32人が本棚に入れています
本棚に追加
落ちかけた陽は、その廃工場を不気味なシルエットに変えていた。
ふるびれた廃工場……
もちぬしの会社はとっくの昔に倒産し、とりこわす費用も出資者もなく、じゃまな建物が残っているせいで土地を買うものもいない。おまけに、周辺には主要な交通手段や公共施設がとぼしいときた。
敷地内に放置された多くの重機も、いまは雨や風の受け皿と化して朽ちゆくばかりだ。
廃工場の壁という壁には、極彩色のスプレーで毒々しい落書きがされている。この建物が日々、おかしな連中の巣窟となりはてているのは、地元の住民なら知らぬ者はいない。
そして、きょうも連中はいた。
赤さびの浮いたコンテナの陰に、若者たちがたむろしている。
五人。
ピアスで穴だらけの顔、自分で染めたせいでムラのめだつ髪、間断なく吐き出されるタバコの煙とツバ。絵に描いたような不良だ。
五人には、ある共通点があった。
顔といい体といい、ケガだらけなのだ。ただ残念なことに、彼らの中には、集団対集団の大喧嘩にのぞむ度胸のある者などひとりもいない。
つい先日、彼らを容赦なく打ちのめしたのが、ひ弱そうな高校生たったひとりであることを、助けに入った警官は信じてくれなかった。
もちろん、さいしょに高校生から金銭を巻き上げようとした彼らは悪い。たしかに悪いが、そこに発展するまでは、どう考えても高校生のほうが不良五人を挑発していた。
その後、五人を襲った高校生の力はとんでもなく、そう。まるで凶暴な大型獣のようだった。
そんな不運な彼らだが、きょうは反省会でもしているのだろうか?
なにやら若者たちは、場内の鉄柱をかこみ、足もとの同じ一点を見つめている。
若者たちの中心では、ああ、なんと……制服の女子高生がひとり、むきだしの鉄柱にナワで体を縛りつけられているではないか。
女子高生には意識があった。だが、その口はガムテープで無造作に封じられ、目だけが恐怖をうったえている。
弱気な声でつぶやいたのは、あごヒゲをはやした若者だった。
「なあ、どうするよ?」
「なにが? 俺らちゃんと、このひとの言うとおりにやったっしょ? 痛てて」
息をするだけでも痛むのか、長髪の若者は、先日エドにやられた脇腹をおさえた。足もとで震える女子高生を指さしながら、顔をしかめる。
「なにがあっても自分を逃がすな、って言ってたぜ、このひと。こうやって自分が、別人みたいにブルって暴れるってことも、あらかじめ言ってた」
「ちょっとこっち来い!」
あごヒゲは、長髪の首に腕をまわすと、むりやり後ろを向かせた。激痛に悪罵を発する長髪に、けっして他には漏れぬような小声で耳打ちする。
とくに、背後の女子高生にだけは絶対聞こえぬよう。
「いまが逃げるチャンスじゃね?」
「いやいやいや」
「もうすぐ、〝あいつ〟が来るって言うんだぜ? 俺らをフルボッコにした、ライオンみたいな〝あいつ〟が」
「マジかよ? ヤバくね? 逃げるって言ってもさ、あいつとそこの女には、俺らの連絡先から名前、住所、昔やった悪いことまで、知られたくないことはぜんぶバレてんだけど?」
「言わなきゃ殺すって言うんだから、話すしかなかったろ!?」
「俺もトンズラには大賛成だけどさ。もし、あることないこと警察にでもチクられてみろよ。こんどこそ俺らはオシマイだ。いや、警察のほうがまだマシ。警察は、あんなむちゃくちゃな力で人を蹴ったり殴ったりしないからな。俺らが逃げて、もし、あいつに見つかったら……あいつ、こんどこそ本気出すぜ?」
「だからだよ! あいつが来るまえに、ありったけ仲間集めようや! 全員で、あいつと女をやっちゃうんだよ! 二十人も三十人もいれば、さすがのあいつも……」
おちついた声は、闇から響いた。
「まだ、〝やっちゃって〟ないんですか?」
「ヴあ!?」「ヒい!?」「おえッ!?」
口々に狼狽するや、不良五人の視線は上を向いた。
おなじ方向を見上げて、目を剥いたのは縛られた女子高生だ。
いつからいたのだろう。
大型のコンテナが、三つ積み重ねられたその頂上……コンテナの屋根にひとり、制服姿の少年が座っている。
彼こそが、若者たちを力でねじ伏せた相手……凛々橋恵渡だった。
鉄棒の逆上がりも怪しい運動オンチの彼が、どうやってあんな高い場所へ?
