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秋の三連休
京都から帰ってきた母から、その後メールが来なくなった。こちらも仕事が忙しく東京へ帰れない日々が続いたけれど、妹にその分、様子を見て来てもらっている。
十月の三連休、たまには様子を見に帰ろうと思った矢先、母が自分の勤め先だった小さな病院に運ばれたことを知った。そこは何か特別な治療ができる病院ではない看取るだけの病院。
いつも通り四人部屋へ入院していた母を見に顔を出すと、いつもと様子が違った。明らかに消沈してウトウトとよく眠りそうになっている。
「父さん、どういうこと? こんな風なんて聞いてない」
「急にだな……昨日まで元気だったんだが」
病院で父と言い争いになりそうになった時、担当医の先生が僕を呼んだ。
「お母さんの自慢の息子さんですね」
「はあ」
「これ、ラボデータです。あなたならお分かりでしょうか?」
先生がカルテを開くと、そこにはいろいろな数値が波打った波形で描かれていた。
「もう値がめちゃくちゃで、危篤状態です。この連休が山場だと思いますので親戚の方を早めにお呼びください」
「マジっすか?」
カルテを見て悟ったものの、信じられない気持ちでいっぱいになった。
「もしかしたら今夜が峠かもしれない。だから急いで」
「父は知ってるんですか?」
「いいえ。お父さんにはまだ。落ち着いた頃に君から伝えてください」
ここの医師も父が頼りないことを察しているようだ。もしかすると母から前もって僕に伝えるよう言われていたのかもしれない。
とりあえず妹に連絡だ。それと島根のお祖母ちゃんたちにも……父方の叔父さんは沖縄だっけ?
慌ててそこら中に電話をする。そして父にも危篤状態を説明した。自分に説明がなかったことに少し苛立ちながらも、父もあちらこちらに電話をしていた。
「島根は三連休、神在月だのなんだのって飛行機空いてないってさ。キャンセル待ちで明日たどり着けるかも分からんて」
「マジかあ。こんな時に」
僕も気持ちだけが焦る。お祖母ちゃんにとっては実の娘の最期だというのに、神在月に妨げられるなんて悔しくて仕方がない。そんなに神様がいるのなら、親戚三人分のキャンセルを出してみろって。
電話を終えた後、すぐに母の元へと駆け寄りあちらこちら内出血を起こしている手を握りしめた。顔には黄疸も出ている。
「もう体中の細胞がダメみたい。あっちこっち赤黒くて恥ずかしいな」
「ううん、そんな恥ずかしくねえよ」
「お母さんね、ひとつ心残りがあるの」
「何?」
「こんなに頑張って働いたのに年金貰い損ねちゃった……」
死の間際になっても僕を笑わせようとする母に、僕は涙を堪え、大きな声で笑ってみせた。
「母さん、本当に今までありがとうな。それと、なんにも力になれなくてゴメン」
「ううん。あんたのお陰で綺麗な枝垂れ桜見れたし、美味しい赤飯饅頭も食べれたわ。あとメールもできたし……そうだ、最期にお願い」
「何? なんでも言って」
「最期にお母さんの代わりにね、メール打っといて。入院して打ててないから何通か返事来てると思うの。お父さんじゃあ、やってくれんから」
「はいはい、お安い御用で」
「お母さん、向こうの世界でのんびりしたいから、みんな長生きせえよ」
そう言ってその晩、母は他界した。母の看病についていた看護師はみんな母を慕っていたようで、僕たちの目の前で泣き崩れていた。
「師長、辛かっただろうに、自分の事より他の患者さんの心配ばかりして」と言って。
僕は医療従事者として亡くなられた方を幾度と見てきたけれど、一度も泣いたことがない。生まれつき性格が冷たいと言われていた僕は、悲しみという感情が欠如している人間だと思っていた。
けれど、それは違っていた。
亡くなった母を目の前にして自然に涙が溢れ出てきたのだ。嗚咽を吐き、鼻水を垂らし、誰に見られているかも分からないのに涙が零れて止まらない。
そうして気づけば朝を迎えていた。
朝一に病院へ着いた親戚は沖縄の叔父さんだった。飛行機の便数が多くシルバー料金で来れたことを大いに喜んでいた。
次に島根のお祖母ちゃんたちが到着。偶然にも朝一の便に空きが出たらしい。娘の死に目には会えなかったものの、「夜中に娘が枕元に座って挨拶しに来たんじゃ」と涙ながらに教えてくれた。
「僕のとこには来なかったなあ」と冗談半分で答えると、祖母ちゃんは少し笑ってくれた。そんな祖母ちゃんと手を繋ぎ、母の所まで案内する。
そこからはずっと葬儀の準備でバタバタだった。一旦家に帰った僕たちは喪服に着替える。
父の準備の遅さに呆れながら、隙を見て僕はパソコンを立ち上げた。
元カレと言われている人からのメールが未読のまま二通届いていた。ひとつは京都でのお礼と、もうひとつは往信不通になったことへの心配メール。
僕は母の代わりに最期のメールを打った。
はじめまして。
今日、僕は母の代わりにメールを書きます。
今朝、夜明け前に母は旅立ちました。
安らかな顔で眠るように逝きました。
闘病の母に今まで付き合って頂きありがとうございます。母に代わり一生忘れません。
本当にありがとうございました。
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