肩にとまって観察しながら、ラフトンティスは続けた。 「さっきの拘束具もそうですが、ありえません。いかなる呪力の衝突にも耐えうるこの扉までもがこんなことに……なのにホシカ、あなたにはまだ、呪力を行使した形跡は見受けられません。どういう魔法少女なのですか、あなたは?」 「なぁにが〝まほーしょーじょ〟だ!?」  素早くひるがえったホシカの手は、肩のラフトンティスをとらえた。  とらえたはずが、ラフトンティスはいつの間にかホシカの拳の上にとまっている。あいかわらず落ち着いた声で、ラフトンティスはなだめた。 「お願いですから、もう少し細かくあなたを分析させてください。たしかに〝星々のもの(ヨーマント)〟は憑依したはずなのに、組織からする判定は失敗作。にもかかわらず、その瞬発性、腕力、そして獰猛さ……なんという規格外。呼吸を整えたら、さあ、そこのベッドにおかけになって」 「お茶菓子でも出てくるってのか!?」  また轟音が鳴った。  ホシカが扉に投げつけた計器類は、床に落ちて煙と電光をあげている。それらも並の人間ひとりには持ち上げることすらできない重量のはずだが、ホシカ自身は無我夢中で気づく様子はない。 「おかしいですね。通報から三分たちました。なぜ警備員が来ないんです?」  物という物が飛びかう破壊現場の中でも、ラフトンティスは冷静に発信した。 「警備本部、応答願います。こちら〝翼ある貴婦人(ヴァイアクヘイ)〟担当ラフトンティス。繰り返す、警備本部。部屋番号FY71に人間サイズの竜巻が発生。大至急、応援願います」 「失礼だぞ!? くっそ! この扉!」  遠くから、奇妙な音が聞こえたのはそのときだった。 「?」  もちあげた重いものを一旦下ろし、ホシカは耳をすませた。  渇いた破裂音の連続と、尾をひく悲鳴……それも一人分ではない。音は、傷だらけの扉の向こうから断続的に運ばれてくる。  また性懲りもなくホシカの肩にとまりながら、つぶやいたのはラフトンティスだ。 「……なんでしょう。外でなにかあったようですね」 「こいつはもしかして、鉄砲を撃ってる音か?」 「これが聞こえるんですか、ホシカ?」 「ああ。頑丈だと思ったが、以外と安普請なんだな、この部屋」 「心外ですね。完璧な防音設計なんですが?」 「お笑い草だぜ、悪の組織が手抜き工事とは。しっかり聞こえるぞ?」 「それは〝耳で聞く〟というよりは〝体で感じている〟といったほうが正しいですね。かすかな呪力の動きをとらえると同時に、それに付随する現象をも、ホシカはセンサーのように壁越しに把握している。魔法少女の基本的な体質です。私のほうは、研究所内の集音マイクと連動して音を拾っているに過ぎませんが」  デフォルメされた大きな瞳を閉じ、ラフトンティスは集中する様子をみせた。 「妙です。映像で状況を見ることはできません。ある一定区画の監視カメラが故障しています。その直線上、U区画のカメラ二十一番と百三番を起動。おや、これもたったいま応答が途絶えました……何者かが、施設を破壊して回っているということですか?」  ラフトンティスの真剣さに、ホシカはすこし顔を青くした。聞こえもしないのに壁に耳をつけながら、問いかける。 「なにがいるんだよ、外に? いま出たらまずいってことだよな?」 「扉を開けます。そこから離れて」  ラフトンティスが視線を飛ばした途端、駆動音とともに自動扉は開いた。  薄暗い通路を前にしばらく呆然としたあと、怒鳴ったのはホシカだ。 「なんでだ!? なんでいま開けるんだよ!? 危ねーだろ!? ラフトンイヌ!」 「ラフトンティスです。管理者権限で緊急措置を行います。状況が正確になるまで、いったん外部へ避難しましょう」 「外!? やった! 帰れる! いや待って、でも……」  なかなか一歩踏み出せないホシカへ、ラフトンティスは首をかしげてみせた。 「そのあたりの思考は年相応ですね、ホシカ。わかります。暗闇から急に恐ろしい怪物が飛び出してきて、食べられるかもしれない……怖いんでしょう?」 「うっせえ! ちくしょう!」  部屋を飛び出すと、物陰から物陰へ、ホシカは足音を殺して走った。  まずは、ぶ厚い自動扉ごとに仕切られた一本道。窓はなく、上下左右は硬質の壁で覆われている。病院と刑務所を足して二で割ったような印象だ。通路それぞれにはあらゆる汚染を除去する役目があり、その洗礼をすべて越えた終点がホシカの部屋らしい。  ラフトンティスは依然、優雅に肩にとまったままついてくる。  大げさとも呼べる仕組みの数々について尋ねかけたホシカだが、やめた。