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剣の姿のまま、パーテは宙に止まっていた。
推進力を全開にして身じろぎするが、もとの人型に戻ることもできない。まるで彼を中心に時間そのものが止まっているかのようだ。押し殺した声で、パーテは疑問を口にした。
「なんだこりゃ……動けねえ」
「鋼線だ」
鈴の鳴るような少女の声で、答えは返ってきた。
パーテにからまって縫い止めるなにかが、かすかだが光に反射する。そう、それは単分子素材でできた超極細の糸だった。常人の目に見えないばかりか、マタドールのセンサーを最大限にしてようやく存在を把握できるレベルの技術だ。
それが数百、いや数千という単位でパーテに巻き付いている。そして、鋼線が伸びる先にある繊細な指は……
パーテにつづいて、ミコとヒデトは見た。
家の屋根にしゃがみ込むのは、制服姿の少女だ。交叉された細い腕のむこう、組織の三名は知っている。青ざめた顔で、その名を口にしたのはヒデトだ。
「タイプF……フィア」
「私はただのフィアではない。フィア・Tカスタムだ。きさまら〝ファイア〟に対抗するため、ご主人にいただいた最新モデルだよ」
いつになくフィアの反応には躍動感がある。冷静のAカスタム、スレたD、おっとりのWときて、召喚士はこんどは彼女に情熱的な性格を選んだらしい。
そのメネス当人は、フィアの背後から音もなく現れた。真っ黒なローブと不吉な仮面をまとい、メネスはまた正体を隠している。動けないパーテと屋根の二名を交互に見比べながら、ヒデトはメネスへ問いかけた。
「なんのマネだ、いったい?」
「ごらんのとおり、きみたちを助けにきた」
メネスの回答には、底知れぬ悪意が見え隠れしている。
金属質のきしみをあげて、パーテは鋼線にしめつけられた。生身の人間ならとっくに細切れになっているところを、マタドールの頑丈な骨格がなんとか食い止めている。悔しげに身震いしながら、パーテはあおった。
「てめえら、示し合わせて俺をハメたな? やっぱりおまえは裏切り者だ、ヒデト」
「ちがう! そうじゃねえ!」
ヒデトの弁解に、割って入ったのはフィアだった。
「黙っていろ、刃物ふぜいが。このまま解体して、私の戦闘データの一欠片にしてくれる」
美しい軌跡を残して、フィアの両手は動いた。近くの電柱、木、屋根等が、巻き添えになって続々と切断されていく。鋼線を伝わったとんでもない速度と力は、次の瞬間、いっきに集束してパーテを切り刻んだ。
「甘え!」
パーテが怒鳴るやいなや、その刀身が真っ赤に輝いたではないか。
タイプPの電熱溶断の超高温を浴びた鋼線は、一瞬だけ光を放って溶け消える。炭素繊維でできた鋼線は非常に強靭だが、弱点として熱に弱い。瞬間的に七本に分離した機械剣たちは、薙ぎ払われる他の鋼線をことごとく回避し、燃えながらフィアを襲う。
邪悪な笑みを浮かべるのは、フィアのほうだった。
「甘いのは、そっちだ!」
微細な変形音とともに展開したフィアの両腕で、その装置は不吉な輝きを走らせた。
見よ。いままさに獲物を捉えようとしたパーテの剣は、ふたたび動きを止めてフィアの眼前に浮いているではないか。パーテは呆然とうめいた。
「バカな……なぜ動けない? 鋼線は俺には効かないはず。ま、まさか」
気づいたのはパーテだけではない。戦いを見守るヒデトとミコも感知した。
フィアから生じた強大な呪力を。最新技術で擬似的に再現されたそれが、未知の作用をもってパーテを拘束しているのだ。おのおのの困惑と推測に、フィアは補足を与えた。
「私はすべてを〝止める〟力をそなえている。物理的にも、時空間的にも。ほら、ピンときただろう、察しのいい褪奈くんなら?」
「時空間、だと? パーテのまわりの時間を〝止めた〟ってのか? ありえねえ。そんな呪力、見たことも聞いたこともない」
「もうすこし正確にいえば、これは時間を〝遅く〟しているにすぎない。もはや私は人型の世変装置だ。現実と異世界を重ね合わせ、双方の進行時間の違いを利用して時間のひずみを起こし、限定的に時間の流れをコントロールする。完全に止めきれない部分は、物理的な鋼線で対応可能。TカスタムのTの頭文字は、捕縛と時間、そして……」
「よせ!」
