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「ね〜ね〜。よく出る台教えてよ〜。コーヒー買うからさぁ」 月に数回現れるこのお客、来ては毎度と言っていいほど、コーヒーレディを捕まえてこのように迫るのだ。 「お姉ちゃん達、ここの人達と付き合ってるんでしょ?よく喋ってるよね?よく出る台、知ってるでしょ?ね〜、教えてよぉ」 私達はこの中年男性のことを「キモオ」と呼んでいた。 脂ぎった顔にはち切れんばかりの突き出た腹。 いつ洗ったのかわからないゴワゴワの髪。 ひどい体臭。 そして毎回、色褪せたカーキ色のニット帽を被っていた。 「キモオ、呼んでるから行きなさいよ」 と、よくなすりつけあいをしたものである。 メガネとゲーマーにちょっかいを出された私は、その後何も考えないようにしていたが、キモオのこの言葉にフラッシュバックを起こしてしまい、またモヤモヤとした毎日を過ごしていた。 つい、ゲーマーのことを思い出してしまっていた。 「お姉ちゃん、可愛いからモテるでしょ。コーヒー配る姿も可愛いもんね。ここの社員から口説かれたことあるんじゃない?」 人の気も知らないで、見てきたふうな言い方をするところがより酷い。 いえいえ、そんな…と、笑顔でかわし、仲間たちのもとへそそくさと帰るのだ。 あまりにしつこいときは 「砂糖、ちゃんと入ってないよー」 とか 「ミルク、いらないって言ったよー」 とか、しょうもない理由を作っては、私達を再度呼ぶのである。 しかも、コーヒーレディ全員に声を掛けるところが、非常に迷惑なのだ。 「今日も体臭ひどかったー」 リーダーならこう。 「マジ死ね」 ギャルならこう。 「手を握られそうになったわ」 お姉さんならこう。 しかし、 「私、いつでも『恋する顔』してるから」 女優はこうなのだった。 彼女1人、どうやらキモオに好かれていると勘違いをしていた様子。 自分の演技力にキモオが虜になったと思っていたのだ。 よく出る台が知りたいだけとも知らず、不憫なことだった。 他4人も気付いていたのだが、本人がその気なので「そうなんだ」と、適当に話を合わせていた。 言ってやれば良かったのだろうが、言っても本人が信じないのだから、致し方ない。 その都度メイクも直していたのだから。 キモオに呼ばれて「はあい」と、元気よく返事をしていたのも、彼女ならではであった。 年末、雪がちらつく頃。 私は業務用品である漂白剤を買いに、パチンコ店の近くにあるドラッグストアまで出掛けた。 ダスターのつけ置き除菌に使用するものだ。 細々した業務用品は近くのドラッグストアで購入して、その購入費は一度立て替えておき、後でそのレシートをコーヒー会社の男性社員に渡して、精算してもらっていた。 漂白剤以外にも、ゴミ袋やラップなどもドラッグストアで購入していた。 外に出るときは、ユニフォームに自前のコートを羽織って出ていた。 夕方の繁華街には、飲み屋や風俗店などのキャッチであふれていた。 短いスカートに当時流行りのロングブーツを履いて、客引きをする若い女達。 派手なスーツにキラキラとした靴、いかついアクセサリーで自己主張をしていた男達。 また、どこを目標に歩いているのかわからない人達で埋め尽くされていたが、ここでのアルバイトを始めてからというもの、このような人混みをすり抜けるかのように歩くことにも慣れていた。 ドラッグストアで漂白剤を見つけ、カゴに入れてレジに進む途中、同じく仕事の合間に買い物をしていたゲーマーと会った。 「近くて便利だから、よく来るんだよね」 ゲーマーから話しかけられてしまった。 あれ以来、顔を合わせていなかったから少し気まずい気持ちもあった。 キモオの言葉が気持ち悪く思い出された。 ゲーマーは何も気にしてない素振りで 「年末、しんどいからさ」 と、買い物カゴに入れた栄養ドリンク数本を見せた。 そして、私の格好を「寒そう」と指摘し 「俺は会社が用意してくれた無地のダウン着てるからいいけど、その格好、バレバレだね」 私の格好が目立っていると言ったのだ。 しかし、彼の格好をよく見ると、彼の頭には年末パチンコ店スタッフ全員が被るクリスマスグッズ「赤いサンタ帽」が載っていた。 私が目線を上にあげるとやっと気付き 「帽子、被ってた」 と、恥ずかしそうに取っていた。 はにかんだ姿は普通どこにでもいるありふれた青年そのものだった。 早々に買い物を終わらせた私達は、舞い散る雪の中、吐く息を白くして足早に店へと帰ってきたのである。 帰る道すがら、この大きな繁華街で何故か、自分は1人ではないと感じた。 私もこの青年と同じく、この街の一部なのだと、不思議な感覚に陥った。
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