恐ろしくなったのだ。とんでもない装置があるのは、すなわちホシカ自身もとんでもないことをされた可能性がある。  左右への別れ道へ差しかかると、ホシカはますます顔色を悪くした。  通路にずらりと並ぶ扉、扉、扉。どれもホシカが出てきたそれとそっくりだ。ラフトンティスが〝研究所〟と呼ぶここには、ホシカがいたのと同じような部屋が数多く存在するらしい。ということは、こんな目に遭っているのはホシカひとりではなく……  不意に肩から飛び立ったラフトンティスの羽ばたきが、ホシカの考えをさえぎった。 「所定の避難場所までご案内します。こちらへどうぞ」 「あ、ああ。ぬいぐるみの割には気がきくな。えーっと、ラフ?」 「ラフトンティスです。この姿は保護対象の魔法少女に不要な警戒心を与えぬため、またこのような飛行による移動能力を追求した結果です」 「あいかわらず何言ってるかわかんないけど、よろしくな、ラフ!」  迷路そのものの広大な研究所を、ラフトンティスあらためラフは的確に案内した。  ぱたぱた宙を飛ぶラフに先導され、通路をあっちに行きこっちに行き、階段をのぼること二十階以上。  そう、あるのは上への階段だけだ。おまけに、どこにも外の景色が見える場所はない。この研究所が地下深くにあるだろうということは、ホシカにも簡単に想像がついた。  エレベーターの扉らしきものも何度か見かけたが、非常事態につき動かせないという点だけは常識的で融通がきかない。  そして…… 「うッ!?」  猛烈な臭気に、ホシカはおもわず口元を覆った。  とうとう〝その場所〟にぶつかってしまったのだ。ホシカがもし普通の年頃の少女だったなら、大きな悲鳴をあげて卒倒していたに違いない。  清潔な壁にぶちまけられた鮮血。通路上のところどころに倒れるのは、特殊装備の警備員たちだ。その静けさ、出血の量からすると、生存者がいると考えるのは難しい。  転がった血まみれのマシンガンの上に、ラフはふわりと降り立った。 「鮮やかな手口です。どの警備員も頭部や心臓、頸動脈、いわゆる急所を一撃で切り裂かれ、貫かれて絶命しています。銃も撃つには撃ったようですが……」  ラフは首をぐるりと動かした。壁に穿たれた弾痕の多くは、不自然に上昇したあとなぜか天井で途切れている。 「銃……やっぱり本物かよ。信じられない」  口を覆う袖越しに、ホシカはくぐもったうめきを漏らした。 「天井でも走れるってのか? こいつらの銃の的になった連中は?」 「連中、というのは誤りです。警備員たちを襲ったのはおそらく、多数ではなく」 「ひ、ひとりだって?」  顔をひきつらせながら、ホシカは無残な死体を横目にした。 「そいつの武器はどこだよ? それに、切り裂いて、って言ったよな? いったどんな刃物があれば、こんな大勢を一気に殺せるんだ? 第一、そんな魔法みたいなことができる人間がこの世にいるのか?」 「〝いた〟んでしょう。そしてそれは、ついさっきここを通ったのです。偶然か、はたまた最初から監視されていたそれは、駆けつけた警備員たちを、想像もつかない武器を使って全滅させた。単純な銃火器など〝呪力〟の前には無力に等しいですから」 「じゅ、呪力? それってまさか、あんたがさっき言ってた……」  ラフはうなずいた。 「〝魔法少女〟の力です。破壊されたカメラの位置、交戦のあった場所等々から推測するに、その魔法少女の目的も、ホシカ、あなたと同じ〝脱出〟に間違いありません。ただ大きく違う点がひとつ……」  通路のずっと奥の闇を見通し、ラフは告げた。 「あるていど時間が経つにもかかわらず、あたりに残留したこの呪力の数値。振り切れるほど強い。この殺戮を行った者はすでに〝魔法少女〟としての最終関門(ステージ4)まで覚醒しています。そして彼女は、殺人に対してなんの疑問も持っていません」  目を見開いて、ホシカはじぶんの両手に視線を落とした。 「一歩まちがえたら、あたしもそんな怪物になってたってのか……ラフ、そいつはまだ近くにいるのか?」 「不明です。彼女に設定されたラフトンティスから応答がありません。そのうえ、組織とこの支部をつなぐシステムまでもが麻痺しています。多分これも、暴走した彼女のしわざ……ただ、彼女の目的がホシカと同じだとすれば、その足取りがどこに向かっているかは明白です」 「出口、か……鉢合わせだけは御免だぜ、ラフ!」  ふたたび走り始めたホシカたちは、背後ですばやく動いた影に気付かなかった。
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