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夕暮れどきのうえ、やけに冷え込むせいか、その公園に人影はまばらだった。
動作不良におちいったミコに肩を貸し、人目を忍んで、ようやく公園のベンチに座ったのはヒデトだ。
ふたりの他には、あちらにも、そちらのベンチにもカップルらしき姿がある。ここが恋人たちのたまり場であることをふだんから不快に思い、ヒデトは近寄りもしなかった。だが今回ばかりはしかたない。組織の目でも、ヒデトたちはただのカップルに見えてしばらくは安全なはずだ。
とんでもない重量を運んだ疲れで、ヒデトはベンチに突っ伏して肩で息をした。吐息は凍って白い。かたわらに座って眠るミコを横目にして、ぼそりと悪態をつく。
「ちょっとはやせろよ、ミコ」
「からっぽなのはうらやましいですね。あなたの頭の中のように」
「起きた!?」
飛び上がったヒデトの横で、ミコは駆動系のきしむ音を残して顔をあげた。いつもどおりぴんと背筋を伸ばそうとするが……
「あ……」
「痛で!」
バランサーの不具合から、かたむいたミコの頭はヒデトの肩にぶつかって止まった。さっきのいざこざで負った傷は応急処置済みだが、また痛み止めの追加がいりそうだ。
外見上、ふたりは寄り添っている。期せずして、カモフラージュの完成だ。
ふしぎな感覚に、ヒデトは鼻をひくつかせた。謝罪したのはミコだ。
「申し訳ありません。機体の自己修復が追いついていないようです。重いでしょう?」
「い、いいや。サラッサラだな、おまえの髪。どっから引っこ抜いてきた?」
「私の毛髪ですね。いま製造工程を説明します」
「いや、いい。やめろ」
ヒデトは首を振った。だって、機械のくせに、ミコの髪からはなんでこんないい香りがする? シャンプー? マタドール専用の香水噴霧システム?
とまどうヒデトを、ミコは現実に引き戻した。
「どうするつもりです、これから?」
星のない夜空からは、白いものが降り始めていた。雪だ。
時間をかけて、ヒデトは言葉をしぼりだした。
「どうしていいかわかんねえよ、もう」
「では提案です」
ヒデトに寄りかかった姿勢ながら、ミコは明晰にしゃべった。
「私のオンラインへの復旧を許可してください。ここまでの砂目充、もといメネス・アタールの記録を組織へ報告します。それで私たちの容疑ははれます」
「だめだ!」
ヒデトの声は大きかった。まわりのカップルの数組は、なにごとかと頭をめぐらせている。雪と雪のすきまをぬって、ミコはたずねた。
「なぜです?」
「さっきもなっただろ。ネットにつながったとたん、待ち伏せしてる組織のプログラムはおまえの記憶をぜんぶ消す」
「初期化のことですね。ご安心を。私の機体は消えません。いつでもあなたのそばにいます。ただ、ヒデトに出会ってからの一定期間の記憶は消えますが。それだけです」
「そのだけは、どれくらいの量だ? いったい何十年ぶんの思い出が消える?」
暗くうつむくヒデトの感情を、ミコ本人はだれよりも理解していた。自我の抹消を考えるだけで、AIのどこかがこの雪のように低温になる。ずっと我慢しているのだ。
「ではお手数ですが、ヒデト。あなたが組織へ報告してください。腕時計は奪われましたから、電話等を使って」
「盗聴されるよ。いまの居所がメネスにばれて、べつの殺し屋がよこされるだけだ。ろくに動けないおまえを守りきる自信は、俺にはない」
「では、いずれかの交通手段を使って組織へ出頭しましょう」
「わかってんだろ。陸も、海も、空も、成層圏外すらも組織とメネスに見張られてる。かりに組織にぶじ到着したとしよう。待ち受けてるのは、砂目充を名乗るテロリストだ。つごうの悪い証言はぜんぶもみ消される」
「はっきりしてください!」
こんどは、口調を激しくしたのはミコのほうだった。また周囲のカップルの視線を感じたが、じきにじぶんたちの内緒話に戻ってしまう。
髪の端に雪のかけらをひっかけたまま、ミコはたずねた。
「あなたの考えを聞かせてください、ヒデト。あなたが助かる最善の方法を」
無言のまま片手で額をささえ、しばらくしてヒデトは告げた。
「メネスに会いにいく」
ミコは顔を険しくした。
「いけません。見たでしょう。あのフィアは、時間を止める。組織のデータベースにない異常性と強さです。それと戦うには、まだ私の機能は不完全です」
「行くのは俺ひとりだ」
「お言葉ですが、ヒデト。フィアとメネスの力は、あなたの対応できる範疇をはるかに超えています。とうてい勝てる見込みはありません」
「いちおう相談なんだが」
「はい?」
「俺といっしょに、異世界へ逃げるつもりはないか?」
ショックに、ミコの顔はゆがんだ。
「よくわかりました。回答……失望しました、ヒデト。召喚士の策に負けて、犯罪に手を貸すなんて。私の最小の歯車から絶対領域の奥底まで、全身全霊をもってあなたを否定します」
「犯罪に手を貸す、どころじゃねえ。とっくに犯罪者さ、俺たちは。その気になれば、組織は火山の火口だろうが土星だろうが、どこまでも追ってくる。俺たちの居場所は、この世界のもうどこにもないんだよ」
両手でそっとささえたミコの頭を、ヒデトはベンチの背もたれへ戻した。
立ち上がるヒデトの制服のそでを、つかんで止めたのはミコの指だ。その力は、以前とくらべれば信じられないほど弱々しい。
「待ってください、ヒデト。逃げるつもりですか、私をおいて?」
「そのまま返すが、動けるのか、おまえ?」
「いいえ。復旧まで残りあと十七分と九秒」
「ならもうしばらく、石ころのままでいろ」
ヒデトのとった行動に、ミコは目を剥くことになった。そして静かに目をつむる。ふたりの突然の口づけは、すぐに終わった。
「じゃ、逃げる案はボツだ。俺もさいしょから、そのつもりだったけどな」
ミコの指をはなれ、ヒデトは歩き始めた。ポケットに手を突っ込んだその背中へ、問うたのはミコだ。
「ボツって……ではヒデト、いったいどこへ?」
「刺し違えてでもあいつは……」
「ヒデト!」
雪のむこうに、ヒデトは消えた。
再起動までひどく時間のかかるじぶんの機体が、憎い。呪わしい。許せない。
公園の木々の先、ミコの視界センサーがあるものに集束したのはそのときだった。
ホームセンターの看板……
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