魔王城の料理人

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 この部屋の前に来るといつも緊張する。僕は片手に皿を持ち、片方の手でノックをしようとした。だが、その前に声が聞こえた。 「クルトか。入れ」  地の底から響くような、厳かな声だ。  声と同時に、扉がひとりでに開いた。開いた先では、金の瞳の魔族の長――魔王が座っていた。  ここは魔王の私室に当たる。食事はいつもここでとるので、僕は皆が行く玉座の間よりもこちらの方が馴染み深い。それでも、そこに控えているのが魔王だと思うと、いつでも竦んでしまう。  僕はいつものように、魔王が座るテーブルに皿をそっと置いた。魔王は凛々しい眉をピクリと動かした。香りで感じ取ったようだ。  その視線に促され、僕は皿に被せていたクロシュを取り去った。  皿の中に籠っていた甘い蒸気が瞬時に広がっていく。空気に溶けていくそれらを逃さないように、魔王はリゾットを一気に平らげていった。  ものの数秒ではないだろうか。皿はすぐに空になった。 「美味かったぞ」 「お、恐れ入ります」  皿を下げようと近づくと、魔王はその手を止めた。 「座れ」  魔王の座る席の正面の椅子を進められた。恐ろしいが、それを断る方がもっと恐ろしい。僕は恐る恐る、椅子に座った。 「クルト。明日から、お前が厨房を取り仕切れ」 「も、申し訳……え?」  てっきり何かお叱りを被るのかと思った。なのに魔王の口から出た言葉は……いったいどういうことなんだ? 僕の迷いを予期していたように、魔王は続けた。 「実はな、ラーシュが言い出したのだ。自分はこの魔王城を去り、後任にクルトを、と」 「ラーシュが……去るとは?」 「あ奴はずっと悩んでいた。技術は確かなんだが、どうしてもこの城の者たちを満足させる料理を作れないと」  あのラーシュが? そんなはずはない。  厨房の人間は交代で賄いを作る。僕は、彼の作る賄いが一番美味く、楽しみにしていたのだ。その彼が…… 「あ」 「そう、お前と同じ悩みを抱えていたということだ」  僕と同じ悩み……人間の僕が美味いと感じるということは、魔族たちにはそうじゃなかったのかもしれない。 「お前に美味いと言ってもらえ、自信がついたと言っていた。自分の腕を活かせる場所は一つとは限らないと」 「それは、どういう……?」 「他の者たちには故郷に戻ると伝えるが……人間界へ行くんだそうだ」  人間界なら、ラーシュのあの腕なら確かに評判になりそうだ。だが、彼は魔族だ。人間たちが恐れ嫌う魔族なのだ。果たして職を得られるのか。それどころか無事で済むのか……。 「あいつは言っていた。魔族のために腕を揮う人間がいるのだから、人間の元で腕を揮う魔族がいてもいいんじゃないか、とな。送り出してやろうではないか」  ラーシュは、決意しているのだ。彼もまた自分と同じく、自分の料理で誰かを喜ばせたいのだ。今の対立している情勢を無視してでも、自分の腕を活かしたいと。  彼にそこまで決意させたのが僕なのだとしたら、僕がとるべき道は一つなんじゃないのか。迷っている場合じゃない。 「はい、魔王様……そのお話、お受けいたします」 「うむ。頼んだぞ」  魔王様は、荘厳な笑みを湛えて頷いた。  こうして僕は、魔王城の料理一切を任されることとなった。 ――その1か月後だった。  地上のとある村で、人間に混ざって食堂で働いていた魔族の青年が吊るしあげられ、信じられないような残虐な方法で処刑されたのは。
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