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勇者は、突然現れた。魔法の力で城近くの森に瞬間移動してきて、瞬く間に付近の魔族たちを切り伏せた。
同行していた魔法使いの力で城門を強引に開け、城内へ踏み入ってきた。突然の来襲に、城中が騒然とした。魔族の中でも名の知れた戦士たちが次々勇者たちに挑み、倒れていく。
昨日まで僕たちが暮らしていた場所が、魔族たちの血で染まっていった。
弱い魔族や戦いに向いていない者たちはすぐさま隠れたが、見つかれば即座に斬り捨てられた。
喧騒は城門から城の深部に移り、やがて階層が上がっていき、徐々に魔王様が控える玉座の間に近づいていった。
そして、その時はやってきた。
魔物たちに囲まれたこの数か月ですら聞いた事のない、低く、地底全体を震わせる地響きのような咆哮――魔王様の、断末魔の叫びが。
魔王様の声は城中に、いや地底中に響き、生き残っていた多くの魔族、魔物たちの嘆きを生んだ。
最後まで厨房にいた僕の頬にも、涙が伝っていた。
その時、目の前に男が現れた。
勇猛な甲冑を身に付け、宝玉のついた剣を下げ、ところどころ返り血を浴びた逞しい人間の男――勇者が。
「君は……人間? なぜこんな所に?」
勇者の背後には、戦士と魔法使いが控えていた。二人も僕のことを怪訝な目で見ていた。
「まさか魔族に攫われて……? ならば我々と共に帰ろう。ここはもうすぐ、魔族どもを封印するため、地上から隔絶されてしまう」
善人そうな瞳と声だ。人間たちのために、命がけで戦ったのだろう。
魔王様とラーシュと、大勢の魔族を殺した人間たちを守るために……。
僕は、人間の村では何の役にも立てなかった。何のために店を開いているのかわからなかった。客のために何をすればいいのか、まるでわからなかった。
それができるようになったのは、ここに来てからだ。
客が喜ぶ味を研究して、食材を活かす方法を調べ、客の顔に一喜一憂して……僕を、料理人にしてくれたのは、ここなのだ。
勇者は僕に手を差し出し、僕はそれを、振り払った。
そして、精一杯の勇気と決意を込めて、言い放った。
「いいえ。僕は、この魔王城の料理人ですから……!」
それからしばらくして、勇者たちは姿を消し、そして地上と地底を繋ぐ道は、閉ざされた。真っ暗な空に微かに差していた光を見ることは、永久になくなった。
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