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蝶番ごとちぎれ飛んだ鉄扉は、かんだかい響きをあげて床をはねた。
おそるべき脚力でそれを蹴り開けた足は、床におろされて硬い靴音をたてている。
廃工場の入口に仁王立ちしたまま、その制服姿の少女は順番に内部の人間を見た。
あぜんと立ち尽くす不良五人、つぎに鉄柱にしばられた女子高生、さいごに、みおぼえのある同級生の少年を。
とつぜんの乱入者……染夜名琴は、眉をひそめてつぶやいた。
「そこまで堕ちたか、凛々橋」
「違う違うちがァ~うッ! 勘違いもはなはだしいよ! 染夜さん!」
あらんかぎりの声をふりしぼったのは、ぐるぐる巻きの少女だ。
かけたメガネをくいと持ちあげ、ナコトは腕組みした。
「だれだ、おまえ?」
「ぼくに決まってるじゃないか! エドだ! 凛々橋恵渡!」
「そんな汚物じみた名を騙って、なんの得があるのかわたしにはわからん」
「きみの血は何色だい、染夜さん……あ、そうか、この格好! 説明はあとだ、染夜さん! ぼくの姿をしたそいつ! 中身はぼくじゃない! 樋擦帆夏だ! 逆にぼくは、ハンナの悪意でこの体に閉じ込められている!」
「たしかに、外で聞いたかぎり、なにか妙なことになっているようだが……テフ、翻訳をたのむ」
ナコトの問いかけにあわせて、一同の視線はずいぶん低い位置にさがった。
さきほどからナコトの足もとでは、ちいさな物体が、全身の体毛を逆立たせて恐ろしいうなり声をあげている。
ハリネズミ? いや……てのひらサイズのイノシシだ。
子イノシシのテフこと、ナイアルラソテフの威嚇は、エドの顔をした少年のほうへ向いている。
これまでの動物の例にもれず、樋擦帆夏の精神から、本能的に危険な雰囲気を感じ取ったらしい。
テフは重々しく答えた。
「あのお嬢ちゃん、ウソは言ってねえ。このとんでもなくイヤなニオイは、あの男のほうからする。ナコト、用心しな。凛々橋に憑いてるのはたぶん、呪力で精神そのものを交換する能力者だ」
「よくわかった。つまり、いずれにせよ、凛々橋の姿をしたあれは、顔の形がかわるほど打ちのめさなければならないと言うことだな」
ナコトとテフの人語を介したそのやりとりに、ハンナ内のエドをふくめ、若者たちは驚愕をかくせない。
ただひとり、エドの顔をしたハンナをのぞいて。
エドの体を使って、ハンナは肩をすくめてみせた。
「一瞬、エドのふりでもして誤魔化そうと考えましたが……どうやらすでに勘づかれているみたいですね。はじめまして、染夜名琴。そして、ナイアルラソテフ。樋擦帆夏ともうします」
表情を険しくして、ナコトはたずねた。
「おまえ、その力、だれにもらった?」
「さすが、お察しが早いですね。あなたもよくご存知の〝あの方〟です」
「それを口にするということは、おまえ、本格的に命はいらんようだな」
「それはこっちのセリフですよ、染夜名琴」
余裕たっぷりに、少年は続けた。
「そちらのナイアルラソテフが、この地方全域に張りめぐらせた結界の存在は、あの方から聞かされています。古来より高純度の呪力にあふれているはずの赤務市ですが、結界の干渉により、あの方の高貴な実験に〝にごり〟が生じてばかりでお困りです。ではどうするか? 結界の源であるナイアルラソテフの呪力と精神を、かんぜんに絶つしかない……そしてそれらはいま、染夜名琴。あなたの中に棲んでいます」
不敵にこぶしを鳴らし、つぶやいたのはナコトだ。
「だからエドになぞ成り代わろうとしたのか。わたしを消すために」
「予定は少々、早まりました。そちらからのこのこ現れて頂いたおかげで」
少年が何度か指を鳴らすと、不良五人は我に返った。
「さて、みなさん。ルールの変更です。あの女、染夜名琴を始末してください。どんな手を使ってもかまいません。さいしょに首をとった方は、ご褒美に自由にして差し上げましょう」
少年の提案に、五人は色めき立った。
「ごらんの通り、ターゲットは丸腰の女子高生です。簡単でしょ? ほら、モタモタしてると、無理矢理にでもみなさんの体を奪って、使いますよ?」
