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翌1月20日1100丁度、私は機上の人となった。
滑走路沿いに並ぶ見送りの兵士たちの万歳や帽振れを受けながら私の機は滑走路をゆっくりと進み始めた。
流石に1,200L入った特注の増槽は重く……滑走路をぎりぎりに使って漸く離陸することが出来た。
離陸してしまえばこちらのもの……後は一路布哇に向かって飛ぶだけである。
私は機を高度3,000まで上げ、速度を150kt(約300km)に固定した。
この速度では布哇までは約4,000km……飛行時間は約11時間……片道でこれだが、私は満足していた、蒼い空のもっともっと先まで飛べるという喜びだけが私の心の中に木霊していた。
出発後3時間してから弁当の稲荷寿司を食べ、水筒の中身の水を飲んだ。
今回は不慮の事故に備えて、小用用の空き瓶以外はサイダーは積んでこなかった。
ラバウルでベテランの操縦士が誤ってサイダーを噴出させ風防を汚してしまい苦戦した話を聞いていたからである。
私の機は順風満帆に東に向かって飛び続けた、時折プロペラピッチを変え、給油量を調節しながら……。
リンドバーグはたった一人で33時間半を飛んだ、私の飛行は概ね20時間から24時間……偉大な先輩の事を鑑み私は大丈夫だと自分に言い聞かせていた。
飛行時間が10時間近くなった頃、雑音交じりに布哇のホノルル放送が受信機を通じて機内に流れてきた。
真珠湾を攻撃した南雲機動部隊の攻撃隊が受診したといわれる陽気なハワイアンではなかったが、それでもニュース放送と思われる電波の発信源に向かって私は機の主軸を変えた。
オアフ島の直前で増槽を切り落とし、敵の電探に捕まらないよう高度を15mに下げてから突入する算段である。
ややホノルル放送が鮮明に聞こえるころ合いになって、私は海図を確認した。
飛行時間11時間20分、速度150nt(300km)で、オアフ島までの距離は約350km……私は機を高度1,000mまで落とし、200kmに入るところで高度を一気に下げ、増槽を海上に投棄した。
機が軽くなり……風船のように浮かんでいこうとする。
私は操縦桿を抑え込み、機を高度15mに保った。
オアフの空は、進行方向から昇ってくる朝日のせいで輝いていた……。
私はその光景をうっとりとして眺めつつ、高度計を確認し波の上を滑るようにして機を動かした。
残りは50kmを切った……。
迎撃の戦闘機も上がってこない……。
私は侵入に成功したことを確信した。
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