第三話「矢印」

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第三話「矢印」

 どのくらいの高さを落ちたのだろう?  遺跡の石畳に倒れたまま、わたしは身動きできずにいた。床にぶつかった衝撃で息はつまり、体じゅうが激しく痛い。  ここは、赤務市の外れにある天辺(てんぺ)山。  きのうの記録的な台風のせいで、その山肌は地すべりを起こした。  結果、土の下から顔をのぞかせたのがこの古い遺跡だ。遺跡はまだほとんどが地面に埋まっており、市役所などに発見されるまでは長い時間がかかるに違いない。  数時間前、天辺山のなれのはてを、テレビ局のヘリがはるか上空から中継するや、わたしは一も二もなく自宅を飛びだし、ここへ向かっていた。  見たい。それは、近くで起きた火事にむらがる野次馬の心理といっしょだ。  わたしの場合はまた、人一倍に好奇心が強いときた。その傾向が変わり者レベルにまで昇華されているわたしには、あ然とするほど友達がすくない。  物事に秘められた多くの面に、まるで誘い込むかのような〝矢印〟が見える気がして、なにかと深入りしすぎてしまうせいだ。世間一般にはそれを〝しつこい〟とか〝めんどくさい〟とよぶ。  いまいましいその〝矢印〟は、やはりこの天辺山への道にも現れた。  そして現在、わたしはこの遺跡で、こんな恥ずかしい格好で倒れている。  山道をばく進していたところ、足もとに開いた縦穴に気づかず、そのまま真っ逆さまに転がり落ちてしまったのだ。目玉がとびでるかと思った。 「ホントだったんだね……地球の中が空洞だっていうウワサ」  つぶやき混じりに咳をしながら、わたしはゆっくり身を起こした。  例の縦穴から差し込むかすかな光をのぞいては、遺跡の内部はまっくらだ。カビくさい土のにおいが、ひんやりと鼻をつく。  ある違和感に気づき、わたしは床を手探りしはじめた。 「メガネ、ネガネ……」  床をなでまわす手には、ざらついた石の感触ばかりが返ってくる。  さんざん辺りを捜索し、わたしはやがて諦めた。ため息をついて、上を見る。  わたしのホールインワンした縦穴の出口は、高い天井のさらに上方にあった。  まずそこまで手を届かせるのが問題だが、縦穴の壁面そのものには、生え放題のツタや石の凹凸が少なからずあり、入ってしまえば登るのも不可能ではなさそうだ。  としごろの同級生と違い、いつも短く爪を切っている成果が、いまここに発揮される……  ふと、視界の端になにかが輝いた。  案の定〝矢印〟だ。その先端は、めざす縦穴とはまったく逆の方向、つまりわたしの背後を示している。  ちなみに〝矢印〟は色や形がはっきり見えるわけではない。ただそこにあるかのような、おぼろげな感覚があるだけだ。  ひたすらうしろを指さす〝矢印〟を横目に、わたしは眉をひそめた。 「なにがあるの、その先に? 地底人に食べられたきゃ、おひとりでどうぞ」  地響きが聞こえたのはそのときだった。  野性の反射神経で、とっさにうしろへ転がっていなければ、わたしは土砂に押しつぶされていたに違いない。  一夜たって空は晴れたとはいえ、天辺山の地盤はまだ安定しておらず、ふたたび地すべりが生じたのだ。つまり、くやしいが〝矢印〟のおしえる方向は正解だった。  土埃がものすごい。 「!」  顔をかばう腕をどけるや、わたしは目を剥いた。  なにも見えない。遺跡の内部が、完全に闇に包まれているではないか。  つまり、あの縦穴が土砂にふさがれてしまったのだ。ゆいいつの出口までもが。  いよいよ本格的に、わたしはあせった。ポケットから携帯電話を引き抜くスピードたるや、西部劇のガンマンもまっさおだ。  救助のパワーショベルと救急車、警察と両親の雷等が同時におとずれるのは明白だが、しかたあるまい。 「あ……」  携帯電話を握る手が、かたかたと震えるのをわたしは感じた。  