蒼い蒼い空の果てへ……

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翌日からは、増槽に燃料の代わりに水を詰めた状態で開始した。 あのバカでかい大型増槽が機の下についている。 離陸は重かった……2,000mの滑走路をギリギリまで使って離陸したが、ウエーキの滑走路はここより短いので何とかしてその範囲内で離陸できるよう気を付けねばならない。 私は機の習熟に努めた。 その中には盟友ドイツからのプレゼントであるカール・ツァイスの航空偵察用の撮影機、こいつの操作もあった、これの操作に失敗すれば何のために行ったのか分からなくなる、私は懸命に操作を習熟した。 習熟期間を終え、機の扱いは良好と言えるまでにはなったが、問題は帰路だった……。 帰路はウエーキまでの航続距離は稼げないため、潜水艦との合流海域で機を捨てて落下傘降下し、待機中のイ号潜水艦に移乗してウエーキまで帰投して、迎えの航空機で南鳥島、硫黄島、厚木へと戻る手はずになっていた。 拾ってくれる潜水艦は護衛を含めて都合2杯で、たった一人の操縦士の為に貴重な潜水艦を2杯も出すことに私は軍令部が如何にこの任務を重要視しているかを肌で感じる事が出来た。 私が立川から特別機を持って厚木に戻ると朝倉中佐は言った。 「明後日の1月15日をもって、『テ号作戦』を開始する。燃料は既にイ号潜水艦がウエーキに揚陸済みである。 俺はここでお別れだが……貴様の成功を祈っている。」 そう言って、私の両手を握った……。 その晩は朝倉中佐と、厚木航空隊参謀と三人で壮行会となった……。 私はたらふく飲んだ、朝倉中佐と参謀は難しい話をしていたが私には関係なかった。 私の頭の中には透き通る様な青い青い布哇の空だけが広がっていた……美しい布哇の空……真珠湾攻撃の搭乗員と偵察に行った2式大艇とイ号19潜の水偵搭乗員しか知らないあの空……私の胸は酒の酔いとも相まって更に高鳴っていた。 出立の日の厚木はやや雲がかかった天気だった。うっすらと日の射す空の元、ハ―112-Ⅱ発動機2基が小気味よい回転を始めた。 1,500hpの高出力の発動機である。 列線には朝倉中佐がただ一人だけ一種制服で立っていた。 私は朝倉中佐の前で申告し、機に搭乗した。発動機の回転数が上がり輪留めを外すよう指示すると、機体はゆっくりと前へと進み始めた。 列線では朝倉中佐が制帽を手に取り頭上で大きく回した……そう、海軍特有の帽振れで送り出してくれたのだ。 機は、ゆっくりと滑走路を滑り出し……そして大空へと舞った……。
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