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私に仕事を教えてくれたのはリーダーだった。
彼女は明るい性格でメイクも上手だった。
もう一つ特徴を言えば、ボディピアス愛好家でもあった。
両耳には5カ所はあるであろう大小のピアスホール。
べっ!と出された舌にも大振りのピアスがついていた。
「高校卒業したら、美容学校に行こうと思ってたんだ」
本人の話しでは、家に進学する費用がなく、親から美容師への道を諦めるよう説得されたとのこと。
ただ、やはり美容についての夢を諦めきれず、辿り着いたのがピアスで自身を装飾することだったそうだ。
「もう少し大きめの穴にしたいから、お金いるんだよね」
と、このアルバイトを始めたらしい。
リーダーの仕事の教え方は丁寧で、とても分かりやすかった。
コーヒーワゴンの準備や、コーヒーの落とし方、紙コップのサイズ説明。
販売するのはコーヒーだけではなく、オレンジジュースなどのソフトドリンクも扱っていたから、そのドリンクに合わせた紙コップを使わなければならないのだ。
コーヒー会社のコーヒーワゴンということもあって、コーヒーをそのまま凍らせた「フローズンコーヒー」なるドリンクもあった。
代金は、現金か玉で貰うこと。
玉数がわからないスタッフには、それ専用の玉数表があって、私はよくその表を使った。
2階のフロアについても説明があった。
「ここの列は若いお客さんが多くて、こっちの列は年配のお客さんが多いの。こっちの列の方がコーヒーをよく買ってくれるよ。」
と、コーヒーを売るアドバイスまでくれたのだ。
「ただ、この列のお客さんは気難しい人が多いから。気をつけてね」
私はパチンコをしないので、台の内容まではわからない。
しかし、リーダーが言っていたその列は、明らかに他の台とは違ってレトロな雰囲気のパチンコ台が並ぶ列だった。
かわいい犬のイラストが描かれてあるファンシーなデザインに、名前も「わんわん王国物語」と、どこか懐かしさを感じるものだった。
朝10時。
開店である。
開店と同時に来るのは、その「わんわん」に座るお客達だ。
この列は、ここ界隈で生活をしている人達のコミュニティになっていたのだ。
一番乗りは決まって、片言の日本語を話すおばさん。
周りの常連さんからは「ママさん」と呼ばれていた。
スタイルがよく、来ている服装はカジュアルながらも、大人の女性ならではの色気があった。
赤い口紅が印象的で、髪はいつも高く結い上げていた。
ママさんが座ったらすぐに彼女の元へ行かなければならない。
「○○○番、イチ。△△△番、イチ。□□□番、イチ」
と、彼女が指示した台へコーヒーを届けに行くのだ。
届け先はいつも同じではない。
だから、ママさんの言う台の番号をしっかり聞き取ってメモに書く。
コーヒー代はママさんが現金でくれる。
イチと言うのは、「一杯」の意味。
たまに「ニ」という日もあった。
コーヒーを配る、というのは朝イチ一緒に集うパチンコ仲間達へのママさんなりの心遣いだ。
しかし、その真意を汲み取ることのできない鈍臭いスタッフもいた。
「女優」である。
「朝はレッスンがあるから」
と、女優の勤務時間はいつも15時。
この日初めて朝のこの列を廻ることになったのだ。
ママさんの言葉が分かりきらず、また、台の番号も控えることもできなかったため、ママさんが彼女を怒鳴り散らしたのだ。
激昂したママさんに対応することができない女優は、泣きながらワゴンへと帰ってきた。
女優から事情を聞き、慌てて私がママさんの元へ行くと、いつも通り「○○○番、イチ」とお金をくれた。
代わりのスタッフが来たことで怒りも収まり、またパチンコを打ち始めたのだった。
ママさんのコーヒーを貰う人達はみんな、日本語が話せない人達だった。
というより、「日本語を話さない方」という表現が適切な言い方であろう。
コーヒーを貰ったらすぐ、ママさんの台まで挨拶に行っていた。
各自各々の言葉で伝えていたように思う。
けれども、ママさんは黙って台の方を向いたままで、短い会釈をして応えるのみだった。
コーヒーを売るのにノルマはなかった。
しかし、その日に誰が何杯売ったかの報告は義務付けられていた。
ある程度の杯数は売らないと社員から注意が入る。
だが、あまりしつこいセールスをすると、今度はパチンコ店そのものから注意が入る。
販売数に公平を記すことも踏まえ、通るだけでコーヒーがよく売れるこの「わんわん」の列はスタッフ交代で廻っていたが、この一件で女優はこの列を廻ることが出来なくなってしまった。
リーダーも女優をなだめていたが、ママさんに叱られて「怖い」という感情が残ってしまい、女優は違う列を廻ることになったのだ。
最後には
「日本語、勉強すればいいのに」
と憎まれ口を叩いていたが、リーダー達は何も言わず、仕事に戻って行った。
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