第四話「実行」

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 ふと振り向いたヒデトの瞳には、白く染まる赤務市が映った。  雪は刻々と粒の大きさを増し、降る密度を濃くしている。  ヒデトがゆっくり登るのは、管理人のいなくなった教会へとつづく長い階段だ。  広場にあつまるハトの群れに目もくれず、ヒデトは教会の扉を開けた。  音をたてて閉まった扉の内外から、かすかに羽ばたきの音が響く。  長く残響する翼のこだまを、舞い散る羽を、祭壇の十字架の下に座って眺める人影があった。メネスはもう、おかしな仮面もローブもまとっていない。  鮮やかなステンドグラスの下では、フィアが腕組みしたまま静かに壁にもたれている。  ほこりっぽい長椅子の列と通路で距離をおきながら、切り出したのはメネスだった。 「ずいぶん待ったよ。彼女をまくのに時間がかかったようだね?」  メネスをじっと見据えたまま、ヒデトは答えた。 「ちょっと道に迷っただけさ。さよならを言うのは、すこし死ぬのと同じだ」 「ようやく決心してくれたか。安心したまえ。きみがこっちにつきさえすれば、ミコとはすぐにでも再会できる」 「あいつにはもう、愛想をつかされちまった。しつこい男は嫌われる」 「知ってるかい? しつこすぎる男は、逆に愛される場合もあるんだよ?」 「気が合うな。執念深くいこうや、おたがい」  瞬間的にヒデトが抜き放った拳銃は、背後のフィアを狙った。逆の手に握ったもう一挺は、祭壇のメネスを照準している。  それまでつむられたままだったフィアの目は、薄く開いた。獰猛な声でうなる。 「ロックオン警告を確認した。話が違うな、ご主人?」 「フィアも怒っているぞ。きゅうにどうしたのかね、褪奈くん?」  左右に広げた銃口に二名をおさめながら、ヒデトはつぶやいた。 「もと上司だったおまえが、いちばんよく知ってるだろ? 俺がおとなしく言うことを聞くタチだと思うか?」 「まったく理解できないな。ならなぜ、ひとりっきりでここへ来た? ぼくとフィアをたったひとりで相手にするつもりか?」 「しつこく、粘り強く、執念深くいけと教えたのはおまえだぜ? 許せると思うか? おまえは、俺のなにもかもを奪った。残ってるのは、いまここにいる俺だけだ」  壁から背中をはなし、フィアは手のひらを広げて一歩前進した。まっすぐかざされたメネスの手には、瞬間的に呪力の魔法陣が輝いている。  高まる殺気……無表情に、メネスは告げた。 「自殺行為だ」 「くれてやるぜ、この命」  轟然……  メネスを襲った銃弾は、召喚された複数枚の盾に食い込んで止まった。フィアに食らいついた弾丸は、空中で止まっている。超高性能のカメラでスロー再生すれば、螺旋回転する鉛玉にからみつく極細の鋼線が見えたはずだ。  すばやく振るわれたフィアの指先にしたがい、ヒデトの周囲に見えない刃は迫った。たちまち亀裂の走る床、イス、柱。拳銃を二挺とも宙に放り投げると、ヒデトの両腕と両足に展開したのは特殊複合金属(セラミクスチタニウム)製の盾だ。瞬時に発生した強電磁場〝白の手(ヴンヴロト)〟は、フィアめがけて走るヒデトのまわりから鋼線を吹き飛ばしている。  フィアは怒号した。 「システム〝セレファイス〟起動! 時よ、止まれ!」  複雑に変形したフィアの腕が輝くと同時に、異変は起きた。  だしぬけに緩やかになったのは、ヒデトの頭上で回転する拳銃の落下だ。空気そのものが粘液になったかのごとく、ヒデトの疾走も止まっている。  ほぼ時間の止まったヒデトめがけて、フィアは吐き捨てた。 