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コーヒーを落とすのには、焙煎したコーヒー豆の粉と水がいる。 粉はケース単位で発注しており、リーダーもしくはお姉さんが担当していた。 納品されたら検品をする。 袋を一つ一つ確認して、正しい商品が届いているか、破れなどの異常がないかを調べるのだ。 この作業は私とギャルが行っており、女優ときたら「爪が割れる」と言う理由でこの作業をしなかった。 どの爪だよ、バカヤローと思ったが、常に「頭がお花畑」の女にこの作業を任せても意味がないな、と、せっせと数えていた。 水はいつもポリタンクで運んでいた。 今から考えたら、もっといい方法があったのではないかと思えるくらい重労働だった。 水場は店内にはなかった。 なので、パチンコ店の3階にある従業員用給湯室から10Lのポリタンクに入れて運んでいたのである。 10Lだから10Kg。 山に水を汲みにいくかのようだった。 多い時で一日3回は往復していた。 ある時、私が水を運んでいると後ろからメガネがやって来て、水が入ったポリタンクを持ってくれたことがあった。 重そうに見えたのだろうか。 ただ、私にとってはありがた迷惑で、借りを作りたくなかったので断ったが、「いいから、いいから」と言って、ポリタンクを強引に私の手から奪ったのである。 「俺たちと、距離置いてるっしょ」 メガネの鋭い指摘が刺さった。 「風俗営業店で働いているツレ、作りたくないんでしょ。態度でわかるよ」 即座に否定すればよかったのだが、思わぬ図星に言葉が出ず、返答に戸惑ってしまった。 確かに、関わりたくなかった。 「でも、俺たちそんな変な奴らじゃないよ。ちゃんと給料貰って生活してるし。その辺は普通の会社員と一緒だよ」 そこまで言うとメガネは、コーヒーワゴンまで持ってきてくれた水を、「よいしょ」と降ろした。 お礼を言うと「いつでもどうぞ」と笑顔で去っていった。 わかっているつもりでわかってない。 自分のことしか考えず、相手を想って行動することができない子供のままの私。 相手に気を遣わせてしまったことへの不甲斐なさ。 自分の心を見透かされてしまったことへの恥ずかしさ。 自分の態度が知らないうちに相手を傷つけてしまっていたことへの罪悪感。 さまざまな「負の感情」が一度に襲ってきて、モヤモヤとしたものが込み上がり息が詰まった。 私は溶けきれない砂糖のよう。 せっかく、この真っ黒いコーヒーに馴染むよう、カラメルをまとって仕上げてきたのに。 ぬるい、ぬるい、ぬるい。 溶け込むことができない私。 ぬるいコーヒーの奥底で、溶け切ることのないどろりとした砂糖の固まり。 何度かき回しても決して溶けることはないのだと、心から思った。 それからしばらくはメガネに会わなかった。 休憩室を覗いては、メガネの姿を探していた。 店内でも、それは変わらなかった。 何か謝るわけでもなかったが、今度会ったら話しかけてみようと思っていた。 ところが、数日後のこと。 いつものように給湯室へ水を汲みに向かったところ、こんな会話が聞こえてきた。 「やっぱ、いい子だよ」 給湯室から聞こえてきたのはメガネの声だった。 「俺が水持ってやったら、断ってたもん。謙虚じゃない」 ドッドッドッドッ、と、胸の鼓動が鳴り響き、心臓が口から出そうだった。 メガネの話し相手が気になった。 「言っといたよ、無視すんなって。結構効いたみたい。慌ててた。今度会ったら連絡先聞いてみ?すぐ教えてくれるかもよ」 相手の声が聞こえない。 そおっと身を乗り出し、ギリギリの範囲で給湯室を覗いてみると、そこにいたのは 「やってみる」 ゲーマーだった。 やってみるってどういうこと?何をやるの?そもそも私のことを話しているの?混乱した。 「リーダーから近づいたのはいい作戦っしょ。だっていつも一緒だもん、あのセミロング。まぁ、あの中じゃ狙うのあの子しかいないよね。遊んでなさそうなところもいいし。男経験ないかもね」 コーヒーレディでセミロングは私しかいなかった。 リーダーと一緒なのも私しかいない。 優しいふりをして私の感情を遊び半分で転がすのは、さぞ愉快だったことだろう。 くすくす笑うメガネの言葉に、怒りが湧いてきた。 しかし、怒鳴りつける勇気もない。 空のポリタンクを持ったまま突っ立っていると、2人が私の気配に気づいた。 気まずい雰囲気で何か言おうとしていた2人だったが、私は愛想笑いでごまかして店内まで帰った。 考えこんだら負けだと思い、その日は黙々と仕事をした。 後日、ゲーマーが私のもとへ来た。 給湯室でのやりとりを説明しに来たのだ。 唯一の趣味がゲームである彼に、女友達を作ってやろうとメガネが画策。 「あの子、あんまり喋らないね」 という、ゲーマーの一言でターゲットが私に決定。 メガネのお膳立てが始まったのだという。 「俺たち同期で社員寮に住んでて。あいつ、俺のこと考えてやったみたい。俺、仕事終わったらゲームしかしないから。あと、男が女の子の話しするの、普通だから」 それだけだから、と言って帰っていった。 なら、「やってみる」という一言は何だったのか。 また、モヤモヤしてしまい、これはしばらく続いた。
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