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恋がおはようという。恋が黒板に分数の割り算の答えを書く。恋の髪の毛が風に吹かれて持ち上がる。恋の声色、恋の笑顔、恋の涙。
夕食は、さんまのひらきと大根のおつゆ、菜っぱのおひたしでした。
夏五は、三杯のご飯をものの五分で食べ尽くして、お母さんを驚かせたあと、ふいに外へ出かけていきました。
裏の林を少し歩くと水田に出ます。水田には水が張られ、今は月光を受け、水の底にあるように青色に染まっています。
そして水田をすかした向こうには、天水輪の丘がそびえていました。
「苦しいよう……、苦しいよう……」
夏五は草の道を登りながら、ふくれたおなかをさすりさすり、いつしか泣き出していました。
いいえ、おなかが苦しくて泣いているのではありません。
おなかも苦しかったのですが、それよりも本当は、胸の奥が苦しいのです(かえって胸の苦しさのために、あんなにやけになってごはんを食べてしまったのですから)。
天水輪というのは、丘の天辺の野っぱらにある、送電線をぶら下げた鉄塔のことです。
夏五は静かで眺めのよいこの場所が気に入っていて、自分で命名したのです。
夏五は天水輪を背にして草むらに腰を下ろすと、膝を抱えて丸くなりました。
水田も向こうの林や街並みも、月の金光も、涙でにじんで、本当の水底にいるみたいに揺れて見えました。
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