そしてそんな高さから、どうやってかエドは、きれいに体を折りたたんで床へ降り立った。ねんざひとつない。不良五人は、ざっと道をあけている。
動揺したのは、あごヒゲの若者だ。
「その、さっきの話なんだが……」
「ええ」
エドはにっこり微笑んだ。
「この工場から一歩でも外へ逃げてたら、骨の折れる話になってましたよ、みなさん。もちろん物理的にです。まず腕、つぎに足、それから背骨、さいごは首の骨ですかね。全身不随のままでも生き長らえたいと言うのであれば、それはそれで相談にのりますが」
「ゆ、ゆるして。ゆるしてくれ。もう二度と、おかしな考えは起こさないから……」
「わかりました。みなさんは、わたしの貴重な協力者ですからね。それに、言いつけどおり、ちゃんと〝それ〟を見張ってくれてたようですし」
「その喋りかた……やっぱり」
拘束されてもがく女子高生と、エドを交互に見くらべ、長髪の若者は声を震わせた。
「やっぱりあんた、アレできるって話はマジだったのか?」
「予告どおり〝こっち〟を連れて帰ってきたでしょう?」
エドの笑顔は、いやらしいものに変わった。
これが本性というやつなのだろうか? ぴんと張られたその背中からは、一種の殺気に似たものさえうかがえ、眼光もやけに強い。
未知の恐怖に顔を青くする不良五人を、たのしげに見回しながら、エドは続けた。
「見た目に似合わず、マジメなことですねえ、みなさんも。べつによかったんですよ? わたしなんか待たず、この女の子を好き勝手してしまっても」
若者たちの間を毅然と歩くと、エドは女子高生の前に立った。少女の視線にあわせて身をかがめるエドへ、疑問を投げかけたのは長髪の若者だ。
「いやいやいや。だってそのコは、あんたの……」
「じつを言いますとね。この体も中身も、もういらないんです。なんの役にも立たないんですよ。それどころか、わたしを裏切ろうとまでした……そんなことなら、最後ぐらい、みなさんを満足させて死んでいってもいいのでは、と思いまして」
エドは、女子高生の口に手をやった。いきおいよくガムテープをはがす。
少女……樋擦帆夏は、開口一番に叫んだ。
「ぜんぶきみの仕業だったんだな! ハンナ!」
ハンナはいま、なんと言った?
平然と答えたのはエドだ。
「じぶんに怒鳴るのはやめましょうよ、エド。ちいさな動物から大きな動物、そしてこのとおり、人間……エドとのおつきあいの中で、わたしの能力は磨かれました。ありがとうございます。ほんとうにお疲れさまでした」
逆だ。
エドの体に、あの利口なハンナの精神が入り、また反対に、ハンナの体にはエドの魂が宿っている。ありえないが、そうとしか考えられない。
だがそれで、美須賀動物園のライオンの一件も説明がつく。
しかし、どうやって?
