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昼休憩の時間になると、エドはたまらず図書室へ逃げ込んだ。
休憩時間のたび、染夜名琴はだれとも積極的に話そうとはせず、なにかの文庫本をものうげに目で追うばかりである。
まわりのクラスメイトたちも、その近寄りがたい雰囲気に従い、遠巻きにうわさ話をするぐらいだ。
授業が再開されればされればで、背筋を肉食獣になめられるような感覚が、時間中ずっと続くのだからエドにはたまらない。
ろくに昼食もとらず、エドは寝ぼけまなこで図書室の席についていた。アンテナをのばした手もとの携帶電話からは、テレビ番組が流れている。
昼のニュースだ。そこでクローズアップされる赤務市での連続失踪の件は、学校側も全生徒へ強く警戒を呼びかけている。
ニュースは結局、地域ののどかなイベント特集を最後に終わった。
頭を悩ませたのはエドだ。きのうの夕方、あの路地裏で起きた出来事が、なにひとつ報道されずじまいではないか。
「だれにも聞こえなかったのか? 鉄砲の音……」
「ある決まった範囲の音を遮断するなんて、あいつにとってはたやすいことよ」
エドはとびあがった。
いつの間にか、となりの席にルリエが座っている。ニュースにばかり気を取られていたとはいえ、本当に足音ひとつ、空気の動きひとつ感じなかったのは不思議だ。
にこにこ自分へほほえむルリエを前に、エドは内心、冒涜的な気分になった。
ただでさえ影の薄い自分と、学校のアイドルが同じ空間におり、となりどうしの席に座って仲良くおしゃべりする?
なにから切り出していいか分からず、エドはしどろもどろにたずねた。
「傷の具合はどう?」
「心配してくれるのね。ありがとう。あんな話をうちあけた次の日なのに、ほんとうに優しいわ、凛々橋くん」
浮き足立つエドへ、ルリエはさらに追い打ちをかけた。
あたりに人がいないことを確かめるや、制服のそでをまくって、生の腕をエドに見せつけたのだ。
エドは目をむいた。
「傷が消えてる……きのう、ものすごい血が出てたよね? 話は本当だったのか」
「おかげさまで。でも、あたしも決して無敵と言うわけじゃない。あなたが助けてくれなければ、どんどん傷は大きくなって、死んじゃってたかもしれないわ」
「体の他の場所はだいじょうぶなの?」
「………」
かすかに頬を赤らめ、ルリエはうつむいた。相手が年頃の少女だったことを察し、エドがあわててルリエから顔をそむけたのは少したってからのことだ。
「ごめん、久灯さん」
「いいの。実際、ぜんぶ治ってるわけだし」
そでのボタンをとめ直しながら、ルリエは聞いた。
「おかしなマネはされなかった? 〝ナイアルラソテフ〟に?」
「ああ、はっきり脅されたよ。〝よくもジャマしたな、殺してやる〟って。きのう久灯さんが教えてくれた、その、ラソ……なんとかに間違いない」
「最悪ね。おそろしいやつ。失踪した人たちに何事もなければいいけど……早くなんとかしなきゃ」
ルリエの声には、ニュースの失踪者たちを心底から気遣う響きがあった。窓の外に厳しい視線を投げかけるルリエへ、重くささやいたのはエドだ。
「久灯さんが、さらわれた人たちを救いたい気持ちはよくわかる。でも、あせって無理しちゃいけないよ。久灯さんがいなきゃ、悪いやつらから街を守る人がいなくなってしまう」
「ごめんなさい。こんなにも心配してもらってるのに、あたしったら」
「あやまることないよ。ぼくはただ、久灯さんが傷ついて苦しんでる姿を見たくないだけさ」
「凛々橋くん!」
「は、はイ!?」
電気でも流れたように、エドの背筋はぴんとなった。ルリエが急に、エドの手をにぎってきたのだ。
真剣な顔つきのまま、ルリエは続けた。
「いっしょに救って」
「さらわれた人たちを、だね! ぼくにできることなら、なんでも協力するよ!」
「それだけじゃない。あたしといっしょに救うのよ……〝世界〟を」
「せ、せかい!?」
熱く語らうふたりは、気づかなかった。
背の高い本棚の裏側、腕組みをしたまま、静かに聞き耳をたてるメガネの人影を。
「…………」
いまいましげに舌打ちすると、染夜名琴は図書室をあとにした。
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