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私と機は澄み渡る様な冬の空の元、どこまでも続く青い空と青い海を見ながら進んだ。
私と機は硫黄島を経て南鳥島へ……そしてウエーキに着いたのは18日の昼過ぎだった。
ウエーキでは基地司令に申告をし、参謀から命令を改めて受領した。
私の出撃は布哇が早朝となる時間帯に到着して撮影をすることだったため、その時間を逆算して出撃することとなっていた。
現在は大和田から送られてくる布哇の気象情報や傍受した敵方の電波から布哇上空の天気を分析し、現地の気象関係部署が判断して布哇が晴れの公算90%以上の時に出撃することとなった。
それまでの私の仕事は休養である……。
この季節でも暑さを感じるこの小さな島で、私は日がな一日東の彼方を見詰めていた。
あの空の先に布哇がある……そこから先も景色は繋がっていくのだろうが、私は布哇の空を観たかった……そしてその多分蒼い空の果ての空を……。
私は出撃までの間、朝から日暮れまで、滑走路の片隅に腰を下ろして東の空を眺める毎日を送っていた。
出撃が決まったのは、1月19日の夜半だった。
参謀室に呼び出された私は、参謀から命令を受領した。曰く……『第803航空隊 帝国海軍中尉 真鍋義人は、翌1月20日、日本時間1100に当基地を出発、明朝概ね現地布哇時間の0630から0730、日本時間の0130から0200までの間に真珠湾に進入し、敵情を撮影し東経160度50分、北緯17度50分の海上において、機体を投棄し待機中の潜水艦へ搭乗、ウエーキへ戻り、基地用意の航空機で南鳥島、硫黄島を経由して厚木へ帰投すべし。」
私はその命令を復唱した。
復唱をおこないながらも私の脳裏にはコバルト色に光る布哇の海と……そしてそれ以上に美しい紺碧の空が覆っていた。
いよいよあの空へ行けるのだ……私の頭の中は、重大な任務よりもあの空中を飛べるという恍惚にも似た感情が支配していた。
ウエーキから布哇までの距離は約4,000km、平均160kt(時速300km)で移動して約13時間……今まで飛んだ時間の最高は、ラエからタウンズビルまでの3,000kmの往復10時間とエスピリッツ・サントの往復の12時間だったが、今回は片道でさえその時間を上回る点々過酷な飛行だが、私は気楽に考えていた。
リンドヴァーグは30時間以上もの飛行に耐えた、私にも出来るはずだ……。
私は参謀室を出るとピストへ機体の仕上がりを確認しに向かった。
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