第一話「起動」

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第一話「起動」

 赤務市(あかむし)駅前にある大型ショッピングモール。  その屋上駐車場。夜空には星空がまたたき、月には雲のすじがかかっている。  屋上からつながるゲームセンターには、閉店してすでに明かりはない。一部の二十四時間点灯のゲーム機だけが、ガラス越しにぼんやりと駐車場を照らしている。  静けさの中にかすかに混じるのは、街の喧騒と風の音だけだ。  轟音が響き渡るのは、突然のことだった。  ゲームセンターのガラスをぶち破り、破片をまいて駐車場に転がった人影がある。  いったいなにがあったというのか。屋上に彼以外の姿はない。  コンクリートの地面を二転三転して滑ったあと、彼は片膝を軸にしてなんとか立ち上がった。身にまとった制服は美須賀(みすか)大学付属高校のものだが、すでにぼろぼろだ。左手首につけた銀色の腕時計に、少年は怒鳴った。 「おいおい、砂目(すなめ)さんよォ!?」 〈どうした、褪奈(あせな)?〉  制服姿の少年……褪奈英人(あせなひでと)のあせりと違って、腕時計型の通信機から答えた砂目課長の声は落ち着き払っていた。ついさっき自分が飛び出してきた、いや吹き飛んできたゲームセンターの奥の闇をにらみながら、まくしたてたのはヒデトだ。 「なんなんだあいつはよ!? 剣式拘束装甲の食屍鬼(グール)か!?」 〈いいや。呪力(じゅりょく)の反応からして違う〉 「じゃあなんだ!? あの馬鹿力は、どう考えたって現実のもんじゃねえ! 異世界のもんだ!」 〈そんな世界の異常を封じるのが組織の役目だと、日頃からいやというほど教育は受けているな? 街には絶対に出すなよ。ありったけの武器を使って食い止めろ。呪力使いのきみ向きの仕事だろう、〝黒の手(ミイヴルス)〟?〉 「武器ぃ!? 武器だって!?」  ヒデトを襲った敵は、いつまでものんびりしていない。  残ったゲームセンターのガラスを荒々しく蹴散らし、ふたつめの人影は現れた。  重い金属質の足音とともに、ヒデトに突っ込んでくるこれはなんだ?  頭頂から爪先までを覆う巨大な鎧。そう、鎧だ。何者かがまとって動かす頑丈なその鎧は、ついさっきまでゲーム機の横に展示されたただの飾りだった。西洋風の中世世界をもとにした体感型ゲーム〝セレファイス〟は、その手軽さから家庭用としても世間の注目を浴びている。  顔を強張らせ、ヒデトはその場を飛び退いた。ヒデトを追って鎧の騎士が振り下ろしたのは、これも同じく飾りのはずの大きな西洋剣だ。ぶつかった車のボンネットに邪魔され、ヒデトは騎士の剣をかわしきれない。  刃の輝きを、ヒデトは両手で受け止めた。響いたのは肉の裂ける音ではなく、かんだかい衝突音だ。どこから現れたのだろう。ヒデトの片手の甲に、剣を止める盾がまとわれているではないか。正確には、小ぶりなホームベース大の護身用の盾を、ヒデトが収納状態から勢いよく開いたのだ。  一刀両断を避けたはいいが、ヒデトを貫く衝撃までは防ぎきれない。騎士の剣で車のボンネットに押しつけられながら、ヒデトは息も絶え絶えに砂目に言い返した。 「お、押しつぶされる! こんなのがいることを最初から教えといてくれたら、鉄砲でも装甲車でも持ってきたのによ!」 〈ご存知のとおり、その剣も鎧もただのニセモノだ。本来の切れ味や防御力はない〉 「そうかい!」  怒声とともに、ヒデトは体のバネを全開にした。騎士の側頭部を直撃したのは、鎧の腕に巻き付くように放たれたヒデトの回し蹴りだ。そのひょうしに滑った大剣は、ヒデトを外れて深々とコンクリートの地面をえぐった。きれいな袈裟がけに傷跡を残す車に続いて、切り裂かれたサイドミラーがきりきりと宙を舞う。  蹴りの勢いを殺さず、ヒデトは騎士と車の間から抜け出した。俊敏に後転を繰り返して騎士との間合いをとると、蹴った足の激痛に顔をゆがめる。 「痛ってえ……もういっぺん言うが、砂目さんよ。鎧は()()()()だ。蹴りの手応えもあったんだが、表面にはへこみひとつなし」 〈働き方が悪くて腕が鈍っているようだな。ご自慢の対現(たいげん)対異(たいい)護身術はどうした?〉 「うるせえ。野郎の剣もたったいま、はでに車をぶった斬った」 〈冗談はよしたまえ。車はアルミホイルでできているわけではないんだぞ?〉 「いまさら思い出したぜ。俺とあんたの信頼関係が、キッチンペーパー以下のもろさだってこと……もういい! やってやるよ!」  