第二話「獅子」

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 蝶番ごとちぎれ飛んだ鉄扉は、かんだかい響きをあげて床をはねた。  おそるべき脚力でそれを蹴り開けた足は、床におろされて硬い靴音をたてている。  廃工場の入口に仁王立ちしたまま、その制服姿の少女は順番に内部の人間を見た。  あぜんと立ち尽くす不良五人、つぎに鉄柱にしばられた女子高生、さいごに、みおぼえのある同級生の少年を。  とつぜんの乱入者……染夜名琴は、眉をひそめてつぶやいた。 「そこまで堕ちたか、凛々橋」 「違う違うちがァ~うッ! 勘違いもはなはだしいよ! 染夜さん!」  あらんかぎりの声をふりしぼったのは、ぐるぐる巻きの少女だ。  かけたメガネをくいと持ちあげ、ナコトは腕組みした。 「だれだ、おまえ?」 「ぼくに決まってるじゃないか! エドだ! 凛々橋恵渡!」 「そんな汚物じみた名を騙って、なんの得があるのかわたしにはわからん」 「きみの血は何色だい、染夜さん……あ、そうか、この格好! 説明はあとだ、染夜さん! ぼくの姿をしたそいつ! 中身はぼくじゃない! 樋擦帆夏だ! 逆にぼくは、ハンナの悪意でこの体に閉じ込められている!」 「たしかに、外で聞いたかぎり、なにか妙なことになっているようだが……テフ、翻訳をたのむ」  ナコトの問いかけにあわせて、一同の視線はずいぶん低い位置にさがった。  さきほどからナコトの足もとでは、ちいさな物体が、全身の体毛を逆立たせて恐ろしいうなり声をあげている。  ハリネズミ? いや……てのひらサイズのイノシシだ。  子イノシシのテフこと、ナイアルラソテフの威嚇は、エドの顔をした少年のほうへ向いている。  これまでの動物の例にもれず、樋擦帆夏の精神から、本能的に危険な雰囲気を感じ取ったらしい。  テフは重々しく答えた。 「あのお嬢ちゃん、ウソは言ってねえ。このとんでもなくイヤなニオイは、あの男のほうからする。ナコト、用心しな。凛々橋に憑いてるのはたぶん、呪力で精神そのものを交換する能力者だ」 「よくわかった。つまり、いずれにせよ、凛々橋の姿をしたあれは、顔の形がかわるほど打ちのめさなければならないと言うことだな」  ナコトとテフの人語を介したそのやりとりに、ハンナ内のエドをふくめ、若者たちは驚愕をかくせない。  ただひとり、エドの顔をしたハンナをのぞいて。  エドの体を使って、ハンナは肩をすくめてみせた。 「一瞬、エドのふりでもして誤魔化そうと考えましたが……どうやらすでに勘づかれているみたいですね。はじめまして、染夜名琴。そして、ナイアルラソテフ。樋擦帆夏ともうします」  表情を険しくして、ナコトはたずねた。 「おまえ、その力、だれにもらった?」 「さすが、お察しが早いですね。あなたもよくご存知の〝あの方〟です」 「それを口にするということは、おまえ、本格的に命はいらんようだな」 「それはこっちのセリフですよ、染夜名琴」  余裕たっぷりに、少年は続けた。 「そちらのナイアルラソテフが、この地方全域に張りめぐらせた結界の存在は、あの方から聞かされています。古来より高純度の呪力にあふれているはずの赤務市ですが、結界の干渉により、あの方の高貴な実験に〝にごり〟が生じてばかりでお困りです。ではどうするか? 結界の源であるナイアルラソテフの呪力と精神を、かんぜんに絶つしかない……そしてそれらはいま、染夜名琴。あなたの中に棲んでいます」  不敵にこぶしを鳴らし、つぶやいたのはナコトだ。 「だからエドになぞ成り代わろうとしたのか。わたしを消すために」 「予定は少々、早まりました。そちらからのこのこ現れて頂いたおかげで」  少年が何度か指を鳴らすと、不良五人は我に返った。 「さて、みなさん。ルールの変更です。あの女、染夜名琴を始末してください。どんな手を使ってもかまいません。さいしょに首をとった方は、ご褒美に自由にして差し上げましょう」  少年の提案に、五人は色めき立った。 「ごらんの通り、ターゲットは丸腰の女子高生です。