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「お疲れ様です」
午前中の稽古が終わると、出演者たちはぞろぞろと楽屋に戻っていく。そこに用意されたケータリングやらお弁当やらを手に取って、和気藹々と食べ始める。席に座る者、畳の上にあぐらをかいて座る者、と様々だったが、どちらも楽しげな雰囲気でコミュニケーションをとる時間のようになっていた。
りくは毎日何となくその輪の中に混ざって食べていたが、つばさが輪に入ることは一度もなかった。お弁当にも手をつけない。
「あんな脂っこいもの、毎日食ってたらすぐ太るよ」
弁当を抱えたりくにいじわるな笑みでそう囁いたつばさは、昼休憩のときもひとり体の動きやセリフを復習しているようだった。でも、そのことを他の出演者たちは知らない。彼が姿を絶対に見せないからだ。だから口さがない共演者たちの間では、パチンコに行ってる、とかマザコンで母親と食べている、とか散々な言われようだった。りくはそれを耳にすることもあったが、陰の努力を晒されることのほうがつばさには屈辱だろうと、黙って微笑むだけだった。
その日も全員の手に弁当が行き渡り、各々食べ始めた時のことだった。楽屋のドアが急に開き、つばさが現れた。全員の視線が彼に集まる。彼は反対側の壁にぶつかるほど大きくドアを開け、少し気まずそうに楽屋の中を覗き込んだ。畳の上に座り込むりくを見つけると、覚悟をきめるように一瞬視線を鋭くし、それから入り口近くにあった弁当を泥棒する乞食のように素早く手に取った。靴を脱ぎ捨てて、りくのほうへと真っ直ぐ歩いてくる。
隣に座ると、りくのほうをちらりと見て、弁当の蓋を開けてかき込むように食べ始めた。普段、人前では気位の高い小鳥のように少しずつしかものを口に運ばないつばさが、こんな食べ方をするのを初めて見た。りくは半ば怯えた表情で彼を見つめていたが、それは周囲の共演者たちも同じ感想のようで、にわかに楽屋がざわつく。
「め、珍しいね、つばさがお昼ご飯に手つけるなんて」
フォローのために恐る恐る発した言葉にもつばさは答えず、彼を横目で睨みつけるだけだった。こっくりとした薄紅色の唇に、コロッケやらコールスローサラダやらかまぼこやらが継ぎ目なしに流し込まれていく。薄い頬がリスのように膨らむ。白い喉がゴクリと鳴る。怖くて気持ち悪くて、半ばパニックになったりくは手元の弁当に目を落とし、負けじとかき込み始めた。自分がこれを食べ終わらないことには、つばさも永遠に食べ終わらないような気がしたからだった。
言葉もなく、まるで飢えた2匹の小鬼のように弁当をかき込む2人を、周囲の人間は遠巻きに気味悪そうに見つめていたが、からかう勇気のある者はひとりもいないようだった。
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