本体のどこを押しても、携帯電話はまったく反応しない。遺跡に落ちたとき、壊れてしまったようだ。  わたしは、あらんかぎりの悲鳴をあげた。内容は聞けたものではないので割愛する。  わたしがこんな暗い地の底で遭難している間、きっと同級生たちは中学生らしい日曜日を過ごしていることだろう。  ともすれば、恋人とかいう未知の概念といっしょに、楽しいひと時を送っているかもしれない。  わたしだって時がくれば……いや仮に、天辺山を捜索する者がいたとしても、土砂に封じられたこのちっぽけな縦穴を掘り当てることは、その道のプロにも難しいはずだ。それぐらいはわかる。  そして、十日がたち、ひと月がすぎ、わたしは誰にも気づかれずに飢え死にして、カラカラのミイラとなり…… 「たべられるのかなァ……土って」  三角座りした膝に顔をうずめ、わたしは鼻をすすった。こんな風にしくしく泣くのはいつ以来だろう。ああ、先週、再放送で見た外国のヤクザ映画に感動したときが最後だ。かっこよかったな、あの二挺拳銃の主人公……  なにも見えない。なにも聞こえない。だれも気づいてくれない。  いろんな意味で、いまのわたしは暗闇と同じだった。 「ちッ」  その舌打ちのような音も、きっと小石が落ちたかなにかだろう。  わたしは一向に泣きやまない。  つぎに、わたしの頭にこつんと硬いものがあたり、床をはねた。また小石?  いや、ちがう。すこし闇に目が慣れてきたせいか、かろうじてその異物の形はとらえられた。  足もとに転がるそれは、なくしたはずのメガネではないか。  ひろったメガネを、わたしはかけてみた。鼻と耳につたわるフレームの重さと、この妙な安心感……わたしのものであることは間違いない。  縦穴を落ちる途中にどこかに引っかかり、それがいまごろ落ちてきたのか? さっきの土砂にもつぶされず?  とうとつに吹いた風に、わたしは鳥肌がたった。  なにかこう、なまぬるく、とらえどころのない不安をかきたてる風だ。わたしのかたわらを、まるでなにかが通り過ぎていったかのような……  ちょっとまって、風!?  風というものは、どこかに入口がないと吹いてこないはずだ。  メガネがなければ、おそらく気づいていなかったろう。  かすかな空気の流れをたどった先、薄ぼんやりと見えたのは、さらに濃い闇のつまった通路だった。  行ってみよう。  壁づたいに手をはわせながら、わたしは慎重に通路をすすんだ。  触れた感触だが、通路の壁面はなめらかではない。石でできたその表面は、なにかの文字ないし絵でびっしり埋めつくされている。  歩いていると、いくつか別れ道もあった。そのたびにわたしは、ひっしに五感をとぎすまし、とらえた風だけをたよりに進路をきめる。  おなじことを繰り返した回数から、わたしは、この遺跡のおそろしいまでの広大さにおびえた。  とちゅう、気づかず蹴ってしまい、暗闇を転がったものはなんだ?  感触と音からすると、それはちょうどヘルメットぐらいの丸さと大きさで、中は空洞らしい。まわりには木の枝めいたものも散らばっており、知らずに踏むとパキパキ音をひびかせた。いったいなんだったのだろう?  やがて、わたしの掌から、壁の感触は消えた。  ひろい部屋にでたらしい。  道をまちがえた。  いつの間にか、道しるべの風がなくなっているのだ。知らず知らずのうちにわたしは、例の〝矢印〟にあやつられて進んでしまっていたらしい。わたし自身の悪い癖とはいえ、腹がたつ。 「おまえ、どうやってここへ入った?」 「だれ!?」  そう悲鳴をあげたのはわたしだった。  人!? こんな生き物の気配ひとつない遺跡に!? こんな真っ暗な闇の中に!?  ほんとうに人間か!?  おどろきと恐怖で、体がうごかない。いや、足の膝だけはひとりでに、がくがく震えている。  高鳴る鼓動、ふきだす冷や汗……闇の底から、何者かはふたたび声を発した。 「人になまえを聞くときは、まず自分からだ、この泣き虫。