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 そう言えばアルプスの山々に雪が残る春、唐突に観光バスで僕の住んでいる街にやって来た母と妹。有名なものなど何もない地方都市だけれども、枝垂れ桜だけは知名度があり、この時だけ東京からの観光バスが連日のように訪れている。  バスが停車する一時間前、急に連絡をくれた妹は、母からの提案でここまで来たことを教えてくれた。 「あんた、用事があんなら来なくていいからね。うちらは観光で来ただけだから別にあんたの顔見に来たわけちゃうよ」 「あ、そうかあ。でも、今日非番だし僕も桜見に行こうかな……で、どこに到着すんの?」  近所の光苔で有名なお寺に到着した観光バス。散歩がてら一足先に着いた僕はどの観光バスから母と妹が降りてくるのかソワソワしながら待っていた。あんな電話をしてくる母は、きっと僕の顔を見にやって来たに違いない。  小さくなった母に寄り添いながら降りてくる妹。  この時の僕は、もう母の病気は治っていると思っていたので、あまり実家へは帰らず気ままな生活を送っていた。あまり心配もしていなかったし、母の体を労わるような声かけもしなかったけれど、ただこの街へ遊びに来てくれたことに何気なく礼を言った。 「こっちは東京と違って桜が咲くのが遅いのう」 「まあね。寒いからな。それよりお寺さん、お参りしてきいよ」  妹から母の手を預かり、ゆっくり参道へと向かおうとしたら、母はベンチに腰掛け一呼吸着いた。 「お参りは二人で行っといで。お母さん、ここで枝垂れ桜眺めてるから」 「え、そうなん?」 「あっちこっち観光して、ちょっと疲れた。代わりにお父さんの交通祈願もお願いね」 「はいはい」  呑気な母親だ。せっかく僕が来たというのに僕にお参りをさせるなんて。 「そうだ、母さん。ここの赤飯饅頭美味しいから、食べて待っててよ。今買って来るからさ」 「ええ~、お兄ちゃん、あたしにも買ってよ。甘酒付きで」 「じゃあお前はついて来いよな」 「は~い」  母を置いて参拝へは行かず、近くの茶屋へ行った僕たちは美味しい赤飯饅頭と甘酒を持って母の元へと戻った。どれも酸っぱくない食べ物に、嬉しそうに微笑む母の顔。元気そうな笑顔に、こちらも元気をもらい、意気揚々と妹を連れて参拝を済ませた。 「はい、父さんへのお守り」 「ありがとう。来年もお守り返しに来なくちゃね」  そう春先に言っていた母を何故だか急に思い出した。到底次の春まではもちそうにない母の体。ついこの前聞いたようなセリフだったのに、遠い昔に聞いたような気がするのは何故だろうか。
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