騎士と五歩ていどの距離をおいて、ヒデトは片手の盾を眼前にかざした。鋭い作動音を残し、盾の前後がさらに伸びる。ヒデトが引き金をひくや、盾が放ったのはまばゆい高圧電流の輝きだ。盾には護身を超えて、暴徒鎮圧の機能も組み込まれている。 「俺はこっちだ! きな!」  盾ごと両方の拳をかまえると、ヒデトの足は軽快なフットワークを刻んだ。  一方の騎士はといえば、大剣を軽々と地面から引き抜いている。眉庇(バイザー)に隠れた狂気の視線は、ヒデトへ向き直った。威圧的に地面にたらした刃の切っ先から火花を引きつつ、けたたましい足音を鳴らして前進する。  腕時計のむこうの砂目に、ヒデトは不敵に告げた。 「むりだ。たすけて」 〈正直だな。応援はすでにそちらへ向かっている〉  砂目とヒデト以外の声がつぶやいたのはそのときだった。  鎧の怪物がしゃべったのだ。 「骨の谷の食屍鬼(グール)め。ぼくがやっつけてやる。高いんだろ、経験値?」  バイザーにさえぎられて不鮮明なその言葉に、ヒデトは眉をひそめた。 「骨の谷だと? ……まさか、そういうことか」  なにか気づいたように、ヒデトは銀の腕輪のむこうの砂目にささやいた。 「使()()()? 砂目さんよ?」 〈〝黒の手(ミイヴルス)〟の呪力をか……了解した。それの()()相手なんだな?〉 「ああ。おかしなものは……」  みなまで言わせず、騎士はヒデトへ襲いかかった。  目にも留まらぬスピードで放たれる大剣を、タイミングをあわせて盾で受け流す。がら空きになった兜の側頭部を、右から左へ打ち抜いたのはヒデトの膝蹴りだ。すかさず伸ばされた騎士の逆の手を爪先で蹴り払うなり、勢いをつけた盾がこんどは左から右へ兜のこめかみを強打する。  ほんのわずかに、騎士はふらついた。思ったとおり、中身は人間らしい。脳しんとうを狙ったコンビネーションは効いている。短い一瞬を逃さず、ヒデトの片手が騎士の顔を掴んだのはどういうわけか。 「異世界は、こいつの目の前にある!」  怒号したヒデトの片手を中心に、騎士の顔を閃光が包んだ。交差して放たれた大剣の一撃を受け、ヒデトは別の車のフロントガラスに背中から突っ込んでいる。  なんだろう。ヒデトの奇妙な光を直接顔に浴びた騎士は、それまでの勢いがうそのように地面へ崩れ落ちたではないか。そのバイザーの隙間からは、怪しい粒子めいた輝きがまだ煙のごとく立ちのぼっている。  一瞬絶命したかに思われたヒデトだが、そうではない。苦悶とともに痙攣しながら、ヒデトは壊れた車から身を起こした。ふたたび他人ごとみたいにしゃべったのは、腕時計のむこうの砂目だ。 〈よくやった。確認がとれたぞ。きみの消去の呪力〝黒の手(ミイヴルス)〟発動とともに、騎士の頭部あたりからなにかの消える反応があった〉  ガラスからのろのろ体を抜くと、ヒデトは地面へずり落ちた。無残にひしゃげて限界を告げる盾は横に捨て、座り込んだまま荒い息遣いとともに返事する。 「はあはあ、な、なにが消えたんだ?」 〈能力を使った当事者が、なぜそれを把握していない? だいたいにしてだな、きみの呪力には不明点と不安定性が多すぎ……〉  砂目の説教をさえぎったのは、聞き覚えのある重々しい足音だった。  ああ。さっき倒した敵とは別に、新たな騎士が現れたのだ。  それも、こんどは三人。その動きは相変わらず死人のごとくうつろだが、全員がそれぞれ超重量の大斧や長槍をたずさえている。  ひきつった面持ちで、ヒデトは訴えた。 「はは……こっちはもう、エネルギー切れだぜ?」  ヒデトめがけて、騎士たちが一歩前進したそのときだった。 「待ちなさい」  駐車場の闇に響いたのは、澄んだ声だった。  凶暴な騎士たちが振り向いた先、たたずむのは細身の人影だ。  あらゆる意味で、その少女の存在は場違いだった。しっかり背筋の通ったその身にまとうのは、ヒデトと同じ美須賀大付属のスカートの制服。夜風に流れる光沢のある黒髪。陶磁器そのもののきめ細やかな素肌に、不自然なほど整った美しい目鼻立ち。そのたたずまいはどこか、とても現代的で高級な日本人形を思わせる。  そんな女子高生が、こんな夜更けの危ない場所でなにを?  それまで腰の前できちんと提げていた通学カバンを、かたわらの地面へ静かに置くことで彼女は手ぶらになった。そう、現実離れした全身鎧の騎士たちを前にして、完全な丸腰の状態だ。だが、磨き抜かれたガラス玉のようなその瞳には、動揺のかけらもない。すきとおった声音で、彼女はふたたび告げた。 「あななたち。