第四話「実行」

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 夕暮れどきのうえ、やけに冷え込むせいか、その公園に人影はまばらだった。  動作不良におちいったミコに肩を貸し、人目を忍んで、ようやく公園のベンチに座ったのはヒデトだ。  ふたりの他には、あちらにも、そちらのベンチにもカップルらしき姿がある。ここが恋人たちのたまり場であることをふだんから不快に思い、ヒデトは近寄りもしなかった。だが今回ばかりはしかたない。組織の目でも、ヒデトたちはただのカップルに見えてしばらくは安全なはずだ。  とんでもない重量を運んだ疲れで、ヒデトはベンチに突っ伏して肩で息をした。吐息は凍って白い。かたわらに座って眠るミコを横目にして、ぼそりと悪態をつく。 「ちょっとはやせろよ、ミコ」 「からっぽなのはうらやましいですね。あなたの頭の中のように」 「起きた!?」  飛び上がったヒデトの横で、ミコは駆動系のきしむ音を残して顔をあげた。いつもどおりぴんと背筋を伸ばそうとするが…… 「あ……」 「痛で!」  バランサーの不具合から、かたむいたミコの頭はヒデトの肩にぶつかって止まった。さっきのいざこざで負った傷は応急処置済みだが、また痛み止めの追加がいりそうだ。  外見上、ふたりは寄り添っている。期せずして、カモフラージュの完成だ。  ふしぎな感覚に、ヒデトは鼻をひくつかせた。謝罪したのはミコだ。 「申し訳ありません。機体の自己修復が追いついていないようです。重いでしょう?」 「い、いいや。サラッサラだな、おまえの髪。どっから引っこ抜いてきた?」 「私の毛髪ですね。いま製造工程を説明します」 「いや、いい。やめろ」  ヒデトは首を振った。だって、機械のくせに、ミコの髪からはなんでこんないい香りがする? シャンプー? マタドール専用の香水噴霧システム?  とまどうヒデトを、ミコは現実に引き戻した。 「どうするつもりです、これから?」  星のない夜空からは、白いものが降り始めていた。雪だ。  時間をかけて、ヒデトは言葉をしぼりだした。 「どうしていいかわかんねえよ、もう」 「では提案です」  ヒデトに寄りかかった姿勢ながら、ミコは明晰にしゃべった。 「私のオンラインへの復旧を許可してください。ここまでの砂目充、もといメネス・アタールの記録を組織へ報告します。それで私たちの容疑ははれます」 「だめだ!」  ヒデトの声は大きかった。まわりのカップルの数組は、なにごとかと頭をめぐらせている。雪と雪のすきまをぬって、ミコはたずねた。 「なぜです?」 「さっきもなっただろ。ネットにつながったとたん、待ち伏せしてる組織のプログラムはおまえの記憶をぜんぶ消す」 「初期化のことですね。ご安心を。私の機体は消えません。いつでもあなたのそばにいます。ただ、ヒデトに出会ってからの一定期間の記憶は消えますが。それだけです」 「その()()は、どれくらいの量だ? いったい何十年ぶんの思い出が消える?」  暗くうつむくヒデトの感情を、ミコ本人はだれよりも理解していた。自我の抹消を考えるだけで、AIのどこかがこの雪のように低温になる。ずっと我慢しているのだ。 「ではお手数ですが、ヒデト。あなたが組織へ報告してください。腕時計は奪われましたから、電話等を使って」 「盗聴されるよ。いまの居所がメネスにばれて、べつの殺し屋がよこされるだけだ。ろくに動けないおまえを守りきる自信は、俺にはない」 「では、いずれかの交通手段を使って組織へ出頭しましょう」 「わかってんだろ。陸も、海も、空も、成層圏外すらも組織とメネスに見張られてる。かりに組織にぶじ到着したとしよう。待ち受けてるのは、砂目充を名乗るテロリストだ。つごうの悪い証言はぜんぶもみ消される」 「はっきりしてください!」  こんどは、口調を激しくしたのはミコのほうだった。また周囲のカップルの視線を感じたが、じきにじぶんたちの内緒話に戻ってしまう。  髪の端に雪のかけらをひっかけたまま、ミコはたずねた。 「あなたの考えを聞かせてください、ヒデト。あなたが助かる最善の方法を」  無言のまま片手で額をささえ、しばらくしてヒデトは告げた。 「メネスに会いにいく」  ミコは顔を険しくした。 「いけません。見たでしょう。あのフィアは、時間を止める。組織のデータベースにない異常性と強さです。それと戦うには、まだ私の機能は不完全です」 「行くのは俺ひとりだ」 「お言葉ですが、ヒデト。フィアとメネスの力は、あなたの対応できる範疇をはるかに超えています。とうてい勝てる見込みはありません」 「いちおう相談なんだが」 「はい?」 「俺といっしょに、異世界へ逃げるつもりはないか?」  ショックに、ミコの顔はゆがんだ。 「よくわかりました。回答……失望しました、ヒデト。召喚士の策に負けて、犯罪に手を貸すなんて。私の最小の歯車から絶対領域の奥底まで、全身全霊をもってあなたを否定します」 「犯罪に手を貸す、どころじゃねえ。とっくに犯罪者さ、俺たちは。その気になれば、組織は火山の火口だろうが土星だろうが、どこまでも追ってくる。俺たちの居場所は、この世界のもうどこにもないんだよ」  両手でそっとささえたミコの頭を、ヒデトはベンチの背もたれへ戻した。  立ち上がるヒデトの制服のそでを、つかんで止めたのはミコの指だ。その力は、以前とくらべれば信じられないほど弱々しい。 「待ってください、ヒデト。逃げるつもりですか、私をおいて?」 「そのまま返すが、動けるのか、おまえ?」 「いいえ。復旧まで残りあと十七分と九秒」 「ならもうしばらく、石ころのままでいろ」  ヒデトのとった行動に、ミコは目を剥くことになった。そして静かに目をつむる。ふたりの突然の口づけは、すぐに終わった。 「じゃ、逃げる案はボツだ。俺もさいしょから、そのつもりだったけどな」  ミコの指をはなれ、ヒデトは歩き始めた。ポケットに手を突っ込んだその背中へ、問うたのはミコだ。 「ボツって……ではヒデト、いったいどこへ?」 「刺し違えてでもあいつは……」 「ヒデト!」  雪のむこうに、ヒデトは消えた。  再起動までひどく時間のかかるじぶんの機体が、憎い。呪わしい。許せない。  公園の木々の先、ミコの視界センサーがあるものに集束したのはそのときだった。  ホームセンターの看板……
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