ハンナの顔をしたまま、エドは声をはりあげた。エドの顔をしたハンナへ。
「ぼくをどうするつもりだ!? なんでこんなことをする!?」
「どうか冷静になって。……エド、あなた、わたしの秘密を漏らそうとしたでしょう?」
「!」
「それも、よりによってあの染夜名琴に。あなたの一挙手一投足はいままで、すべてわたしに筒抜けだったんですよ? うす~くですが、あなたの体に入り、あなたの五感を借りて。とても悲しいです、わたし。どうして裏切ったんです?」
「ぼくの体を勝手に使って、きみが暴れまわるからだ! ぼくは……ぼくは最後まで、きみを信じるつもりだった!」
「もう、信じてはくれないのですか?」
「あたりまえだ! きみなんかとは、金輪際お別れだ!」
「わかりました」
かがやくような笑顔を浮かべると、少年は身を起こした。
異次元の会話を耳にし、不良五人は石のように固まっている。エドはそれらへ、おおきく手を振って指示した。
「さあ、みなさん。もうそろそろガマンの限界でしょう。そこの女、可能なかぎり無茶苦茶にしていただくよう、よろしくお願いいたします。最後にはちゃんと、息の根は止めてくださいね?」
顔をひきつらせたのは少女だ。
「なに言ってるんだ!? これは、きみの大事な体だろ!?」
「こっちの体のほうが、ふふ、もっと大事です。あなたの精神は残念でしたけど、これからはあなたの体だけを愛してゆくことにしましょう。本来であれば、あなた自身がもうすこし染夜ナコトに近づいてから、こうする予定ではありましたが……あなたには荷が重すぎたようですね。わたしがかわります」
「ぼくに化けるつもりか!? ムダだ! 染夜さんはすぐに見破るぞ!」
「ご心配なく。そのために、エド、あなたなんかと付き合ったんですから」
「!」
「ひとりの人間をかんぺきに演じるには、やはり長い観察が必要。エド、あなたは、わたしの求める条件を満たしています。わたしは、できるだけ単純な行動パターンを持ち、なおかつ、すこし性格が変わったぐらいでは気づかれもしない、影の薄い人間を探していました。もちろん、染夜ナコトと同じクラスで、それなりに近しい人間という点も評価は高い。あなたになるのは簡単と、わたしは判断しています」
ふと、少年は周囲の不良たちを見た。
「どうしました? じらすのはもう十分ですよ。わたしは見てみたいんです。毎日、鏡で見てきたわたしの顔が、とてつもない苦痛と陵辱にゆがむのを。わたしの顔が、べつの人間の意思で恐怖するのを。その様子を逐一、客観的に観察するためには、どうしてもみなさんのご協力が必要なのです。さあさあさあさあ」
押し殺した声で告げたのは、あごヒゲの若者だった。
「あんたらおかしいよ。イカれすぎ……ぅッ!?」
次の瞬間には、あごヒゲの首を少年の手がつかんでいた。どういう原理か、激しくもがく大の男を、片手一本で宙吊りにしてみせる。
あごヒゲの耳に、少年はやさしく語りかけた。
「息、できないでしょう?」
「~~~ッ!」
「このまま締め続ければ、あなたは酸素欠乏症になり、死にます。九割ぐらいのところで放せば、おそらく命は助かりますが、かわりに脳には重大な障害が残ります。あなたが寝たきりになったベッドの横で、ご家族や警察にはわたしから事情をご説明しましょう。みなさんが教えてくれた、人道的にあまりよろしくない、あんな秘密やこんな秘密を。社会的、肉体的に二重で死ねるとは貴重な経験ですね」
みせしめは効果抜群だったらしい。
お互い頷きあうと、不良たちは手に手に凶器をもちあげた。
とびだしナイフ、メリケンサック、スタンガン、警棒……解放されて床に落とされたあごヒゲも、ぜえぜえ息を荒げながら、そばの鉄パイプをつかんでいる。
残念なことに、皆が皆、ハンナの顔をしたエドを欲望のはけ口にする気には、とてもなれないらしい。
「素直が一番です。しっかりお仕事してくれれば、じきに自由にしてあげますからね」
少年の提案にも後押しされ、少女をとりかこむ不良の輪は、じわりと狭くなった。
ハンナの声で悲鳴をあげたのはエドだ。
「やめろハンナ! ぼくに、ぼくの体をかえせ!」
エドという自分の体を抱きしめ、ハンナは恍惚たる表情だった。
「エドの体にわたしの心……一心同体。これぞまさしく、真の愛だと思いません?」
「おい、変態」
その低い声と同時に、廃工場の扉は吹っ飛んだ。
最初のコメントを投稿しよう!