開始を告げる銀

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「ありがとう。美知佳」  名前を呼び捨てにされた美知佳さんの頬が、一瞬で赤くなった。  なんだか嬉しそう。  田吾作さんはそのまま美知佳さんとソファーへと移動し、わたしはトイレに向かった。  レンガ調の壁に不釣り合いなスチールドアを開ける。  入ってすぐ正面には、広めの洗面所があった。  大きな丸い鏡と丸い陶器製の手洗い鉢。  木製の洗面テーブルにはペーパータオルや、ハンドソープ、綿棒、使い捨ての歯磨きにマウスウォッシュ、一泊用のスキンケアセットに、使い捨てのブラシやシェーバーなどがたくさんあった。  まるで泊まり込みになるかのようだ。  鏡に映った自分の顔を見て、驚く。  ほんの数時間の間に、ずいぶんと疲れた顔をしていた。  ちょっとだけ塗っていたマスカラもとれ、目の下が黒くなってるし。  唇もカサカサに乾いてる。  先に目的のものを済ませ、ハンドソープで手と顔を洗った。  備え付けのペーパータオルで水気を取り、目の下の黒い汚れが取れているか確認する。  これで完全にすっぴんになってしまった。  バッグがないからメイクすることもできないし、ハンドソープで洗うという暴挙をしたせいで顔がひりひりする。  スキンケアセットに化粧水が入っていないかと手にした、その時だった。  左側にあった男性用の個室のドアが勢いよく開く。 「!!」  わたしと同じくらい驚いた顔をした男性と、目があった。  白いカッターシャツに黒のパンツスタイル。  足元は質の良さそうな革靴を履いていて、全体的にとても清潔感がある。  やや太めの眉とくっきりとした二重は、眠そう。  細い銀縁の眼鏡も男性によく似合っていた。  初めて見る人物だったが、知的な雰囲気から、この人がレミたんが言っていた『先生』かもしれない。 「す、すみません」 と言って、再び中へ戻ろうとした男性を、「待って!」と呼び止める。 「先生……ですか?」  男性はハッとした顔で、わたしをまじまじと見つめた。 「参加者の方ですか?」  それ以外のなんだと思ったんだろう。 「そうです。不本意ながら」 「え?」  男性は訝しむような表情をしていたが、トイレで話し込むのは嫌だ。  わたしはくしゃくしゃにしたペーパータオルを近くのごみ箱に捨て、スチールドアを指さす。
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