ヒデトが制止するも、もう遅い。発熱をも止められたパーテは、フィアが振るった指先の鋼線に一閃され、猛烈な火花をあげて吹き飛んだ。パーテをかばおうと伸ばされたヒデトの腕は、鋼線の一本がかすって血をしぶかせている。
地面に散らばった七本の機械剣は、それぞれ故障の漏電と煙をあげた。ヒデトの足もとに転がった一本が、その腕からの流血をセンサーでとらえる。雑音にかすれた声で、パーテはつぶやいた。
「巻き込まれたんだな、ヒデト。俺を助けようとして。ってことは裏切り者は砂……」
パーテの言葉は瞬時にとだえた。屋根から飛び降りたフィアが、しゃべる剣をとどめの鋼線で八つ裂きにしたのだ。口封じは、組織に情報をもらされる前に行わねばならない。
こんどのフィアは、時間をもあやつる。
ほこりを払って叩かれるフィアの両手は、ふたたび収納されてもとの腕に戻った。黙り込んだパーテへ、汚物でも見下すような目つきで告げる。
「刃物が口をきくなと言っている。オンラインでも、オフラインでも。さて、ご主人」
「よくやった」
ねぎらいとともに、フィアの陰から現れたのは召喚士だった。ローブと仮面をフィアにあずける人物は、やはり背広姿の砂目そのものだ。演技がかった口調で、メネス・アタールはつぶいやいた。
「あぶないところだったね、褪奈くん。いまの救出劇でじゅうぶんわかったはずだ。ぼくがきみの味方だということが」
物言わぬパーテにしゃがみ込んだまま、ヒデトの瞳は怒りに燃えていた。片手を懐の銃把に這わせながら、憎悪のこもった声で答える。
「よくもパーテをやったな。ますますおまえは、生かしちゃおけない」
「ご主人、ここは私が」
ただならぬ殺気に、口を挟んだのはフィアだった。その両手では繊細な指が幾何学的にうごめき、いまかいまかと獲物をみじん切りにする機会をうかがっている。
「おさえて、ヒデト」
静かに耳打ちして、ミコはヒデトを手で制した。一見なにもない周囲を用心深く見渡しつつ、指摘する。
「私たちはすでに囲まれています、危険な鋼線に。成功率はかなり低いですが、これからあなただけでも逃がします」
「逃げる?」
突拍子もない声をあげたのはメネスだった。
「まだ逃げ道があると思っているのかね、きみたち? いいかい、蜘蛛の巣にからまったきれいな蝶は、そうやってあがいてもがき、取り返しのつかない未来へとみずから落ちていくんだ。ミコのいう以上に、もう完全に包囲されているんだよ、きみたちは」
歌うように台詞をつむぐメネスを、ヒデトは真正面から見据えて反論した。
「やれるもんなら、やってみろよ」
「ぼくはじっくりまわりから詰めていくタイプでね。きみがぼくに逆らった回数だけ、きみの知るだれかを追っ手として差し向けようと思うんだ。つまりきみは、逃げながら順番に知り合いを始末していかねばならない。そう、まさしくいまの〝妖術師の牙〟のように」
「どういう意味だ? 狂ってるのか、おまえ?」
「狂った世界で、狂った組織に属する、狂った裏切り者のきみだ。きっと気は合う」
殺伐とした空気に鼻白むと、メネスは提案した。
「ちょっと場所を変えようか。落ち着いて話せる環境に」
「お断りだ。また無関係な人間をまきぞえにして、人質にとろうって魂胆だろ?」
「人の多い場所はいやかね? 駅前のショッピングモールに、交差点の見晴らしのよい喫茶店があるんだが……では逆に、人気のない場所にご案内しよう。きみにはすこし考える時間が必要らしい」
フィアに目配せして帰り支度をしながら、メネスは言い残した。
「街外れの教会で待ち合わせだ。取り壊し寸前で、無人の。そんな場所は赤務市じゅうを探してもひとつしかない。だから、飲み物の提供は期待しないでくれたまえ」
「待ちやがれ。話ならここでしろってんだ……み、ミコ?」
唐突に、ヒデトの追求はとぎれた。
かたわらのミコが電光を発したかと思うと、糸の切れた人形のようにその場にくずおれたのだ。とっさに支えにはいったヒデトの足腰は、マタドールの超重量に悲鳴をあげた。
不十分な仮組みでできた機体で、あれだけ無茶な動きをしたのだ。考えれば、いままで立って歩いていたことじたいが不自然だった。
ふとヒデトが顔をあげたときには、メネスとフィアの姿はどこにもない。
不気味にこだましたのは、声だけだった。
「さて、つぎにきみの前に現れる猟犬はだれだろう? 待ってるよ……」
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