少年の言葉は、すでに洗脳の域に達していた。もとより獣のように単純な若者たちだからこそ、精神を入れ替えるまでもなくハンナに〝説得〟されてしまったらしい。
解放への欲求と、恐怖を原動力に、不良五人はナコトへ殺到した。それぞれの手には雑多な、しかし殺傷力のある凶器がかがやいている。
首の骨を鳴らしながら、ナコトは告げた。
「ターゲットはよく選べと言っている」
にぶい音が聞こえた。
ふりおろされた鉄パイプを最小限の動きでかわすや、前に体をおよがせた不良の後頭部を、ナコトの強烈な肘打ちが襲ったのだ。
回転しながら舞いあがる鉄パイプ。直後、横から放たれた別のひとりのナイフを、ナコトは勢いそのままに受け流している。
狙いを外れたナイフの先には、火花をあげるスタンガンがあった。ナイフ越しにスタンガンに触れた若者が、百万ボルトのまばゆい光につつまれる。
スタンガンを持つ不良の目がくらんだ刹那、ナコトはその手首をつかんでいた。
つかんだ手首を素早くねじまげ、今度はスタンガンの先端を、警棒をふりあげたひとりの胸にあてる。
かなきり声の絶叫とともに、警棒は宙へとんだ。警棒の柄をナコトの手がつかみ、逆の手は、床に落ちる寸前の鉄パイプをすくいあげる。
うちこまれたメリケンサックの拳をかわし、ナコトは旋回した。左右の不良ふたりのみぞおちに、警棒と鉄パイプがそれぞれめりこむ。
スタートからおよそ五秒。不良五人は、数珠つなぎに倒れた。
それを背後に、ナコトは床を蹴って駆けだしている。
「テフ!」
「おう!」
ナコトの声に応じ、子イノシシは高く跳躍した。
空中で、その丸い体が変化する。動物から、正体不明の混沌へ。混沌から、かがやく二挺の拳銃へ。
鋭く体を切り返したナコトの両手が、落ちてきた拳銃ふたつを正確にキャッチする。
またたく間に、その銃口は、ハンナの乗り移ったエドの眉間にあてられていた。
少年の顔にも、もはや余裕の笑みはない。冷や汗の滝をしたたらせながら、少年はエドの声でうめいた。
「染夜さん……ハンナはそっちだ!」
「な!?」
目を剥いたナコトを、すさまじい衝撃が襲った。
長々十メートルも吹き飛んで、その体が奥のコンテナへ叩きつけられる。金属質の音を残し、床を転がる拳銃二挺。
大きくへこんだ鋼鉄製のコンテナから、ナコトは力なく床へ落ちた。
蹴り足を引き戻し、暗い笑みを浮かべた女子高生は……ハンナだ。その足もとには、ひきちぎられたロープが死んだ蛇のように散らばっている。
この華奢な体のどこにそんな力が?
「ふつうなら、体がばらばらに砕け散ってもおかしくないんですけどね……さすが染夜名琴。ナイアルラソテフの力が憑依しているだけあります」
本来のハンナの体に戻り、ハンナはハンナの声でささやいた。
「精神の操作と同時に、わたしは肉体の制御法にも精通しています。人間の体にもともとかかったリミッターを外せば、あら不思議。チンピラの五人ごときは当然ながら、ライオンの頭も素手でねじ切る超人の登場です」
どす黒い血を吐きながら、ナコトは震える腕をささえに身を起こした。
起こしかけたその首すじに、ひやりと当たったのは鋭い感触だ。床に転がっていた不良のナイフを、こんどはハンナがナコトの頸動脈にそえている。
ここまでか……
動きを止めたナコトを、ハンナは嘲笑とともに見下した。
「こんなちっぽけなナイフも、わたしにかかれば斧やナタ同然です。染夜ナコトの首、のちほど物理的にお届けにまいりますね……ハスターさま」
血しぶきが、床にぶちまけられた。
「……おや?」
肩から吹き出る血を、呆然と見つめたのはハンナのほうだった。
あちらへ目を向ければ、テフの化けた拳銃から、呪力の硝煙がたちのぼっている。そして、こきざみに震える手でそれを握るのは……エドではないか。
ハンナの形相は、まさしく鬼へと変じた。
「エぇぇぇドぉぉぉッッッ!!!」
銃声、銃声、銃声……
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