第一話「魚影」

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 クトゥルフの体中にうがたれた銃創から、幾筋もの硝煙がたちのぼっていた。  よく見れば、夜風に流される硝煙の動きはどこか不自然だ。  ナイアルラソテフの化身である拳銃、それに弾丸をふくめ、この世ならざる〝呪力〟のものであることは間違いない。  あおむけに倒れたまま、クトゥルフは動かなかった。  ナコトの銃撃を浴び、その顔は半分なくなっている。かわりに覗くのは、なんと久灯瑠璃絵の顔ではないか。  怪物のままの体が、弱々しくだが呼吸の上下を繰り返すのは、まだ絶命していない証拠だ。  生気のないルリエの顔に、冷たい感触があたった。片手の拳銃を突きつけるナコト自身も、ぼろぼろの血まみれだ。  ルリエは、かすれた声をしぼりだした。 「地獄で会いましょう……染夜ナコト」 「そんな生ぬるい場所に行けると思うか?」  朽ちゆく者にも、ナコトの言葉は容赦なかった。 「そら、また凛々橋に助けを求めてはどうだ? ムダだがな。自分を信じ、痛みを分かち合おうとした者を、おまえは平気で裏切った……クトゥルフ。おまえはこの場で、完全に無に帰す。二度と復活できないよう、精神のひとかけらも残さん」  ナコトの指先で、拳銃のひきがねは動いた。  発砲の刹那、ルリエの目尻にふと輝いたものはなんだったろう…… 「ちょっと待った!」  エドがナコトの腕にすがりつくのは突然だった。 「待った待った待った! 撃ったら死んじゃうよ! 怪物といっしょに、久灯さんまで!」 「〝怪物と久灯〟だと?」  眉をひそめるや、ナコトは腕をひとふりした。  満身創痍にもかかわらず、なんという力だろう。すがりついたエドは、かんたんに砂浜を転がっている。  拳銃の狙いをすばやくクトゥルフへ戻し、ナコトは怒鳴った。 「まだ惑わされているのか!? 見たろう! 久灯瑠璃絵は、クトゥルフの悪意が作り出したかりそめの姿! 怪物と久灯ルリエは、同一のものなのだ!」 「じゃあ、きみはどうなんだ!? 染夜さん! 悪いけど、どこをどう見ても、ただの人間じゃない! それでもきみは、その力でぼくを助けてくれたじゃないか!」 「クトゥルフを始末するついでだ! 勘違いするな! それにわたしは、こいつらとは違う! 人間だ!」 「そう、人間だ! すこし他と違うだけで、人間じゃないか! 久灯さん、染夜さん、ぼく……おなじ学校に通う仲間なんだよ! その中で、久灯さんはすこしやり方を間違えただけだ! 仲間を撃つなんてまねは、絶対にやってはいけない!」 「なら!」  空いている拳銃で、ナコトは横の美須賀湖を指さした。 「あの水の底を泳ぐ〝深きもの〟たちの立場はどうなる!? もとは、やつらにも帰りを待つ家族がいて、あるいは家庭を持っていたかもしれない! 犠牲者たちの魂は!? 無念は!? 未来は!? おまえひとりで背負いきれるのか! 凛々橋!」 「だから、ちょっと待ってって言ってるだろ!」  倒れたルリエの横に、エドは静かにひざまずいた。 「久灯さん」  おだやかなエドの呼び声は、クトゥルフ……ルリエには不思議でならなかった。  ついさっき恐ろしい目に遭ったばかりか、自分のこの本性を見たにもかかわらず、なぜこんなに優しい?  エドはたずねた。 「久灯さん。さらった人たちを、きみが変えてしまったのなら……その〝呪力〟という魔法の力でもとにも戻せるはずだよね? ね?」  ナコトの怒りが沸点に達したのは、次の瞬間だった。 「凛々橋ッ! そこをどけェェッ!」  銃声、銃声、銃声……
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