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またこの夢だ。
そのころヒデトは、たしか保育園へ通うぐらいの歳だった。
褪奈英人の瞳に映っていたのは、絶望だけだ。
一面の炎。
闇と鮮血。
現代のものとは思えない中世風の剣や槍に串刺しにされ、地面に倒れる人々。そのうちふたりは、ヒデトの実の両親だ。なにもない空間から魔法のように降って湧いた武器の数々は、あっという間にヒデトのまわりを死で覆った。
物言わぬ両親のそばでうずくまるヒデトは、恐怖のあまり硬直している。
その震える視線の先にたたずむのは、奇妙な服装の人影だ。目深にかぶったフードにつながって、暗色のローブはくるぶしまで長々体を隠している。
人影はヒデトへ振り向いた。その顔に着用されるのは、不気味な仮面だ。超常的な殺戮を行なった元凶がこの人物であることは、返り血で盛大に汚れた仮面を見ればわかる。その手に握られる鋭い西洋剣さえも、いまだ血のしずくを滴らせるのをやめない。
幼いヒデトは、直感的に悟っていた。
あいつは、この世界のものではない。異世界の住人だ。
狡猾で邪悪な〝やつら〟は、世界が知らぬ間にあちら側から現実へ忍び込む。
ゆっくりヒデトへ歩み寄りながら、怪人は仮面でくぐもった不明瞭な声をもらした。
「こども、に見えるな……」
片手の刃に炎を照り返しながら、仮面はうわごとのように続けた。
「でも、ぼくにはわかっている。こいつらと同じ魔物なんだろう、きみも? 動くな。魔物はこれからぼくの召喚術でとんでもない苦痛を味わうし、もし仮にただの人間なら、最初の一撃で痛みもなくすぐに逝ける」
歯の根を震わせるばかりのヒデトめがけて、剣は振り下ろされた。
かんだかい激突音に重なって散ったのは、大きな火花だ。
見よ。ぞっとするような長刀の輝きが、怪人の西洋剣を食い止めているではないか。
そう。ヒデトを救った彼女こそは、無力な人類が異世界へ立ち向かうために造った最終兵器。人類がコントロールできるぎりぎりの範囲の強力な呪い。
刀をかまえて怪人の前に立ちふさがる少女は、すでに全身ぼろぼろだった。片腕は断ち切られてすでにない。機体のそこかしこには槍や斧が突き刺さり、とめどなく漏電と呪力の光をまたたかせている。
それでもなんら人間的な感情をまじえず、少女は告げた。
「この子には指一本触れさせません。私が相手です……〝召喚士〟」
それが、マタドールシステム・タイプS〝黒野美湖〟と呼ばれる人型自律兵器との出会いだった。
間一髪でミコに命を救われたものの、ヒデトが天涯孤独の身となったことは言うまでもない。つぎにヒデトが病室で目を覚ましたときには、周囲からは父も、母も、召喚士の存在すらも消えていた。ベッドのそばにただ静かに座っていたのは、刀の人形だけだ。
両親は闇の政府組織〝ファイア〟のエージェントであり、あの悪夢の当日は、異世界にかかわるなんらかの実験に立ち会っていた。長い期間にわたる心身のリハビリを終え、ヒデトが組織にスカウトされてから知ったことだ。
スカウト?
保護の目的とはいえ、ヒデトみたいな無力な子どもが強大な組織に加わる?
それはひとえに、ヒデト自身の〝呪力〟の素質のためだった。不完全ながらも呪力の要素が親から子に遺伝することは、組織の記録上でも非常にまれだという。自分の出生そのものも一種の実験だった? それを知りたいと思ったこともあったが、あいにくヒデトが問いかけるべき両親は世を去ってしまっている。
あるときコードネーム〝角度の猟犬〟……同僚の呪力使いにそれとなく尋ねると、返ってきたのはこんなふざけた答えときた。
「きみのママはね、魔法少女だったんだわこれが♪」
組織が〝黒の手〟と名付けたヒデトの呪力は、限定的ながらも物質を〝消去〟する。
うまく消えたり消えなかったりする理由は、のちに消去した対象が〝異世界のもの〟だけに限られることから知った。
ヒデトの力は、まさしく異世界の天敵。彼からすべてを奪い去った運命が、ひきかえに唯一ヒデトへ残した贈り物としか思えない。
だがそれも、役にたつ状況が非常に限られることは自他ともに認めるところだ。使えば細胞レベルでとんでもなく体力を消耗するし、連発した日には足腰も立たなくなってひどい虚脱感にさえ苛まれる。とても神のような万能の力とはいえない。
だから鍛えた。ふつうでは考えられないほど体を鍛えた。ひたすらに訓練で心身をいじめ抜き、敵を仕留めるための格闘術を習得した。
戦った。いくつもの戦場で。敵は半分ぐらいがこの世界のもので、残りのおよそ半分はあちら側から忍び込んだものだ。
ヒデトの生きる目的は、大きくわけて三つある。
ひとつはあの〝召喚士〟と呼ばれる仮面のテロリストへの業火のような復讐心。
つぎに、現実の敷居を土足でまたぐ異世界への憎しみと嫌悪感。
さいごは、左手首にはめられた銀色の腕時計への恐怖。
呪力が発現するやたちまち組織がヒデトに着けたこの時計は、自爆装置だ。勝手に外すことは許されないし、まず絶対に外れない。特殊能力者であるヒデトが毛ほどでもおかしな動きをとったとたん、左手首を始点に裏切り者は跡形もなく消え去る。組織の秘密主義と不信感の象徴だ。
文字どおり片手に抱える爆弾が恐ろしくて、一時期は不眠症と心労からヒデトは精神失調と診断された。専用の薬品がなければ、いまだに眠ることもままならない。それでも寝付きが悪いとき、砂目課長の前でたびたび居眠りしては怒鳴りつけられている。
時計はいつ爆発するのか? 死神の重みをずっと腕に感じたまま生きねばならないのか。
いや、死神といえば、そのまえに。組織がヒデトを不審に思った瞬間、監視役であるマタドール、ミコの刀が閃くほうがきっと早い。
マタドールシステムとは、どこまでも精巧に人に似せた戦闘機械だ。おそろしい強度の特殊複合金属でできた骨格を、うわさによると本物の人の皮で覆っている。歯車と電気で動いているだけで、死人とかわらない。最先端の科学技術と人工的な疑似呪力が組み合わさった強化により、彼女らの身体能力はマックスで常人の約八十五倍に相当するという。
人間工学的に〝美しい〟と分類される顔をしているが、本性はそうではない。
マタドールは、金属と呪いでできた殺人人形なのだ。
歯向かうものを凶暴な闘牛と見立て、振るわれるのは激しい鮮血のベール。
いまのミコが、あのとき自分を救った黒野美湖なのかどうかはヒデトも知らない。知りたくもない。あのとき幼い自分を戦いの地獄へいざなったのは、ほかならぬ彼女なのだから。組織に拾われてからずいぶん長い時間がたつが、彼女の姿形は一切かわらない。当然だ。大量生産型のマタドールシステムは、顔の皮を貼り替えるだけでミコにもなるし、赤の他人にもなる。
いつかヒデト自身を組織から切り捨て、そして物理的に斬り捨てるのもきっと……
そう、それは現実世界と異世界の戦い。影の政府機関〝ファイア〟の知られざる闇の記録。ある千の刃と、ある百の歯車と、あるひとつの出会いと別れの物語。
いままで意識しあわなかった世界と世界は、はかない蛍のように触れては離れ、光と闇の境界線へ不確かな軌跡を残す。
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