銃刀法違反、不法侵入、器物損壊、殺人未遂、および〝ファイア〟捜査官の褪奈英人に対する公務執行妨害等で、現行犯逮捕します」 「ミコ! こいつらには通じねえ!」  ヒデトが警告したときにはもう遅い。  大きな地響きは一回。ミコと呼ばれた少女の足の裏まで衝撃は突き抜け、コンクリートの地面をすり鉢状に陥没させた。またたく間に肉薄した騎士が、巨大な斧で拝み打ちに彼女を叩き伏せたのだ。  いや。  飛来した大斧は飾り物にしてはやけに切れ味鋭く見えたが、たやすく受け止められている。ただの女子高生……黒野美湖(くろのみこ)のかざした手、それも片腕の甲一本で。  ミコの姿勢は、あいかわらず直立不動のままだ。制服の片袖はやぶれたが、その下の素肌には傷ひとつない。平板な口調で、ミコはつぶやいた。 「機体への損傷段階(ダメージレベル)D。敵性反応(ターゲット)危険度判定(リスクフェイズ)を〝強〟に更新(リライト)。刀剣衛星〝ハイドラ〟への実行稟議(アクセス)が決裁されました」  ふと夜空に視線をはせると、ミコはあいた片手をまっすぐ横にのばした。のばした手のひらを開いて、彼女が口ずさんだのは無機質な呪文だ。 「マタドールシステム・タイプ(ソード)基準演算機構(オペレーションクラスタ)擬人形式(ステルススタンス)から斬人形式(セイバースタンス)変更(シフト)します……戦闘開始(ミッションスタート)」  いったん引き寄せた大斧の刃を、騎士はこんどは横殴りにミコへ放っている。  かんだかい金属音をつれて、大きな火花が散った。  ミコの片手の先、手品のように旋回したこれはなんだろう?  奇妙な長い鉄棒……こんなものは、さっきまでミコの手にはなかったはずだ。騎士の大斧を弾き飛ばした鉄棒は、まるでなにもない虚空から降って湧いたかのようだった。ミコ自身の回転とともに急加速した鉄棒は、反動でたたらを踏んだ騎士の眉間を直撃して転倒させる。逆手に持ち替えられた鉄棒の先端は、倒れた騎士の喉仏を素早く一突き。大きく手足を広げて痙攣したのを最後に、騎士は虫ピンに刺された標本のごとく動くのをやめた。 「抵抗はおすすめしません」  高速回転した鉄棒を引き戻しながら、ミコはうながした。縦一直線の角度で停止した鉄棒が、地面に降ろされて硬い音を鳴らす。残った騎士ふたりを見据えながら、ミコは無表情に続けた。 「いますぐ武器を捨てなさい」  騎士たちはお互いを見合わせ、こんなやりとりをした。 「すごい。あれがアップデートで追加された新しいボスキャラ? 仲間が瞬殺だったね?」 「いや、死んでない。初見殺しでやられちゃったけど、ぎりぎりあいつのHPは残ってる」 「じゃあ、はやくボスをやっつけて回復アイテムを投げないと!」  両者合意のうえ、騎士ふたりがミコに飛びかかるのは同時だった。 「わかりました」  うなずいたミコは、なんだろう。静かに重心を落とし、体の軸をうしろへ向けるや、腰だめに引きつけた鉄棒の先端に、そっと片手をのせた。それは、見る者が見ればはっと気づく。それは、いわゆる伝統的な〝居合斬り〟のかまえ。  生唾をのむヒデトをよそに、ミコは冷たく言葉をつむいだ。 「電磁加速射出刀鞘(レールブレイド)闇の彷徨者(アズラット)〟起動。斬撃段階、ステージ(1)……」  鉄棒にそえた手を中心に、ミコはかすかに電気の輝きをはなった。  止まったままのミコを襲う鋭い長槍、袈裟がけに打ち落とされる巨大な戦槌(ウォーハンマー)。  叫んだのはヒデトだった。 「危ない! ミコ!」  ミコはただ、近接攻撃管理システムの一機能をささやいただけだった。 「〝漸深層(ぜんしんそう)〟」  光が走った。  騎士ふたりの背後に、爆発的な勢いで急停止するミコ。その両足が煙を吹くのは、あまりの速度と摩擦に靴が削れたためだ。深く重心を落とした彼女の全身には、まだ細い稲妻がまたたいている。  見よ。横一閃に振り抜かれたミコの手に輝くのは、長く優美な片刃の剣……刀だ。  ひとつ回転した極薄の刀身は、無駄のない動きで鞘へ向かう。  さっきのヒデトの警告に、ミコはようやく答えた。 「危なくはありません……私は機械ですから」  刀と鞘が完全に納められて鍔鳴りを響かせた瞬間、背後の騎士たちの鎧はばらけた。頑丈な金属でできているはずのその切断面は、どれも鏡面のごとく鮮やかだ。  あとを追って、異世界の鎧だけを斬られた生身の若者ふたりは、地面に崩れ落ちた。
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