第二話「獅子」

9/9
前へ
/44ページ
次へ
 力の抜けたナコトの手から、硝煙の軌跡をひいて、拳銃は二挺とも地面へ落ちた。  地面に触れる寸前、磁石どうしがくっつくように、拳銃と拳銃はひとつに融け合わさっている。  もとの形をなくしたそれは、得体のしれない混沌のうねりと化し、またたく間に姿を現したのは、てのひらサイズのイノシシのこどもだ。  だが、相棒であるその子イノシシ……ナイアルラソテフをほうって、ナコトはどこへ行くつもりだろう?  地面に点々としたたる血痕。自分で撃った胸をおさえ、足をひきずって歩くナコトの姿は悲愴というほかない。  ちいさな足音を残してナコトの横へならぶと、ナイアルラソテフことテフはたずねた。 「おいおい、ナコトさんよォ」 「凛々橋のなきがらは、人間の組織にまかせる。連中のほうが、よほどうまく凛々橋をほうむり、その魂をしずめてくれるだろう」 「なに焦ってんだ? ケガに再生も追いついてねえ。そこらで休め、とりあえず」 「そんなヒマはない。やつは……ハスターは、すぐ近くまで来ている。追わなければ」  つぶらな瞳を逆三角にして、テフはいきどおった。 「ばかやろう! やせ我慢はよせ! いまにでも倒れて、気絶しちまいたいくせに! だいいち、そんなズタボロで、ろくに銃の狙いをつけれると思ってんのか!? 俺がおまえなら、そんな無茶はしねえ!」 「おまえはわたしだろう、テフ?」 「!」 「なら、わたしのハスターへの復讐心も理解できるな? ハスターは、凛々橋の、そして優葉(すぐは)の……家族の仇だ。ぜったいに見つけだして、仕留める」 「それは楽しみだな、染夜名琴」  その声を耳にして、ナコトはぴたりと足を止めた。  テフのものではない。あるはずがない。こんな深淵めいた高笑いを、この世界のものが発するわけがない。  強い風が木々と葉擦れをかなでる中、ナコトのうしろで、〝また〟それは立ち上がろうとしていた。  操り糸にひかれる人形のように。さっき銃弾で貫かれたばかりの頭から、だらだら血をこぼしながら。  エド? たしかにそうだが、ちがう。  噛みしめられたナコトの歯の間から、きしるような唸りがもれた。 「ハスター……!」 「よくもまあ、あの小娘が立派なハンターに育ったものだ。その復讐心とやらを忘れぬため、自分を変えたのか? それともただ単に、ナイアルラソテフの呪力に変えられただけか? いずれにせよ、冥府へ逝ったおまえの両親も、血の涙を流して喜んでいることだろうよ」  立ち尽くすエドの瞳には、すでに光はない。だが、動きもしないその口から漏れるハスターの声には、すさまじい重圧感が秘められていた。 「石の都より引きずりだした久灯ルリエ、倒す手並みはあざやかだった。クトゥルフ自身はみずから復活の力を得たと考えているようだが、ちがう。契機となる呪力の〝門〟を海底にうがち、この地と関連づけたのは、このわたしだ。すべては、染夜ナコト。おまえをふたたび、わたしの前に招くためにほかならない」 「やつにテフの結界が効かなかったのも、きさまが裏で糸をひいていたせいか……それ以上、凛々橋の体をもてあそぶのはやめろ!」  叫んで振り返ったときには、ナコトの両手には二挺の拳銃が現れている。  刹那、おそろしく巨大ななにかが、猛スピードでナコトをとおりすぎた。  たとえるならそれは、壁。ぞっとするほど薄く、きわめて大きい光の刃。 「……!?」  最初、ナコトにはなにが起こったのかわからなかった。  鮮血の尾をひいて、きりきりと闇を回転し、音をたてて地面に落ちたのは、マネキンの細い腕にもみえる。ナイアルラソテフの拳銃をにぎったままの手。  光の壁に断ち切られた、ナコトの片腕だった。  同時に、ナコトのうしろで、時計の柱は中央からきれいに分断されている。いや、それだけではない。  攻撃の発生源であるハスター、そしてナコト、時計の柱を線でつないださらに先、そびえる樹木という樹木が、縦にまっぷたつに割れ、つづけざまに倒れ伏してゆくではないか。  光の壁に斬られたものの断面は、どれも鏡のごとく滑らかで鋭い。  戦慄を声にしたのは、二挺のうちどちらの拳銃だったろう。 「この呪力の塊は……〝黄衣の剣壁(ウォール・オブ・エリュクス)〟! 逃げろナコト! ハスターの野郎、本気だ!」  ひとつふたつ後退してから、ナコトはがくりと膝をついた。青い顔でおさえた片腕の切り口からは、冗談のように血がふきだしている。  中継機がわりのエドの中で、ハスターは首をひねったようだった。 「あのとき、遺跡でわたしを退けた力はどうした? おまえは人でありながら〝星々のもの(ヨーマント)〟に喰われず、むしろ心をかよわせることで呪力を得た稀有な存在。腕や首の一本ごとき、まばたきひとつの間につなげられようもの……そうか、なるほど。おまえ、まだナイアルラソテフの力に制御をかけているな?」  ハスターは愉快そうに笑った。 「じつのところ、おまえは怖れている。じぶんが完全に人でなくなることを。ごくわずかだが、心のどこかでまだ信じている。失った家族にまた会える、と。家族にあわせる人間の顔がそれほど惜しいか、染夜ナコト? 〝食屍鬼〟にも〝魔法少女〟とやらにもなりきれぬ半端な出来損ないの分際で……これはますます、観察の意義が強まった」  高笑いするエドの体から、なにかが散ったのはそのときだった。  見よ。屍の全身に、ウロコめいた亀裂が走ったかと思いきや、夜風に舞ってゆっくり砕け始めたではないか。  粉々になって輝きながら、ハスターはささやいた。 「絶望と希望、訪れるのはつねに同時だ……期待して待つがいい、染夜ナコト」  暗闇に、笑い声はいつまでも響いていた。
/44ページ

最初のコメントを投稿しよう!

32人が本棚に入れています
本棚に追加