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ただ、手に神経を集中させてわかったことが1つだけある。今手に握っているものは、ちりめんの袋に厚く包まれた何かのお守りらしいということだ。きっといつも行くあの神社のものだ。ここぞというときに買う、とか何とか言っていたそれを買ったのか。
自分がりくの「ここぞ」であることが嬉しかった。もう十分だ。
俺は言うことを聞かない手のひらの中で眠るお守りに全神経を集中させる。りくは俺の手を握ったままうつらうつらと眠ってしまったようだが、それも都合がいい。邪魔されなくて済む。壊れたPCの中から、かろうじて生きている最後のパーツを取り出すように、俺は初めて神に祈る。
俺を殺してください。そうしたらきっと、りくの役者人生に華が咲く。
もうこの先生き残っても、芝居の道を歩むことはきっとできない。それならいっそもうここで終わりでいい。俺の命が尽きれば、この公演には箔がつく。演出家が変態だから、きっと公演中止にはならないだろう。そうすればりくにとって大きなチャンスが舞い降りるかもしれない。彼の演技が好きだ。だから、こんなところでこの道を降りるべきじゃない。
そう考えると、人生に未練などなかった。たとえこんなことになっていなくても、りくが去ったあとの人生はきっとつまらなかっただろう。これも必然なのかもしれない。
この願いが叶ったら、これから先神に祈ることはない。祈らない願いは叶うこともない。別にいい。今までだって神に祈ったことなんて生まれてこの方一度もないのだから。最初で最後の願いが命を賭けた願いなんて、なんかいいな。俺らしい。でも初めてだから半信半疑だ。神様って本当にいるのかな。目に見えないものに優しくされた経験もないから信じられない。
だけど、頼むから。叶えてほしい。
一度瞬きをすると、りくの寝顔が視界に入った。黒々した髪が丸い頬にかかっている。美しくくっきりした曲線を描く眉と、目尻に向かって幅広になる二重まぶた、羽を広げた蝶のようなまつげ。本当は俺よりもずっと美形なのに、いつも自信なさげなのがもったいない。その間抜けな顔を目に納めたら、少しだけ悔しくなって、やけを起こして手に力を入れた。やっぱり動かない。そうだよな。
さっきから体の奥で、何かが俺のことを呼んでいた。懐かしくて優しい声だった。知らない人だけど、きっとずっと近くにいたに違いない。時には人混みに紛れて、時にはこちらから見えない物陰から俺を眺めていたであろう誰か。閉じたまぶたの中に、俺の後ろ姿が見える。紺色のトレーナーなんて、俺いつ着てたっけ。まあいいや。俺は声の主に笑って手を振り返す。彼の呼ぶ方に駆けだしていく後ろ姿をいつまでもいつまでも、見送っていた。
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