簡単でしょ? ほら、モタモタしてると、無理矢理にでもみなさんの体を奪って、使いますよ?」  少年の言葉は、すでに洗脳の域に達していた。もとより獣のように単純な若者たちだからこそ、精神を入れ替えるまでもなくハンナに〝説得〟されてしまったらしい。  解放への欲求と、恐怖を原動力に、不良五人はナコトへ殺到した。それぞれの手には雑多な、しかし殺傷力のある凶器がかがやいている。  首の骨を鳴らしながら、ナコトは告げた。 「ターゲットはよく選べと言っている」  にぶい音が聞こえた。  ふりおろされた鉄パイプを最小限の動きでかわすや、前に体をおよがせた不良の後頭部を、ナコトの強烈な肘打ちが襲ったのだ。  回転しながら舞いあがる鉄パイプ。直後、横から放たれた別のひとりのナイフを、ナコトは勢いそのままに受け流している。  狙いを外れたナイフの先には、火花をあげるスタンガンがあった。ナイフ越しにスタンガンに触れた若者が、百万ボルトのまばゆい光につつまれる。  スタンガンを持つ不良の目がくらんだ刹那、ナコトはその手首をつかんでいた。  つかんだ手首を素早くねじまげ、今度はスタンガンの先端を、警棒をふりあげたひとりの胸にあてる。  かなきり声の絶叫とともに、警棒は宙へとんだ。警棒の柄をナコトの手がつかみ、逆の手は、床に落ちる寸前の鉄パイプをすくいあげる。  うちこまれたメリケンサックの拳をかわし、ナコトは旋回した。左右の不良ふたりのみぞおちに、警棒と鉄パイプがそれぞれめりこむ。  スタートからおよそ五秒。不良五人は、数珠つなぎに倒れた。  それを背後に、ナコトは床を蹴って駆けだしている。 「テフ!」 「おう!」  ナコトの声に応じ、子イノシシは高く跳躍した。  空中で、その丸い体が変化する。動物から、正体不明の混沌へ。混沌から、かがやく二挺の拳銃へ。  鋭く体を切り返したナコトの両手が、落ちてきた拳銃ふたつを正確にキャッチする。  またたく間に、その銃口は、ハンナの乗り移ったエドの眉間にあてられていた。  少年の顔にも、もはや余裕の笑みはない。冷や汗の滝をしたたらせながら、少年はエドの声でうめいた。 「染夜さん……ハンナはそっちだ!」 「な!?」  目を剥いたナコトを、すさまじい衝撃が襲った。  長々十メートルも吹き飛んで、その体が奥のコンテナへ叩きつけられる。金属質の音を残し、床を転がる拳銃二挺。  大きくへこんだ鋼鉄製のコンテナから、ナコトは力なく床へ落ちた。  蹴り足を引き戻し、暗い笑みを浮かべた女子高生は……ハンナだ。その足もとには、ひきちぎられたロープが死んだ蛇のように散らばっている。  この華奢な体のどこにそんな力が? 「ふつうなら、体がばらばらに砕け散ってもおかしくないんですけどね……さすが染夜名琴。ナイアルラソテフの力が憑依しているだけあります」  本来のハンナの体に戻り、ハンナはハンナの声でささやいた。 「精神の操作と同時に、わたしは肉体の制御法にも精通しています。人間の体にもともとかかったリミッターを外せば、あら不思議。チンピラの五人ごときは当然ながら、ライオンの頭も素手でねじ切る超人の登場です」  どす黒い血を吐きながら、ナコトは震える腕をささえに身を起こした。  起こしかけたその首すじに、ひやりと当たったのは鋭い感触だ。床に転がっていた不良のナイフを、こんどはハンナがナコトの頸動脈にそえている。  ここまでか……  動きを止めたナコトを、ハンナは嘲笑とともに見下した。 「こんなちっぽけなナイフも、わたしにかかれば斧やナタ同然です。染夜ナコトの首、のちほど物理的にお届けにまいりますね……ハスターさま」  血しぶきが、床にぶちまけられた。 「……おや?」  肩から吹き出る血を、呆然と見つめたのはハンナのほうだった。  あちらへ目を向ければ、テフの化けた拳銃から、呪力の硝煙がたちのぼっている。そして、こきざみに震える手でそれを握るのは……エドではないか。  ハンナの形相は、まさしく鬼へと変じた。 「エぇぇぇドぉぉぉッッッ!!!」  銃声、銃声、銃声……
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