「あれだけ種明かしをしたのに、学習しない男だ。鋼線をしのいだところで、私の時間の世界は避けられない」  ヒデトへ歩み寄るフィアを、ふと制止したのはメネスだった。 「待て、フィア。褪奈くんから離れろ。距離をおけ。なにかおかしい」 「なにも不明点はない。ひとまず手足の腱を斬り刻んで、ターゲットを行動不能するがよろしいな、ご主人?」  そこでフィアも気づいた。  ヒデトがなにかしゃべっている。あまりにもゆっくりでよく聞き取れないため、フィアは独自にヒデトの言葉を翻訳した。 〈待ってたぜ、ここまで近づくのを。俺の能力は〝異世界を消す〟こと〉  みずからここまで踏み込まなければ、ヒデトの盾はいずれ電池切れで鋼線のえじきになっていたはずだ。最大限に強まった〝黒の手(ミイヴルス)〟の呪力は、直後、現実に重なった異世界を消し飛ばしている。  時はもとに戻った。  気づいたときには、フィアはヒデトに打ち伏せられている。フィアに馬乗りになったヒデトの両手は、落ちてきた拳銃ふたつを鮮やかにキャッチした。あっという間にフィアの眉間を照準。その弾倉に装填されるのは、対マタドール用の特殊徹甲弾だ。  引き金に力を込めるヒデトの顔は、すこし悲しげだった。 「化け物相手に使うはずだったんだぜ、この力?」  撃つ撃つ撃つ撃つ撃つ。  絶対領域ごと首から上を破壊されたフィアを背後に、ヒデトは立ち上がった。手足の盾から、空の充電器を切り捨てる。祭壇のメネスへ、ヒデトはふたたび拳銃を向けた。 「おまえの言うとおりだ。いちばんしつこいやつに微笑んだみたいだな、運命の女神は」  照星の中で、メネスは小さく肩をすくめた。 「やれやれ、なんの勝算もなしに飛び込んでくるわけはない、か」 「いつぞやの飛行機でのつづきだ。決勝戦ってやつだぜ」 「たいへん残念だが、こうなることも計算済みだ」  不吉な予感に、ヒデトは総毛立った。  体が、動かない。まるであたりの空気そのものが、水飴かなにかに変わったように。  時間が止まっている。しかも、ヒデトの周囲、獲物をなぶるかのごとく軋みを鳴らすのは、切れ味鋭い無数の鋼線だ。  轟音とともに床を陥没させて降り立った人影を、ヒデトはただ黙ってながめるしかできない。新たなフィアだ。その腕部はさっきのフィアと同じように展開し、まがまがしい世変装置(セレファイス)の呪力を輝かせている。  さらに、ああ。あちらの長椅子を立ち、またあちらの柱の陰から現れたのは、これもフィアではないか。あちらからも、こちらからも。いまや教会の中は、数えきれない量のフィアで埋め尽くされていた。十機、十五機……いや、もっといる。 「聞いてないぜ……いったいいつの間に、こんな数をそろえた?」  冷や汗を流して死を覚悟したヒデトへ、メネスは指を振ってみせた。 「積み重ねてきた執念、いや怨念のボリュームが違うよ、ボリュームが。この戦力差、さすがにあきらめがついたろう? さて、フィア。提案どおり、まず彼の手足を……」  その場にいるはずのない声が、呪いの言葉をつむいだのは次の瞬間だった。 「マタドールシステム・タイプP、基準演算機構(オペレーションクラスタ)擬人形式(ステルススタンス)から分人形式(ディビジョンスタンス)変更(シフト)」 「マタドールシステム・タイプS、基準演算機構(オペレーションクラスタ)擬人形式(ステルススタンス)から斬人形式(セイバースタンス)変更(シフト)します……ほんとうに強くなりましたね、ヒデト。ほんとうに」     教会の扉ごと、フィアたちは吹き飛んだ。
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