メガネは返して、ちゃんと帰り道も教えてやったろ? あの呪力の風がそうだ。出口から吹かせてる。なのに、平気で俺のスイートルームまで上がりこんできやがって」 「人が住んでたんだね……ごめんなさい」  素直にあやまり、わたしは胸をなでおろした。  相手の姿は見えないし、すこしガラの悪い口調だが、ほかに人がいたというだけでも今はじゅうぶんだ。  おちついて目をこらせば、わたしのいる広間のつくりには、どこか見覚えがあった。  そう、あれだ。教会の礼拝堂。まえに、親戚の結婚式でおとずれたことがある。その祭壇にあたる場所に、声の主はいるらしい。  わたしはおずおずと切り出した。 「その、いろいろありがとう。すぐ出てくから、懐中電灯かなにか貸してくれない? 暗くて暗くて」 「光、か。やっぱり人間は、最後にはそれを欲しがっちまうんだな。光と破滅はイコールだってのに。光があるから醜い影は生まれるし、イヤなやつの顔も見える」 「はあ」 「いまメンドクセって思ったろ? そうかそうかよくわかった。いちおう断っとくが、おまえ。いちどここに迷いこんだからには、ちょっとやそっとじゃ帰さねえぞ」 「え!」 「〝え〟じゃねえよ、このウスノロ。いいか、ここはな、おまえの知ってる世界とは違うんだ。そりゃもうぜんぜん、まるっきり。空間は遮断して、次元もゆがめて、だれだろうと、とくにこの聖域には絶対に辿りつけない迷路になってる。それをホイホイ、カーナビでもついてるみたいに突破しやがって」 「つまりそれって、どういうこと?」 「おまえはいま、夢の中にいるってことさ。悪い悪い夢の中。イッツ・ア・ドリームランド。オーケイ? 無事に帰してほしきゃ、生贄だ。さっさと俺に生贄をよこすんだ。ほれ怖いだろ? 呪えるだろ、全人類? はは、泣け、わめけ」 「イケニエ、って……なに?」  真剣なわたしの質問は、闇にさらなる沈黙を呼んだ。ほんとうに初めて聞く単語だったのだから仕方ない。  遺跡の住人は、つかれた溜息をついた。 「見せてもらったぜ、ゆとり世代の本気ってやつを。生贄ってのはだな、もっとライトに言うと、あれだ。おそなえ物さ。ほらよく、仏壇とか墓とかに饅頭をそなえるだろ? あれに、清く温かい血がながれ、新鮮で敬虔な魂のこもった肉体バージョンだよ」  「お菓子か。あったかな……」 「おい、話をきけ」  住人の指摘はよく聞かず、わたしはポケットをあさった。あった。 「これでいい?」 「お、アメだな。パイナップル味か?」 「抹茶だよ」 「ゆとりの割には、シブい趣味してるじゃねえか。ま、生娘の心臓代わりとしちゃ上出来か。それでいい、よこせ……って、なに勝手に食ってんだよ!? 俺の生贄!」 「だってお腹すいちゃって。もう一個あるよ」 「おっと、それいじょう近寄るな。そっから投げろ」  すこしためらって、わたしが投げたアメは、祭壇の闇にきえた。 「……こっから出たいんだって?」  あいかわらず闇にひそんだまま、住人はつづけた。 「しゃあねえ。風だけじゃ足りねえみたいだから、出口まできっちり矢印もひいといてやる。こんどは間違えんなよ? またもういっぺん、千なる異形の我にばったり出くわさないことを、マジで宇宙に祈りな」 「うん、ありがとう。またね」  きびすを返しかけ、わたしはたずねた。 「あなた、なまえは?」 「もういちど言うぜ、ゆとり。人になまえを聞くときは、まず自分からだ」 「わたしはナコト。染夜名琴(しみやなこと)」  わたしの眼前の闇を、さらに暗い闇が塗りつぶしたのは次の瞬間だった。  おおきな翼が、いきおいよく広がったのだ。部屋の端から端までをおおう漆黒の翼。  左右の翼の付け根に、真っ赤なかがやきが爆発する。三つ。  血の色をして燃えあがる三つの瞳。  おそろしい声で、それは名乗った。 「俺は〝這い寄る混沌〟……ナイアルラソテフ」
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